私と社会をつなぐ、これからの「まちづくり」

2022年5月16日 10:45 Vol.79
   
田村 高志
(株)小田急エージェンシー  コミュニケーションデザイン局 プランニング部長 プランニングディレクター
Takashi Tamura
川崎市出身。立教大学経済学部卒業後、小田急エージェンシーに入社。エリア・商業施設といった「場」の活性化、CRMといった顧客リレーションシップマーケティング、昨今では、サーキュラーエコノミー推進事業の開発に従事。日本マーケティング学会「鉄道沿線マーケティング研究会」に所属し、「沿線」「駅」のポテンシャルを活用した新たな価値づくりを研究。著書に『Renovation of value 負からのマーケティング』(共著/総合法令出版/2020年)。

 
 
 
 

現在の「私」について─「私」の変遷からの考察

日本における「私」がキーワードとして登場したのは、昭和の高度経済成長期の後からだと考えられる。

1945(昭和20)年に終戦となるが、その後、復興を遂げ、1950年代に入ると高度経済成長期を迎える。この時期は、東京等の都市部への人口集中が加速化し、人口ボリューム層であった団塊世代が夫婦と子どものみの世帯といった「核家族」を形成。この核家族をターゲットとした家電製品に代表される大量生産品が全国的に普及し、国民は「一億総中流」と呼ばれる時代となった。

この時代の消費の特徴は、「一家に1台」といったように、家族単位での「モノ」の所有であった点である。これらの「モノ」の所有は、日々の生活を快適・便利にするとともに「中流」としての証しでもあり、社会への帰属意識を満たすものだったと考えられる。言い換えると、「均一化された家族消費」を「大量生産されたモノ」が満たしていた時代といえる。

しかしながら、このような日本経済の成長・拡大を背景とした大量生産・大量消費時代は、1973(昭和48) 年の第一次オイルショックより始まる低成長時代への突入、それによる生活者の価値観の変化によって、新たな消費の時代へと変貌していくのである。劇作家・評論家である山崎正和は、この時代に「柔軟な個人主義の萌芽」(山崎1987、65頁)がなされたと表現している。

その象徴的な事象としては、今まで「家族」という単位での消費が「個」という単位へと変化した。これは、家族(世帯)においては物質的な豊かさがある程度満たされた点と、働けば働くほど収入が上がり、それが家族の幸せだったという図式が崩れたためと考えられる。またこの頃から、専業主婦だった女性が夫の収入減を補填するためにパートに出ることによって、世帯の中に「個」の財布が生まれたのであった(三浦2012、45頁)。これによって所有は、「一家に1台」から複数台となり、家族それぞれが自分の部屋に1台を持つようになり始めたのである。

また、それまでは、「モノの大きさ」がそのステータスの基準であったが、「私」を表現するために、「他人と違うモノ」「差別化されたモノ」を求めるようになるのである。それが、「ブランド志向」「デザイン志向」となる。つまり「記号的価値」を「モノの価値」とする消費行動が生まれたのである。そして、その価値基準は「新しい」「進んでいる」といった「時間軸」であった。

この「記号的価値」による消費行動の特徴は、「私有」による他人との「差別化」である。つまり、モノの持つブランド価値が他者との違いとなる「ステータス」を象徴する記号となり、これが自らの「承認欲求」を満たすといった消費行動なのである。ここでのポイントは、その「モノ」をどう使いこなすかということより「私有」することに価値があり、他者との比較によって満足が得られるという点である。これが絶頂を迎えるのが1986〜1991(昭和61〜平成3)年の「バブル景気」である。

しかし、この消費価値観はバブル景気の崩壊によって終焉を迎える。元々、この他者との比較によって得られる満足感は、非常に不安定で持続性の低いものだといえる。なぜなら、他者との比較は、際限がないためだ。ある人に対しては優位であっても、別の人には劣っていたり、最先端な「モノ」を私有し、その瞬間は優位であっても、さらに新しい「モノ」が世に出ると、私有している「モノ」は自己承認を満たす価値がなくなり、劣後になるからである。

また、この消費行動が可能な前提としては、際限のない消費に掛けられる経済力である。しかしながら、多くの消費者がバブル景気の崩壊によってこの前提を失ったため、新たな価値を求める消費行動が生まれるのである。それが「モノ」に依存しない「内面」への消費行動である。つまり、バブル崩壊以前に芽生えていた「私」への消費が、経済的な理由によって「私有」ができなくなったため、「自己研鑽」といった「内面」への消費へと移行したのである。

さらに、他者との比較「差別化」に潜在的な疲れを感じていた消費者に、東日本大震災がきっかけとなって顕在化したのが「つながり」への消費である。コロナ禍でもそうだが、今までの当たり前だと思っていた生活を覆す出来事に直面すると、社会や他者との「つながり」の重要性を再確認することになり、家族・友人との交流や、新たな人との出会いがある場での消費が活発になるのである。コロナ禍によって発令された緊急事態宣言のような「人に会う」ことが制限されている状況下においては、その欲求の高まりはなおさらであろう。

また、モノに対しては、「記号的価値」を求める意識、つまり「どこの何」を私有していることが重要ではなくなり、「自己研鑽」や「つながり」に「使える」ことに価値を求めるようになった。「使える」のであれば、「私有」でなく「共有」で十分といった概念がシェアリングエコノミーへとつながる。

シェアリングエコノミーには、車といった「モノ」、育児や調理といった「スキル」、空き地・空き家といった「場所」のシェアがある。「シェア」の取引は、「私有」の「モノ」「スキル」「場所」を「貸す」「借りる」といった取引のため、お互いの「信頼関係」が必要となる。そのため、「貸す」「借りる」双方のプロフィールや評価の「見える化」が必要となり、その結果、「シェア」を媒介し「つながり」が生まれるのである。つまり、このシェアリングエコノミーの本質たる価値は、「共有」を通じての「つながり」なのである。

このような消費価値観を後押ししているのが、現在の若者である。彼らは、生まれた時にはインターネットや携帯電話が普及しており、現在、誰しもが当たり前に使っているデジタル製品・サービスの基本が既に存在した状態であったといえよう。IT 評論家の尾原和啓は、この世代を、生まれたときから「ないもの」がなく、だから何か欲しいと「乾けない世代」(尾原2017、4頁)と称している。そして、今後の大きな経済成長が見込めない「定常型社会」(広井2011、16頁)であることを悟っている彼らは「人との関係性」「意味合い」「没頭」に幸福の意味を置いていると考えられる。

以上のことを踏まえると、現在の「私」とは、他者との差別化によって「私」を満たすのではなく、社会や他者とのつながりによって「私」を満たすといった価値観が特徴なのだと思われる。つまり、「社会」が「私」を制約するのではなく、また「私」が「社会」に反発するといった対立関係ではなく、「社会」と「私」とが「縛られてはいないが、つながっている」関係づくりが望ましいのである。

これこそが、現在の望ましい「コミュニティ」の姿であるといえよう。このコミュニティは、個それぞれの「私」が吸収される共同体的な一体感・同質化が求められるコミュニティではなく、独立した個の「私」同士がつながるものである。そこでは、個の「私」をお互いに尊重し合える寛容な精神と、それを守るためのポリシーが必要となる。

 
 
 
 

個と社会が結びつく「まち」─私が輝く場づくり

このような個の「私」が結びつき、さらに社会と結びつく場となるのが「まち」である。ここで簡単に日本の都市部におけるまちづくりの歴史を振り返ってみたい。

前述のとおり、高度経済成長期において、地方から都市部への人口集中が加速する。その受け皿として、住宅地が、働く場である都心部から鉄道路線に沿って郊外へ放射線状に開発されていった。その象徴が、いわゆる「ニュータウン」である。そして同時に、中心地となる駅およびその周辺には、日々の生活を支える消費活動の場となる商業を中心とした「まち」が開発されてきた。このような「まち」は、「ベッドタウン」の名のとおり、「働いた後に寝に帰る場所」であり、あくまでも主たる活動は会社のある都心であった。よって、居住地である「まち」での活動は限定的であり、そこでの他者との交流への欲求そのものが希薄であった。

その後、「私らしさ」「自分らしさ」といった「私」への意識が芽生えると、「モノ」だけでなく、「まち」に対しても「記号的価値」が埋め込まれていくのである。それは、「〇〇スタイル」と呼ばれるような、そのまちでの「生活様式」を記号化することであった。それによって、その「まち」に住むことが、他者に対しての差別化となるステータスとなり、居住者は「私」の中の承認欲求を満たしていったのである。ここでの価値基準は、「モノ」同様に、「新しい」「最先端」「流行」といった時間軸に基づくものであった。よって、「まち」の消費の場であり、象徴でもある商業施設も、どれだけ新しいモノ・流行のモノを取り揃えているかが、その施設の価値となっていったのである。

このように、「まち」においても、「私」を満たす仕掛けが埋め込まれていったのだが、依然として個の「私」同士が交わることは希薄であった。なぜなら、主たる活動主体であり、帰属先は、変わらず「会社」であったためである。そのため、居住する「まち」は変わらず「ベッドタウン」のままであった。また、そもそも他者との差別化を重視する価値観においては、積極的に地域でのつながりをつくろうとする欲求そのものが希薄だったためとも考えられる。そのため、「まち」は、「私」を同じ生活様式に投影している者同士の群れがあるにもかかわらず、その者同士は交わらないといった、安心感はあるが、刺激は少ない状態であったといえる。

そして「まち」への帰属意識は、承認欲求を満たしてくれる「記号的価値」が拠り所であったため、「まち」と「私」の関係は、深いものとはいえず、「記号的価値」のない「まち」においては、居住者(転入者)の帰属意識は、当然希薄であった。

しかしながら、前章にて述べたとおり、現在は「つながり」へのニーズが高まっているため、「まち」の価値も商業的なものから、コミュニティ的なものがより重要になっていくものと考えられる。繰り返しになるが、ここでのコミュニティは、「私」を制約するものでなく、個が持つ異なる「私」が他者や社会とつながることよって満たされる「縛られないが、つながることのできる」コミュニティである。

そして、「まち」の中心地であり、シンボルでもあり、そして最もひとが交差する「駅」がその中心的な役割を満たすことが求められるだろう。駅は従来の駅ビルといった商業中心地「ショッピングセンター」から、つながりの中心地「コミュニティセンター」になるのである。そこで、提言したいのが「LDKステーション」というコンセプトである。

 
 
 
 

駅の新たなコンセプト ─LDKステーション─

LDKステーションとは、現在多く展開されているコ・ワーキングスペースの提供に加え、生活者がリビング(L)、ダイニン(D)、キッチン(K)など、本来は自宅内に備えるべき機能を駅へ外部化し、他者とこれらを共有(シェア)することにより、仕事とプライベートの両方において日常生活のさらなる充実を目指す次世代の駅サービスのコンセプトである。

LDKステーションが提供する価値は「共有」であり、それは4つに細分できる。1つは「仕事(以下、職)」に関する共有機能であり、これはいわゆるコ・ワーキングスペースにあたる。次に「育児(以下、育)」に関する共有機能であり、これは保育園や託児所が相当する。この「職・育」の機能が付帯した駅は現在でも多く存在し、共働きと子育て共同参画といった家族のあり方やリモートワークなどの柔軟な働き方が普及する未来においては、駅に求められる標準機能となるであろう。

そして、この2つに加えて、さらに2つの新たな共有機能が求められることとなる。第3の機能は、炊事・洗濯など「家事(以下、家)」に関する共有機能である。ここでは、個人所有が経済的に難しいハイスペックな家電や使用頻度の低い特殊な機器・用品を安価で使用できることが利便性を高めるカギとなる。家事の外部化および高品質化により、自宅での物品の所有は最小化され、自宅の空間をさらに有効に活用できるようになる。そして第4の機能は、自らの趣味を満たす「遊」に関する共有機能である。これはさらに2タイプに分類され、フィットネス、フラワーアレンジメント等の習い事、希少性の高い専門書が揃った書斎、3Dプリンターがあるクラフト工房といったその場所で趣味活動ができる駅と、サイクリング、ウォーキング、菜園などの周辺エリアでのアクティビティの拠点となる駅が考えられる。いずれにしても、個人所有が難しいハイスペックな器具や専門のスペースを利用でき、生活者は「私」の時間を低コストでさらに充実させることが可能となる。

これら「職・育・家・遊」の複数の機能を1つの駅が保有する場合、その機能の組み合わせは、居住者の属性や地域資源などのエリア特性に基づき決まっていくと考えられる。例えば、都心部に近い現役単身世帯が多いエリアにおいては、「職・家」の共有機能の組み合わせが中心になる。利用者は、コ・ワーキングスペースで仕事をし、その間に洗濯を済ませ、仕事終わりにはキッチンで調理し、リビング・ダイニングでリラックスした時間を過ごす。さらに特定の業種・業態における特殊なニーズがあれば、それに応じた機能を追加し、独自性を追求することもできる。

郊外のファミリー世帯が多いエリアでは、「育」の共有機能が加わる。ここでは、親は仕事の合間に子どもの様子を見ることができ、リビング・ダイニングで共に時間を過ごすこともできる。そして、炊事・洗濯も協働でこなすことができるので、「家事の時短」と「家族団らんの時長」の両立が可能になる。地域資源に乏しく高齢化が進んだベッドタウンにおいては、書斎、工房、フィットネスといったシニア層がその場で余白時間を満たすことができる「私」の共有機能と、生活互助を実現する「家」の共有機能が求められる。

また、固有の地域資源があるエリアは、アウトドアのアクティビティなど、「遊」の拠点機能を備える。例えば、川に近ければフィッシング、山に近ければトレッキング、サイクリングや菜園の拠点として、器具のレンタル、所有物の保管、地場の食材を調理するキッチンとそれを食すダイニングが共有機能となる。このように鉄道沿線上に、そのエリア特性に応じたLDKステーションが点在するようになれば、沿線全体で生活者へ新しい価値を提案できる[図表1]

   

LDKステーションの本質的な価値は、機能の「共有」から生まれる「つながり」にある。集まる人々の間に何かしらの「共通項」がある場合、つながりができ、価値共創が生じる。

価値共創が行われる時空間は、購買時点ではなく、消費プロセスそのものに内在する。LDKステーションでの共有機能である「職・育」ではそこで生じる共通の課題が、「遊」では趣味が、つながりを生み出す「共通項」となる。特に趣味は、世代や地域の壁を超え、人々の間につながりを生み出すことができる。この人と人のつながりこそが価値共創を促進する。

また、「つながる場」の成立要件の一つに、「安心」がある。場における安心の源泉は、その場を共にしているのは自分と共通項を持った人たちであると実感できることにある。共通項を認識するためには、各LDKステーションのコンセプトとそれに基づくポリシーを明確に設定することが重要である。

その結果、その場に集まる人のフィルタリングが可能となり、共通項を持った一群が生まれる場が形成できる。そしていま一つの要件は「お膳立て」である。見知らぬ人と簡単につながれる人もいれば、そうでない人もいる。後者の方が一般的であろう。たとえ最
初の段階では共通項が希薄であっても、多くの人はきっかけさえあれば最初の壁を乗り越えられる。そのきっかけをつくるのが「コミュニティ・マネジャー」である。

コミュニティ・マネジャーは、共通項がありそうな人同士の紹介や、大小さまざまなイベントを企画することによって、つながりを演出するとともに、ポリシーの守護者として、規範を示し続ける役割を担う。その結果、「心地よくつながる場(価値共創の場)」が持続的に成長していく。この心地よくつながる、「縛られないが、つながる」ことができる場がLDKステーションなのである。

 
 
 
 

事例紹介
─「私」が参加する新たなまちづくり 「下北線路街」─

ここで、新たな「まちづくり」の開発事例として、小田急電鉄による「下北線路街」を紹介する。

これは、小田急小田原線の代々木上原駅から梅ヶ丘駅間の鉄道地下形式での連続立体交差事業および複々線化事業によって、線路が地中化されることができた鉄道跡地の開発計画である。この開発の特徴は、従来の開発とは一線を画した「支援型開発」を打ち出していることだ。これについて、小田急電鉄から発信されたニュースリリース(2019)から紹介すると「開発コンセプトは『BE YOU.シモキタらしく。ジブンらしく。』としており、下北沢の魅力を未来へ息づかせながら、さらに多くの方がつながり合い、それぞれが心地よい場所を増やしていくために、『サーバント・デベロップメント(支援型開発)』というスタイルで、地域の方々と一緒に街をつくっていきたいと考えています」と述べてある。

まさに「私」が、「まち」をステージに、他者と社会につながりながら、まちづくりを共創していくことを目指しているのである。従来のまちづくりは、開発側が主体者となり供給者となって、生活者はそれを受容するといった一方通行の関係であったが、「下北線路街」は、生活者自身が「まち」の価値の生産者であり供給者となり、開発側はそれを支援するいわば「黒子」といった、従来の開発側とは全く違うスタンスの「まちづくり」なのである。

その仕掛けの一つとして、「まち」をキャンパスにした学生寮「SHIMOKITA COLLEGE(シモキタカレッジ)」がある。これは、居住者が日々の生活や地域・企業との関わりの中で成長していくきっかけをつくるとともに、下北線路街をはじめとした「まち」の活性化にも寄与することを目指すものである。

また、新たなチャレンジや個人の商いを応援する長屋「Bonus Track(ボーナストラック)」もユニークな仕掛けである。これは、店舗・住宅一体型のSOHO4棟と、4店舗の商業棟から成る新たなスタイルの商店街を目指すもの。地域に根差した「ローカル」、社会課題解決に資する事業を展開する「ソーシャル」、ファッションや本、音楽などの文化を発信する「カルチャー」に関わる個性的なテナントを混在させることで、これからの不動産施設のあり方を探っていき、社会的意義の追求やエリアの価値向上を図りたいと開発者は語っている。

そして、生活者が主体となる活動の場としての象徴が「下北線路街 空き地」となる。これは「みんなでつくる自由なあそび場」をコンセプトにしたオープンスペース。人がつながり合って、それぞれの心地いい場所が増えていくためのきっかけづくりや、新たなチャレンジを後押しできる場となることを目指し、具体的にはキッチンスペース、キッチンカー、イベントスペースなどのレンタルスペースを設け、「やってみたい」や自由な発想での楽しい仕掛けを応援していくものである。

以上のように、開発者が主体ではなく、生活者の能動性を引き出す「お膳立て」をすることによって、生活者に芽生えている「つながり」への欲求を満たしつつ、「私」が響き合う共創によって、「まち」の持続可能な価値づくりを目指すといった、新たな「まちづくり」への挑戦が始まっており、これからの「まち」の開発のモデルケースであると考えられる。

 
 
 
 

これからの価値のつくり方 ─価値のリノベーション─

以上、新たな駅のコンセプト「LDKステーション」の提言、新たな「まち」の開発事例を紹介したが、今後のまちづくりにおいては、大型投資によるハードの開発は難しい状況であるといえよう。その理由は、そもそも経済成長が見込めない「定常型社会」な上に、自然災害の甚大化やコロナ禍など不確実かつコントロールが難しい環境下であるためである。また、「私」が多様化し、それによってセグメントが細分化され、かつトレンドのライフサイクルも短くなっている状態であることも関係する。よって、そこへの適合のために大規模な投資を行うことは、非常にリスクが高いのである。

特に、ハード中心のまちづくりの場合は、時間軸での価値でいうと、開発された段階が最高の状態であり、あとは価値を減少していくことになる。それは、価値を維持するためには、「リニューアル」といった投資が必要になり、それを定点的に実施していかなければならないことになるため、持続可能な「まちづくり」とはいえないと考えられる。

そこで、これからの価値の作り方として、提言したいのが「価値のリノベーション」である。通常、リノベーションという言葉は建築や不動産の領域で使用される用語である。一般社団法人リノベーション協議会ホームページによれば、「リノベーションとは、中古住宅に対して、機能・価値の再生のための改修、その家での暮らし全体に対処した、包括的な改修を行うこと。例えば、水・電気・ガスなどのライフラインや構造躯体の性能を必要に応じて更新・改修したり、ライフスタイルに合わせて間取りや内外装を刷新することで、快適な暮らしを実現する現代的な住まいに再生」すること、と定義されている。

このように、リノベーションという言葉には、古くなったり、壊れたりして使えなくなったものや時代に合わなくなったものなど、時間軸において「負」とされる状態を、現在における価値に変換する、という意味合いがある。

つまり、そこに知恵やデザインが投入されて、新築では味わえない素敵な魅力のある住宅に生まれ変わるのである。そこには、中古住宅における「中古」の意味が否定されることなく肯定的に別の意味に変換され、それがゆえにユニークな価値が創出されるプロセスが見てとれるだろう。同様に、「まち」には、顧客や社会にとってユニークな価値に意味転換されるチャンスが存在すると考えることができる。

[図表2]は、価値がリノベーションされるモデルを図示したものである。このモデルでは、事業者サイドとユーザーサイド(顧客や社会など)との相互作用によって、価値がリノベーションされる、と考える。事業者サイドとユーザーサイドそれぞれの認識がリノベーションされることによって、お互いにそれを「伝達」し「解釈」し合う中で、元々「負」であった事象に基づいて、「既存の価値認識」が更新され続けるのである。当然、この更新バリエーションの可能性は、人間が持つ認識の数だけ無数にありうる。事業者サイドから「認識のリノベーション」が始まる場合もあれば、逆にユーザーサイドから「認識のリノベーション」が始まる場合もあるだろう。結果として、両者の共創によって、価値のリノベーションは駆動していくのである。

   

以上、「私」の変遷から、「私」の中に芽生えた「つながり」への欲求、「まちづくり」における「私」がつながることによる価値共創について述べてきた。「つながり」への欲求は、未来が不確実な状況下において、ますます高まっていくだろう。そして、「定常型社会」における持続可能な「まちづくり」においても、共創による「価値のリノベーション」が重要になってくると考えられる。そのためには、事業者は、「私」を観察・傾聴し、「私」が、その「まち」において何を共通項につながり、共創し合えるかを導き出し、価値創造していくことが、今後ますます求められてくると私は考える。

〈参考文献〉
山崎正和(1987)『柔らかい個人主義の誕生 消費社会の美学』中公文庫。
三浦展( 2012)『第四の消費 つながりを生み出す社会へ』朝日新書。
尾原和哲(2017)『モチベーション革命 稼ぐために働きたくない世代の解体書』幻冬舎。
広井良典(2011)『創造的福祉社会─「成長」後の社会構想と人間・地域・価値』ちくま新書。
田村高志・吉村寿恒・臼井哲也(2020)「未来の駅が創造する価値の研究─『LDKステーションと沿線多拠点生活』の可能性」『日経広告研究所報』310号。
小田急電鉄( 2019)ニュースリリース
https://www.odakyu.jp/news/o5oaa1000001med9-att/o5oaa1000001medg.pdf
小田急電鉄( 2020)ニュースリリース
https://www.odakyu.jp/news/o5oaa1000001owqy-att/o5oaa1000001owr5.pdf
https://www.odakyu.jp/news/o5oaa1000001ui4j-att/o5oaa1000001ui4q.pdf
田村高志・古谷奈菜・水師裕( 2020)『Renovation of value 負からのマーケティング』総合法令出版