BCP策定の現状
BCPとは、事業継続計画(Business Continuity Plan)の頭文字をとったもので、企業の事業継続を阻むリスクに対して、事前に取り決め・取り組みを行うものです。自然災害やテロ、そしてパンデミックの経験からBCPの必要性は、当然のレベルまで高まっています。現状、BCPを策定している日本の企業の割合はどれくらいなのでしょうか。また本稿で注目する中小企業は、どの程度整備しているのでしょうか。[図表1]は、代表的な調査主体の結果をまとめたものです。
東京都の企業は、全国平均よりも高い様子が東京商工会議所の結果からわかります。また、大同生命の調査(「大同生命サーベイ」)は、10%と報告しています。これらからBCP策定率は、日本の企業全体では20~30%程度と見積もるのがよいようです。さらに中小企業となると20%を割り込むと見るのが現実的でしょう。大同生命の主な顧客は、中小企業の中でも従業員5人以下の小規模事業者です。つまり、「企業規模が小さくなればなるほどBCPの策定率は低下していく。中小企業のほとんどがBCPを策定していない」のが現状です。
もしBCPがあれば……
東京商工リサーチの東日本大震災関連倒産の全国マップを見ると、震災から5年の時点(2016年2月24日時点)で、島根県以外の全都道府県において東北地方太平洋沖地震による企業の倒産が発生していることを報告しています[図表2]。東京商工リサーチは中小企業の調査を得意とする会社ですから、これらの倒産企業のほとんどが中小企業と見なしてもいいでしょう。
[図表2]からわかることは、震災の影響による企業倒産が被災地域だけにとどまらないということです。当時の地震の強震と津波によって、広域で中小企業が直接被害を受け、倒産という結果になったケースもありましたし、被災地の取引先・仕入先の操業停止で、直接被害のなかった地域の中小企業が間接的に倒産に追い込まれました。近い将来、最悪の場合に連動した発災が警戒されている、相模トラフから南海トラフ(神奈川県・静岡県・愛知県・三重県・和歌山県・徳島県・高知県・愛媛県・宮崎県の沖)で起こる地震では、東日本大震災の規模を上回る関連倒産が予想できます。
参照している東京商工リサーチのレポートで、2016年2月24日時点の震災関連倒産の要因の9割は、「間接被害型」でした。当レポートによると中小企業の被害のパターンとして、取引先・仕入先の被災による販路縮小や受注キャンセルなどが影響する「間接被害型」と、事務所や工場などの施設・設備等が直接損壊を受けた「直接被害型」があると定義しています。前者は、後者のように本震・余震直後の中小企業の被害状況をもって再建・復旧を断念させるものとは違い、地震から時間を経てジワジワと経営の断念を迫るものです。
日本のすべての中小企業にBCPが備わっていたら、上記の倒産件数は、大きく減っていたかもしれないというシミュレーションは、妄想でしょうか。自社の営業エリアから遠く離れた場所での被害だから、当社には関係ないという見立ては正しくありません。どの中小企業ともつながっていない中小企業などはなく、自社と直接つながっていない中小企業の影響が伝播してくることは十分あり得ます。その場合、BCPが策定してあれば、自社を守ることができますし、さらには負の伝播を自社の時点で遮断することもできます。
策定が進まない理由の経済学
経済学の経済人(個人や企業)の行動原理は、合理性です。この先に何が起こるか見通せている経済人は、種々の制約(考慮しなければならないリスクや不自由さ)を所与にして、自身の目標の達成を目指します。個人であれば、効用という満足を人生を通して最大にする目標、企業に関しては、利潤(売上ー費用)を企業活動が続く限り最大にするという目標です。つまり、「制約条件の下で自身の目的達成のための経路を知って活動すること」を経済合理性があるというのです。そこで次では、中小企業でBCP策定が進まない理由、つまり「なぜBCPを策定するという合理的な判断をできないのか」を、2つの視点を用いて検討していきます。
(1)非合理性への責任から見る中小企業の特有の位置
まず、非合理性への責任という視点で、企業と個人・世帯(家族)を分類することから始めてみましょう。大企業は、代表的な経営者以外にも多くの幹部職員を抱え、さらには中立な外部委員を立てるなどして、意思決定における合理性(間違いの排除)を突き詰め、内外の関係者へ責任をとれる環境を整備しています。大企業は、非合理性への責任を厳しい姿勢で捉えます。一方、個人・世帯(家族)は、非合理な決定による結果を、自身や血縁関係にある家族内で収めるので、非合理性への責任が緩くなります。
このような両端の大企業と個人・家族の中間に位置する、法人であり個人でもあるのが中小企業ではないかと考えます。「大」企業と違って「中小」企業ですので、社員の数も少なく、代表である経営者以外に経営に関与する幹部の数が少なくなります。結果、中小企業の意思決定は、経営者の考え方に強く依存します。一方で、中小企業は少人数集団であることから経営者と社員の間も自ずと近く、家族社員がいたりすると、個人・世帯の関係性が持ち込まれやすい。つまり、中小企業という位置は、大企業のように非合理性への責任を明確にできないけれども、個人・世帯のように緩くもない位置ということになるのです。
(2)中小企業経営者の現在バイアスの可能性
なぜ中小企業において、BCP策定が進まないのかという疑問に対する1つの可能性に、我々人間の思考における性向のひとつの「現在バイアス(present bias)」を指摘できます。
現在バイアスを説明するために、「時間選好率(時間割引率)」という用語も説明します。時間選好率は、将来得られる利得を現在価値に換算すると、どれくらい割り引くかの程度を表します。1年後の1万円は、現在の1万円と同じではありません。
現在の1万円を、今から預金して1年後に引き出せば、1万円に(いくら低金利でもゼロではない)預金金利が付いてきます。金利を念頭におきながら、経済主体の感覚で、将来の1万円の現在価値を考えさせた場合の割引具合が時間選好率です。時間選好率が低い(そんなに割り引かない)ということは、1年後の1万円獲得まで待てる可能性が高いことを意味します。
では現在バイアスと時間選好率とは、どのように関係するのでしょうか。次のようなケースを想定します。ある人において、今日と7日後の間の時間選好率が、1年後と1年7日後の間の時間選好率よりも高い場合を考えます。ここで違和感を覚えた人は、「1週間という時間の幅は同じなのに、どうして近い将来と遠い将来で、時間選好率が異なるのか」と思われたのではないでしょうか。とりあえず今は、人間は矛盾だらけの生き物と思ってください。しかし、そのようなあなたは、経済合理性の高い人かもしれません。
このような時間選好率を持つ人は、忍耐強い計画を立てられる人かもしれません。例えば、1年後に1万円を獲得できる場合と、1年7日後に1万500円を獲得できる場合、1年後と1年7日後の間の時間選好率は低いので、1年7日後の1万500円を獲得するように計画を立てるでしょう。しかし、ここで期日の1年後では、今日(1年後の今日)と7日後(1年7日後)の時間選好率は高くなっているので、結果としてこの人は、1万円獲得を選んでしまいます。このように人が持つ現在に対する価値の偏向、または行動経済学のテキストでは「時間選好率が将来に向かって小さくなること」を現在バイアスといいます。
では、中小企業のBCP策定が進まないことと、「非合理性への責任」と「現在バイアス」は、どのように関係しているのでしょうか。非合理性への責任という観点から、大企業のように万全の体制(完璧なBCP策定)は達成できないけれども、生じた被害を個人・世帯のように組織内で収められない、ほとんどの中小企業の経営者は、BCPの内容の充実度の差はあれ、その存在の重要性を理解しているはずです(経営者の重要性の理解度を尋ねた調査は今のところ発見できていません)。「作ったほうがいいのはわかっているけれど……」といった経営者は、「いずれ作りましょうね」と言われている時点では「BCPを策定したときの自社の価値」を、そこまで割り引いていない(時間選好率が低い)と考えられます。しかし、「いざ今、作れ!」となると、「BCPを策定したときの自社の価値」が大きく割り引かれ、「BCP未整備の現在の自社の価値」が勝ってしまうことになる。現在バイアスを持つと、いまだ観察できない事象に対しての評価が難しくなることから、今見えている現状の評価に重きをおくことになるのかもしれません。
私のこのような仮説を支持する研究があります。大竹・李(2011)の研究は、長期間にわたって派遣労働を続けている者は、時間選好率が高かったことを報告しています。そして、時間選好率が高い、つまり将来価値を大きく割り引いてしまう性向を持っているため、現状の派遣労働を継続するのだと指摘しています。また小林・田中(2020)の研究では、首都直下型地震の発生を想起させた上で、現在バイアスの傾向がある人たちに、復興における迅速性を求める傾向が、コントロール群の人たちより強かったことが報告されています。これは、現在バイアスを持った(時間選好率が高い)人は、原状回復の思考が強いことを示していると解釈できます。両研究は、未発生の事象(派遣を脱した自分や首都直下型地震後の首都圏)に関連する評価を回避して、現状に近いところで評価を行う人の思考の癖を報告していると考えることができます。
BCP策定支援の見直し
上記のBCP未策定の理由に加えて、BCP策定を推奨する人たちの用意するBCPを必要とする想定状況の“堅さ”の悪影響を指摘したいと思います。中小企業庁の「中小企業BCP策定運用指針」では、BCPとは「地震・風水害、疫病などの、いち経営者がコントロールできないインシデントの発生によって事業継続が困難な状況から、速やかに復旧・復興するために事前に用意されている計画書」と定義されています。しかし緊急事態の具体例で出されている自然災害、大火災、テロ攻撃、最近でいえば感染症のイメージに引っ張られすぎて、経営者はBCP策定の動機になるもっと身近な緊急事態を見逃していると強く思います。さらにBCP策定を推奨する機関は、もっと親身に相手と同じ目線になって、正しくBCP策定の動機を煽るべきです。
上記に挙げたもっと身近な緊急事態とは、「経営者の突然の不在」です。私がこのことを考えたきっかけのお話からします。私が初職として勤めた高知大学時代の経験です。読者の皆さんもご存じのように、高知には他県に誇れるお酒の文化があります。企業経営者ともなると、年中公私の宴会に参加することは珍しくありません。そのような固有の文化の中で、経営者といえども人並みに酔い、人並みに千鳥足になります。私も多くのそうした経営者をタクシーに乗せ、見送ってきました。
私は、飲み会後の経営者の危なっかしい姿を多く見ています。当時よく見かけた光景は、駅前広場や中心商業・飲食エリアの公園などで涼み、酔いをさましながらウトウトしている経営者(同様に一般人)の姿です。その光景を見て、いつも私は危ないなと思っていました。南国といわれますが、高知の冬の夜はけっこう寒いですし、中心部を外れれば、街灯はほとんどなく、大小の用水路があります。暴漢に襲われたり、寝入ってしまって凍死したり(高齢の経営者ならなお危ない)、よたった足取りで用水路に転落し大怪我をしたり、最悪の場合、死んでしまうなんてことが起こり得る可能性は、一般の人と同じくらい経営者にもあります。
中小企業にとって経営者の突然の不在は、被災時と同様に会社存亡がかかった状態です。つまり、このような事態はBCPで対応する事案になるはずです。翌朝、社員は昨夜何が起こったかも知らずに出社しますが、待てど暮らせど朝礼が始まらず、常務・専務などの幹部の姿もまだ会社にない、というような状況が起こります。経営上の意思決定を伴わないような日常業務は、しばらくの間やっていけるでしょうが、経営者の意思を反映させるような事項の決裁が初日から滞ります。経営者不在時に会社をどのように切り回したらいいか承知していない配偶者や、意思決定の代行を決めていなかった上層部は、簡単には意思決定できません。一方、経営者不在時の項目を含んだBCPを策定していれば、素早く通常業務への復帰が可能になります。
「経営者の突然の不在」は、どうして重要なトピックなのでしょうか。中小企業では経営者への組織としての依存度が高いことが指摘できます。ここでは、「権限」をキーワードに説明します。大企業において経営者の突然の不在は、予定されている候補者を昇格させるだけで、一定の混乱は起こりますが、比較的スムーズに物事は進みます。これは、大企業が経営者に権限を集中させておらず、分権的な組織体制をとっているから可
能になることです。また個人・世帯での世帯員の突然の不在も、その集団内で穏便に収め、不在のままで暮らすことになります。これは、個人・世帯が各世帯員に分権的な組織になっていることから生じます。
中小企業の経営者の突然の不在は、個人・世帯のように「不在のまま」で済ませられません。次の権限先を誰か見つけてもらわないと、中小企業で働く他人の社員にとっては死活問題です。しかし、現在の中小企業は、後継者不足という問題を抱えているので、大企業のように「予定されている候補者」が用意できていません。
また後継者を用意すればいいというものでもありません。中小企業は多くの場合、経営者に権限が集中しています。私の研究では、中小企業の経営者は、製造や販売、営業という日々の業務から、総務・経理のような不得意な業務、そして主であるはずの経営管理の業務まで、すべての業務に程度の差はあれ労働時間を割いています。つまりすべての業務を把握し、意思決定に関与しているので、経営者にだけ意思決定のノウハウが蓄積されます。中小企業において、そのような行動は普通ですので、当然、社員も相談したり判断を仰いだりすることになります。そのような経営者が、遺言を残す時間もなく突然不在になれば、意思決定のノウハウを持ち合わせない幹部・社員は、パニックに陥ります。だから中小企業において、「経営者の突然の不在」をBCPに考慮しておくことが重要なのです。
果たして、経営者の突然の不在は珍しいことでしょうか。私がこの原稿を書いている令和6年4月25日の1日、日本は自然災害、大火災、テロ攻撃に遭わず(奇跡的に?)穏やかに終わりました。しかし、今日も日本のどこかで、亡くなっている方はいます。その中には、経営者という職責にあった方もいらっしゃったはずです。さらに、経営者が「突然」亡くなってしまったというケースもあったはずです。自然災害、大火災、テロ攻撃も中小企業には経営上の重大リスクですが、「経営者の突然の不在」も同じくらい重要なリスクである認識を持つ必要があります。
新しいBCP策定環境
中小企業のBCP策定は、どうすれば推進されるのか。本稿では、「非合理性への責任」と「現在バイアス」に比較的対処できているような特定の中小企業経営者を登場させ、そのような経営者を中心とした集団的なBCP網を提案したいと思います。
以下のような状況を考えてみてください。あなたは、太平洋側の地元を営業エリアにする中小企業経営者です。(正社員やパート・アルバイト含めて)社員を20名ほど抱えています。BCPの策定をしたほうがいいことは理解していますが、いろいろな手間があるため策定していません。そんな折に、同じ地元の年上で、本業以外にも3、4つの事業を展開している経営者から、商品の発注依頼を受けました。この先輩経営者の経営上の考え方に同意でき、あなたはその先輩経営者に相談をするようになりました。その後、先輩経営者の会社のBCP上、あなたの会社も重要な関係先であることを理由にBCPの作成を依頼され、作成においての支援をする申し出を受けました……。どうでしょうか、あなたはBCPの策定を断りますか。
私は、この先輩経営者に中小企業のBCP策定の立役者、「地域実業家」という役割を与えたいと思います。それは何者なのか? 経営者じゃないのか? 聞いたことがあるようで、聞いたことがない呼称だと思います。私が1人で推奨している呼称なので、無理もありません。
まずは私の定義を紹介したいと思います。地域実業家は、地域社会・経済の将来への明確な理念を持ち、その理念の実現に向けて、正経なる殖産的業をなす者です。定義後半のパート「正経なる殖産的(の)業」とは、渋沢栄一(1840~1931年)の「実業」の定義を拝借しました。現在の日本には、企業の数だけ経営者はいますが、「実業家」と呼称される人は見当たらなくなったと感じます。しかし、明治や大正、第2次世界大戦前の昭和の日本の経営者の中には、多くいました。代表的な例が渋沢栄一氏です。
なぜ「地域実業家」は、地域社会・経済の将来への理念を持たなければならないのでしょうか。渋沢氏の演説の中に、ヒントがあります。明治の頃の商業を生業とする者は、社会的に身分が低く見られていました。渋沢氏は、そのような業界に飛び込む訳ですが、「〈前略〉旧幕の慣例から引続いて、商売人と云ふものは余程位置の卑いものであつて、其待遇に於て軽蔑されるのみならす、商売人自身の心掛も卑いのである、今添田君の所謂、偶々財産のあるものは守銭奴となつて、僅かに銖錙の利を争ふて日を終るに過ぎんのである、苟も道理とか、人間の本分とか云ふことを顧る者はない、況や国家抔と云ふことは頓と知らぬ、国尽しと云ふ書物は読んて居るでありませうか併し国家と云ふ観念は全くなかつた」と、世間的な身分も低いが、商売人自身の心も卑しいことを演説で指摘しています。さらに、当時の商売人に国家観がない、国家観がないから実業界から国家に影響を与えようという主張がないことを憂いています。
現在の日本で、国家観を持った中小企業経営者がいるとすれば、非常に頼もしいことです。しかし、明治の頃と比べて国家の体裁や世界とのつながり様の変化が激しい現代において、中小企業経営者に国家のビジョンまでを求めるよりも、ビジネスを行う地域社会・経済の将来への理念を求めたいと思います。現在の政府は、外交・国防関係を集権的に、そして「地方創生」や「デジタル田園都市国家構想」を例に、地方への分権という切り分けを行っています。地域に分権されている現状では、地域に対する理念やアイデアを持ち、地域の持続可能性に貢献する主体としての中小企業経営者(地域実業家)が求められます。
このような「地域実業家」と深く関わりながら、自分の会社のBCPを策定するのはどうでしょうか。その時、私が提案するのがBCPの集団作成です。私は、昨今の中小企業の経営者に求められるタスクが多すぎると思っています。例えば、自身発の・社内外のハラスメント、DX、人材獲得・育成、働き方改革といった新規性の高い業務に加え、従来の通常業務も中心的にこなしているのが中小企業経営者です。これらの業務の一部を複数の中小企業でまとめて外部発注できないでしょうか。
個社で発注をかけていては、時間もコストもかかりすぎて、彼らが手を出さないのも当然です。
BCP策定に関しては、BCP策定済みの地域実業家を核としたネットワーク(網)の中に入って、個社でどうこうしていたBCP策定を、共同策定もしくは部分的にBCPを移植してもらう。地域実業家が、地域内外の中小企業をネットワークに組み入れ、特定地域の集中被害のリスク分散を視野に入れておくことは重要と思われます。また地域実業家自身の規模にもよりますが、ネットワークには数十社も組み入れる必要はありません。ネットワーク内のノード(個社)の数が多すぎると、ネット(網)にならない箇所が出てきます。また数年に1回のBCPの定期更新は、年1回くらいのネットワーク内の経営者会議で外部の専門家に診断・助言をしてもらえば、個別での診断・助言よりも効率を上げることができます。
おわりに
ここまで読んでいただいた皆さんのご感想は、「へぇ~『地域実業家』ねぇ。いたらいいねぇ」といったところでしょうか。私のこれまでの勤務地での地域の中小企業経営者との交流から、「地域実業家」と呼べる経営者は間違いなくいます。現状で、一般の人たちにおいて「地域実業家」と経営者の区別はつけられていません。そこで、地域実業家を浮かび上がらせることをしてみてはいかがでしょうか。そこで、大きな力を発揮できるのが、メディアでしょう。
現代の日本社会(もちろん世界も)は、インターネットとSNSの登場によって、個人化と平等主義が、いい意味でも悪い意味でも行き渡っています。トクヴィル研究の宇野(2010)は、「望んでいた平等が行き渡ると人間は、誰もが同じ扱いであることに苛立ちを覚え不満を感じて、逆に違いを求める」と述べています。メディアは、違いを見つける・違いをつける方法として有効であることを誰もが認知しています。
すべての中小企業経営者に等しくBCP策定の推奨という、歪んだ圧力をかけるよりも、地域の持続可能性を憂いて、自身のやれる範囲で地域への貢献を続けている中小企業経営者に注目する。そして彼らを応援し、BCP策定を推進するのもいいのではないでしょうか。
〈参考文献〉
(1) 宇野重規. (2010).『 〈私〉時代のデモクラシー』岩波書店.
(2) 大竹文雄, & 李嬋娟. (2011). 派遣労働者に関する行動経済学的分析.『非正規雇用改革 日本の働き方をいかに変えるか』 日本評論社.
(3) 小林秀行, & 田中淳. (2020). 現在バイアスは災害復興観に影響を与えうるか~ 首都圏居住者の首都直下型地震に対する災害復興観調査を事例として~. 災害情報, 18(1), 1-11.
(4) 『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年/2部 社会公共事業/3章 道徳・宗教/5節 修養団体/1款 竜門社 【第26巻 p.195-199】
(5) 『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年/2部 社会公共事業/3章 道徳・宗教/5節 修養団体/1款 竜門社 【第26巻 p.237-238】