AIとの幸せな共存社会を描く

2023年9月27日 11:00 Vol.85
   
太田 裕朗
早稲田大学ベンチャーズ株式会社 代表取締役
Hiroaki Ohta
京都大学博士(エネルギー科学)。ローム(株)、京都大学大学院工学研究科航空宇宙工学専攻の助教を経て、米国・カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)で研究に従事。帰国後、2010年にマッキンゼー・アンド・カンパニーに参画。16年にドローン関連スタートアップである(株)自律制御システム研究所(現ACSL)に参画、代表取締役社長として18年東証マザーズ上場。22年より現職。投資先の(株)Power Diamond Systemsの社外取締役、(株)Quanmaticの社外取締役、そしてUCSBの中村修二氏と共同で創業したBlue Laser Fusion Inc.の取締役CTOを兼務。

AIが高度化するにつれ、それを教育する人間の側の価値基準や想像力がますます問われてくる。AIが人間をサポートしAIと共存する、あるべき未来の実現のために、人間はAIに対してどのような視点・態度で臨めばいいのだろうか。
話題となった『AIは人類を駆逐するのか?』の著者に、昨今の目覚ましいAIの進化を踏まえ、改めて話をうかがう。
text: Fumihiro Tomonaga photograph: Kentaro Kase

科学者からビジネスの道へ

—まず経歴についておうかがいします。物理学の分野で研究生活を送っていらっしゃったところから、実業の世界、経営に大きく舵を切った理由を教えてください。

太田 元々、アインシュタインに憧れて物理学をやりたくて京都大学に入学しました。4年生で研究室を選ぶ際に、核融合プラズマの研究をされていた若谷誠宏教授に出会い、そこに入りました。彼は30代後半で京大の教授になった天才で、長谷川・若谷方程式というプラズマに関する独自の理論も構築。

人柄も温厚でそれは素敵な人でした。

しかし先生の下、博士課程で研究を続けていた26歳の時、先生が病で突然、帰らぬ人に。ちょうど大学が独立行政法人になって、独自に資金を集めるべく、先生も奔走されていたところでした。研究室が閉鎖され、研究の後ろ盾もなくした私は、京都の半導体メーカー、ロームに研究職として入社。それから一旦、京都大学に戻った後、ロームの仕事を通じて知り合った、青色LEDを発明した、カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)の中村修二教授に引き抜かれ、しばらく学者を続けました。その間、論文も百本近くは書いたと思います。でも、やはり若谷先生の死を境に、腹を据えて研究に没頭できなかった。そして区切りをつけるべく34歳で大学を辞め、コンサルティングファームのマッキンゼー・アンド・カンパニーに入りました。

   

   

—マッキンゼーを選ばれたのはどういう理由からですか。

太田 マッキンゼーは半導体などテクノロジー業界にも強いんですよ。半導体のコンサルは知識がなければできません。そのほか医療分野など、社内には博士号取得者が多くいました。そういった理系をバックグラウンドとする人材を集めているファームなので、あれだけのバリューが出せるわけです。入社はエージェントの紹介だったのですが、おかげで肌に合いました。

当時、ニュースに出るような半導体メーカーは、ほとんど私が担当していましたね。そこで6年間みっちりコンサルをして、現在のような理系でありながらも、よく喋るキャラクターに生まれ変わりました(笑)。

その後、マッキンゼーの元同僚で、東京大学エッジキャピタルパートナーズ(UTEC)の坂本教晃さん(現UTEC取締役COO)から声掛けがあり、UTECの投資先であるACSLというドローンの会社の経営に参画したわけです。だから自ら大きく舵を切ったという意識はなく、それぞれが少しずつつながって、フィールドを徐々に広げてきただけかな、と自分では思っています。

—現在の早稲田大学ベンチャーズ(WUV)の共同代表の山本哲也さんも、ACSLでご一緒だったとか。

太田 はい。山本さんも元UTECで坂本さんの同僚でした。彼が投資家としてACSLに投資をし、私が社長として共にACSLの経営基盤を整え、上場を果たしたという関係です。

VC(ベンチャーキャピタル)にはGP(ジェネラルパートナー)というファンドの管理運営者がいるのですが、一つのファンドで大体10年ぐらいはコミットすることになり、GPをやっていると、同時にほかのVCに携わることは事実上できません。

だから新たにVCを設立しようとしても、GPを担う人材がなかなか見つからないのが実情です。そんな中、山本さんがUTECを辞めて偶然空いていたところ、早稲田大学の田中愛治総長からWUVの話があり、山本さんから「2人必要なので一緒にやらないか」と誘われて、私もACSLを辞め、こちらに合流したという流れです。

だからWUVでは2人で代表をやっていますが、私は投資自体よりは、どちらかというと投資先の研究や技術開発に関する興味のほうが大きい。日本の一般的な投資家とは少し異なっています。“才能ある科学者たちといろいろと研究の話ができるから、投資家も面白い”といったスタンスです。

   
ACSLのドローン「ACSL-PF2」。産業用として物流や点検で使用される。写真提供:ACSL
   
太田さんがACSL社長を退任した2022年の総会にて。写真右は元ACSL社外取締役で、現在は早稲田大学ベンチャーズの共同代表の山本哲也さん

—そうすると研究者と同じ目線で話ができる投資家は、ほとんどいらっしゃらないわけですね。

太田 私から言うのも憚られますが、そうですね、極めて少ないかもしれません。おかげで私しかできないような案件もある。例えばWUVの最初の投資先となった量子コンピュータのNanofiber Quantum Technologies(NanoQT)がそうです。

“原子と光子のハイブリッド方式による世界初の量子コンピュータ”の実装を目指す会社ですが、創業判断の材料という意味で、この研究に関する論文はまだ1本しかありません。それだけで投資に値する案件かどうか決めるのは、多くの投資家には厳しいでしょう。

前職で手がけたドローンは主に機器の話なので、それほどハイテクというわけではない。文系出身でも理解はできますが、材料や半導体などの領域を本当にわかってやっている投資家は、実は少ないと感じますね。だから私たちがシードで最初に創業すれば、ほかの方々もそれに投資したいと集まってくる。つまり最初にゼロワンのディープテックのテクノロジーに投資し、その分野の箱船となるべく、きっかけをつくろうというのが、WUVの大義の一つです。

ちなみにこれが米国であれば、私と同じような投資家は山ほどいます。セコイア・キャピタルとかコースラベンチャーズとか、名だたるVCのメンバーの経歴を見ると、スタンフォード大学やカリフォルニア工科大学(カルテック)でドクターを取っているとか、国の研究機関で働いた後に自分で会社を起こしていたとか、そんな人材ばかりです。

米国は元々終身雇用ではないし、転職しないと昇進できない。競争も激しい。だから彼らは、たとえ元々が研究者であっても、自分の才能が一番に生きるところにキャリアチェンジをするわけです。私は7回ほど転職して、結果的にそれに近いことになりましたが、日本ではこのパターンで育って、幅広い領域の知見を持った学者であり、投資家である人はレアな存在です。

   
学者としてのキャリア最後の2010年に、カリフォルニア大学サンタバーバラ校の研究者仲間や学生たちと
 
 
 
 

AI開発の現状

—ご著書『AIは人類を駆逐するのか?』の出版が2020年。その後のAIの進歩は目覚ましいものがあります。どのように捉えていらっしゃいますか。

太田 今、感じるのは米国と日本ではAIの研究・開発レベルに桁違いの差がついてしまったということです。関わっている研究者の力量や熱量が全然違います。小学生の頃からプログラミングをしていたような天才がGoogleやAppleには何千人といて、一人年収1億円くらいをもらってしのぎを削っているわけです。

結果、AIモデルの性能を規定するパラメータ数についても、例えば2022年にGoogleの子会社でAlphaGoを開発したDeepMind社が、最大で2,800億のパラメータを持つ言語モデル「Gopher」を発表しました。そしてOpenAIのGPT-3で1,000億個のオーダーのパラメータ数、公表されていないGPT-4では1兆個を超えるパラメータを持つといわれています。それに対して日本がつくっているAIは、まだ数十億程度でしょうか。

今年になって急にAIの新モデルが出てきたように見えますが、それまで米国の企業は着々と準備をしてきたわけです。いつどんなサービスとしてローンチさせるか、様子見をしていた中で、ベンチャーのOpenAIがChatGPT(チャットGPT)を発表。その後、すぐにGoogleもBardで続きました。つまり、とっくにほぼ出来上がっていたということ。日本がAIを使って企業のカスタマーセンターにチャットボットを導入したり、タクシーの配車を最適化したりといった比較的狭い領域に関わっている間に、米国は多様な生成AIを実用化し、大きく離されてしまっていたのです。

—ChatGPTの提供を経た今、米国のAI開発はどのような状況ですか。

太田 米国で起きていることは、ひたすらスケール、要するに拡張です。農業で耕地があれば小麦を1㎡作るのも100㎡作るのも同じ。 車も1台ずつ手作業で組み立てていた時代から、ベルトコンベアで自動化して現在は年間何百万台も製造できます。同様のことがAIでも起きています。

最近、時価総額1兆ドルを超えた半導体メーカーのNVIDIA(エヌビディア)。その300mmのシリコンウェハーでつくられた最先端の半導体が飛ぶように売れ、それを並べてラックに収めた巨大な建屋のデータセンターが次々と建っています。無限に拡張されていくような勢いを感じます。

段々とスケールが効いてくると、AIのディープラーニングのためのニューラルネットワークの多層構造がより複雑化され、コンポーネントの組み方のバリエーションが広がります。それらをどう組み合わせればAIの処理速度が上がり、何ができるようになるのか、日々、天才たちが研究に取り組んでいるわけです。あと10年以内には、条件を与えて文章を書かせるとか、病歴とCT画像から病気を診断するとか、元々過去の学習データが揃っていて、それを活用するようなものに関しては、ほぼ完成するのではと考えています。

そして現在の最先端の研究としては、AIがつくった生成物を別のAIで判定するなど、対抗的なAIをつくって互いに競わせる。そうしてさらなるレベルアップを図る。あるいは、デフォルトではネットワークの中のパラメータがクリーンな状態から、脳と同様、学習習熟度に応じて機能が向上することが知られているので、例えば一旦、日本語を勉強したAIに次に英語を学ばせるとどうなるかや、文書を学んだ後に、病院のカルテを見せたらどう反応するかといった、いわゆる「転移学習」を試みる。さらには今まで画像と音の処理は異なるAIを使っていたところ、「マルチモーダル」という一つのモデルで異なる種類の複数の情報を処理させる。そして人間に近い高度な判断が可能な、万能のAIを実現する、といったようなことが研究されています。

—AIの進化のスピードに圧倒されますね。

太田 しかし、それに伴い課題となるのが、エネルギー問題です。実はこちらのほうが重要だという気もしています。

私たちはスマートフォンで絶えずさまざまなデータにアクセスしますが、そのデータ取得の背後で大量の計算がなされている。ネット広告の効果を上げるために、各ユーザーにとっての最適化が図られ、バックヤードで莫大な電力が消費されます。スケールが拡張するにつれ、規模にもよりますが、1個のデータセンターで小型の原子力発電所1基分くらいの電力を使うといった状況になるのではという議論が始まっています。

AIの普及が進めば、コンピュータの冷却に必要な電力もさらに増えます。現在でも、寒冷な気候を生かし、データセンターが集中するアイルランドでは、国内消費電力の10%ほどをデータセンターの使用が占めているそうです。さらに、今後求められる全ての電力のクリーンエネルギーへのシフト達成も到底難しい。場合によっては、トータルで世界の電力が不足する可能性すらある。ですから、これからの人類の最大の課題はエネルギーだと思っています。実際、核融合や小型原子炉、再生エネルギーといった新たなエネルギー分野への投資も盛んになってきています。

—後発の開発途上国などを含めれば、世界の全世帯に電気が通っているわけではありません。なのにデータ処理などに使う電力が特に増えていることを鑑みると、地球上のエネルギー配分がとてもいびつに感じます。

太田 確かにすごく歪んだ現象というか、データが大量のエネルギーを“食べる”時代になっているわけです。なぜそうなるかといえば、電力を特に多く使うのは、例えばヘッジファンドやビットコインのマイニング業者とか、新しい情報に価値を見出す人たち。つまり、それがお金につながるからです。

我々日本人は結構疎くて、何が儲かるかなどあまり気にせず、比較的安い給料でもコツコツ真面目に働きます。しかし世界にはGAFAMに代表されるIT関連企業の経営者や役員、創業者など、もっと巨額の資金を動かしている人々がいます。彼らは億をはるかに超える資産を持っているので、普通の人とは目線が違う。

だからAIにしても、それが金銭リターンにつながる可能性があるとわかれば、相当な資金がかかっても必ずやり切ろうと、覚悟を決めてやっていますね。

 
 
 
 

自律するAIの危険性

太田 さらにもう一つ、今後、懸念される課題があります。それがAIの自律です。自律は自動とは全く異なるフェーズ。自動はあくまでも、全て人間が与えたアルゴリズムに則って動く一方、自律はAIが独自に自ら判断を行います。

以前はAIのデータ処理の過程は全て把握できていましたが、今の高度なディープラーニングでは段々と追えなくなってきています。そこでブラックボックスができてしまう。データ処理だけなら単に計算途中が省略されている状態なので、放っておいても構わないですが、判断まで任せてしまうと、私たちが制御できなくなる可能性が出てきます。

そしてそんなAIが身体性を獲得してリアルの世界に出てくると、動いて人間に干渉し、場合によっては襲ってくるかもしれない。その先には自律兵器の誕生まで考えられます。自律するAIを目指すことは人間の当然の欲求かもしれませんが、自動化とは明確に区別し、覚悟を決めて向き合う必要があるのです。

実際、この前も米国でシミュレーション上とはいえ、兵器が自分の基地に向けて攻撃を仕掛けた事例が記事に出て、騒ぎになっていました。なぜコンピュータがそういった判断を下したのか。「味方を撃たない」と教えたはずなのに、どこかに計算的な抜け穴があったわけです。例えば「自分たちの生存率を上げる」といった別のルールで解いてしまうと、間違いが起こる。味方の中にスパイがいる可能性が高いと計算した場合は、
「スパイは味方じゃない」という論理で、「味方を含めてスパイを撃ったほうがいい」という判断にもなりかねない。

そういう可能性を秘めたAIといかに共生するか、今後真剣に考えていかなければなりません。

—AIの暴走を止めるには何が必要でしょうか。

太田 もちろんAIへの徹底した教育が求められますが、それでも100%暴走しないという保証はありえません。これは究極的には、倫理につながってきます。「AIに何を教えるか」あるいは「教えないか」、それが人類の最重要課題かもしれません。

自分は何を基準に生きるのか、幼い頃にきちんとモラルに関する教育をされたかどうか、そんなことが大切になってきます。ちなみに私は投資家として人を組織する際、能力やキャリアが申し分なくても、人間として不可解な部分がある者とは組まないようにしています。自分が知らないところで異なる判断をされることが、最も問題を生じやすいからです。これまでこうして結果を残せたのも、周囲の仲間をそういう基準で選んできたことと無関係ではないと思っています。

   
太田さんの著書『AIは人類を駆逐するのか? 自律世界の到来』(幻冬舎メディアコンサルティング/2020年)。これから人間はAI に何を授け、どう対応すべきか。自律したAIの出現を見据え、AIと共存するための未来社会のビッグピクチャーを描く
   
早稲田大学ベンチャーズの共同創業者、山本哲也氏との共著。人類の進化のプロセスの一要素でもあるイノベーション。不確定な世界の中、求められるイノベーションを起こすためのキーアイデアとは。『イノベーションの不確定性原理 不確定な世界を生き延びるための進化論』(幻冬舎メディアコンサルティング/2022年)
 
 
 
 

クリエイティブの時代

—では使い手側としては、今後AIをどのように利用すればいいのでしょうか。

太田 どれほどAIが普及しても、使う使わないを決めるのは自律した私たち。ChatGPTが出した解答にも「なるほど。理解できるけど僕はこうしよう」とか、「答えがあるなら、それでやって」と流すとか、それぞれが判断をすればいい。楽に効率よくできるなら、そこはAIに任せ、あとは趣味に励むなど、いくらでもやりようがあります。AIは以前のデータを学習することで、結局は私たちが何十時間かかければ出てくるものを、1秒で出してくれるのが便利なだけですから。

ところが例えば経営は、そういう点で判断が最後に残るので、これからも絶対にAIに任せられないと思います。オープンな市場があるなら、全部ルール化してやれるだろうと思うと全く違う。途中でaかbか、どちらの判断を選ぶべきか、大きく2つに分かれる特異点が必ず出てきます。aとbが従来のルールでは確率的にほぼ同じに見え、AIでも最後はサイコロを振るように選ぶその部分。それこそ人間が意思決定をすべきところだと思います。そこにはルール化できない判断や価値観が必要なのです。

—ルールのあることをAIに任せればいいと考えるわけですね。

太田 そうです。ルールに則ってやる仕事は、元々がルーチンワークだともいえ、そこを簡略化・省力化するのは当然です。

私は米国で立ち上げたあるベンチャー企業で今、弁護士に依頼して特許を申請していますが、請求項だけは自分で書きます。請求項とは、その発明を特定するために記載する事項。それは私が決めます。なぜならば特許にしようというわけですから、それ以前のデータがない。ルールもないので、アイデアの根幹は自分で考え、表現するしかありません。

しかしその後に続く補足資料的な文章は、ChatGPTを使って書いています。こうした作業は昔は懸命に資料を調べて、3日くらいかかっていました。それが一瞬で終わってしまう。世界にある文献の一番いい部分を勝手に抽出してもらえるのです。これは全然脅威などではなく、効率が改善されただけ。

AIを活用すれば、人間は “したいこと”にもっと集中できるのではないでしょうか。

—ある種、クリエイティブな領域が残るともいえますね。

太田 そういうことこそ面白いと思います。AIが作成すると当たり前のものはできても、物足りなく感じるかもしれません。人類が過去に生み出したものなので、どこかに既視感が出てしまう。そういったものは価値の逓減も速いけど、本当に面白いものは長く残ります。新作に挑むなら、今までにないものを生み出すよう努めるべきです。人間の脳は、そういう努力を心地よい刺激として受け取るようになっているはずですから。

そのほか例えば裁判なども、AIで結論を出したら100対0で判決が明らかなものは、法廷の審理を省く。すると余分な労力が減り、スピーディに結審できるようになる。そしてより複雑で重要な審議に時間をかけられます。あるいは広告表現などであれば、人の心を打つ感動を伴うもの、逆に超難解で真剣に考えないと理解できないようなものなど、エッジが効いたり、クリエイティブが発揮されているものが、より評価される時代になるかもしれません。

   

 
 
 
 

求められる仕事とは

—安心できるもの、無難なものが求められる場合は平均化や漏れがないアウトプットをAIに任せる。他方、楽しみたい、刺激が欲しいなどの異なる軸が求められる場合は、人間がやるべきだという気がしました。

太田 確かにそうですね。そのように考えると、概して日本人は平均的なものが好きだから、AIに対してことさら騒ぐのかもしれません。漏れがないことが日本の教育では重んじられており、私たちも知らず知らず、そういう発想になっている可能性があります。だからそこをAIに取られてしまったら、自分たちの仕事がなくなるのではと、つい思ってしまうのかもしれませんね。

他方、米国人はそんなふうには全然思わないでしょう。AIが作ってくれた文章をコピーして必要書類を作成しよう。論文だってAIで全体を構成させてから、味付けしよう。そのほうがかえって、オリジナリティを高めるための思考に時間を使えるから、と考える気がします。

私が研究生活の中で気づいたのは、日本にある、何でもきっちり積み上げていこうとする傾向です。日本人には丁寧に文書を読み込む文化が根付いています。しかし、あくまで個人の意見であり偏見かもしれませんが、米国人にはそんな余裕はないように見える。私がいたUCSBの中村教授の研究室でも、ほかより先を行くために、新しく出た論文はその日に読む。そのスピードについていけずに、今読めなければ、もう読む暇が
ないわけです。

一方、日本に素晴らしい教授がいても、じっくり丁寧にやっているようでは、狭い分野にとどまってしまう。米国の教授たちは、初めから社会への波及が期待されるものを狙って研究しているので、論文がサイティングやレファレンスされる回数も格段に多い。日本が数百件程度だとすれば、数万件となるような論文が生まれています。

同様にビジネスにおいても「きちんとAIのメカニズムを考えましょう」の前に、米国では体育館ごとデータセンターにしてやっていこうというスピード勝負。これこそ資本主義なわけです。だから「AIが来ているなら、それを使ってしまおう」「使い倒そう」で、何も気にしていません。AIの分野において、このままでは日本が米国に負けてしまうのではと、とても憂慮しています。

—どのように変えていけばいいのでしょうか。

太田 俗にいう“つまらない仕事”を、日本人はやりすぎているような印象があります。仕事として、本当に何が必要で何が不要か、改めて考え直すタイミングのように思えます。労働力不足が喫緊の課題である日本こそ、本当はAIを積極的に研究・活用し、仕事を選別したり、効率化を図ったりするべきです。

米国の大学の場合、多様な職性があって、昇進して教授になりたい人ばかりではありません。例えば趣味の山登りをして、その合間に大学に行って、研究者として装置を管理するといった仕事だけをやっている方もいる。それでも自分が設計するとおりに時間を使っているわけですから、自信を持って、毎日楽しそうに過ごしています。そんな方々が外国にはたくさんいます。

一方、日本ではホワイトカラーを志向する人が多い。結果的に外国に比べて、AIに取られそうな仕事をそもそもやりすぎているように見えます。暑い日中、屋外で行う建築の仕事は重労働かもしれないけど、必要不可欠な仕事だし、AIでは絶対に代替できません。冷房の効いた部屋で退屈な仕事をするよりも、給与が十分であれば、そのほうがよっぽど充実していそうです。

これは一概にジャンルで決まるわけではなく、判断したり価値を生み出したりする仕事は、どんな領域にもあります。それを極めようとすると、ある種、各自が芸術家に少しずつ近づくのかもしれません。日本は今までクリエイティビティを重視しなさすぎた。全ての仕事にクリエイティブを発揮すれば、「AI恐るるに足らず」です。

私も投資家として、努めてクリエイティブを大切にしています。自分のポリシーとしては、別のインキュベーションファンドが投資した会社には投資しません。社長選びから自分でやって、組織がうまく機能するように、ほかの人材も自分たちで設計して仕込みます。一方で、「そうじゃない。僕はファイナンスを重視して投資します」という人がいる。しかしそういう定量的にわかる範疇で投資する手法は、将来的にはAIに取られてしまうのではないでしょうか。

 
 
 
 

これからの教育のあり方

—次にお聞きしたかったのは、教育についてです。これからのAI時代に向け、教育はどうあるべきだと思われますか。

太田 変革を迫られているのは明らかです。例えば、まず授業は最初の10分ぐらいは黒板を使わずに、全国共通で同じ内容の録画授業を生徒がタブレットで視聴。その後、練習問題を解かせます。先生はそれを確認して集中力や理解度を見ながら、フォローアップをする。そんなふうにAIと組み合わせれば、より個別の生徒に合った細やかな対応ができるはずです。

そこでは、行き詰まっている子には下の学年の復習をさせたり、理解の早い生徒には次の応用問題に挑戦させたり、場合によっては教室から出て遊んでいてもいいとか。差は出ますが、何もかも一緒にやる必要はありません。また、これは国家の戦略にも関係してきます。極論ですが、後れを取っている子を減らして底上げするのか、できる子をさらに伸ばすのか、といったようなことも真剣に議論してほしいと思います。

—学校の現場では先生の数が足りず、負担も大きくなっていますが、AIで何か改善すべき点はありますか。

太田 教育もルーチンワークとクリエイティブに絶対に分けて考えるべきでしょう。全ての子が塾に行けるわけではないのですから、もちろん、義務教育では学校で重要な科目は網羅して教えなければなりません。しかしながら現在の先生たちは、科目を教えることに時間や気力を使いすぎているのではないでしょうか。

ChatGPTに代替できることがあれば任せる。米国ではみんな使っているのに、逆に小・中学校で使っておかなければ、将来、困ったことになります。ある決まった場面では「レポートへの使用は禁止」などルールを作っておいて、活用すればいいわけです。

すると中には「先生は手を抜いている」とか「不公平だ」とか言う親御さんも出てきそうですが、ここは、日本人的な律儀さ、真面目さなどを一旦忘れて、考え直すことも必要だと思います。豊かな江戸文化などからも知られるように、日本人の根底にある文化的な精神は、本来はもっと自由でオープンなはず。これからAIを教育にうまく活用することで、先生と生徒が一緒になって、クリエイティビティを少しずつ高められるように願っています。

—最後に、太田さんの描く、AIと共存するポジティブな未来を日本で実現するために、改めてメッセージを頂けますか。

太田 繰り返しになりますが、AIについてあまり構えすぎずに、自然に受け入れればいいと思います。そして今までの慣習や惰性、古いものを偏重する固定観念などを見直し、つまらないものはAIや機械に任せ、本当に大切なものにリソースをアロケーションする。そうしてより価値のあることに時間を使うようになると、必然的に日本人が取り組むさまざまなことがずっと面白くなり、それが世界にも波及していくはずです。

もっと新しいものに目を開いてくれることを期待しています。

AIの登場は、このところの日本社会の“内向きな風潮”を変えられる、絶好のチャンスなのではないでしょうか。

早稲田大学ベンチャーズ株式会社