野心系アトツギが日本経済に地殻変動を起こす

2020年3月25日 11:34 Vol.71
   
山野 千枝
一般社団法人ベンチャー型事業承継代表理事
Chie Yamano
1969年生まれ、関西学院大学卒業。大阪市、大阪府、近畿経済産業局をはじめとする行政のベンチャー・中小企業支援に20年以上従事。 「家業の10年後のメシの種をまく」をコンセプトに、承継予定者を対象に新規事業開発を目的としたオンラインサロン「アトツギU34」を運営するほか、 全国各地の自治体からの依頼でベンチャー型事業承継支援を展開中。会社の歴史を活用したブランディング企画や技術開発型ベンチャーの広報支援を手がける(株)千年治商店の代表も務める。関西大学「ガチンコアトツギゼミ」非常勤講師。大阪市立大学学長特別顧問。

中小企業の後継者不足が指摘されて久しく、また中小企業の廃業件数の増加が日本経済へ与える影響も大きい。そのような中、ユニークなプログラムを通じて跡継ぎの若者への支援活動を行っているのが一般社団法人ベンチャー型事業承継だ。その代表である山野千枝氏に、地域経済をつなぐ事業承継のあり方について、話を聞いた。

一般社団法人ベンチャー型事業承継の設立まで

― 提唱されている「ベンチャー型事業承継」とは、どのような概念なのでしょうか。

山野 親の事業を子が引き継ぎつつ、それを発展させて新しい商品やサービスを開発したり、違った分野に進出したりといった、ベンチャー企業的に事業を展開していくことです。わかりやすく「アトツギベンチャー」とも言っています。

私は2000年に、大阪市経済戦略局の中小企業支援拠点「大阪産業創造館」に創業メンバーとして参画し、編集長を務めていたビジネス系のフリーペーパーで地元の中小企業を紹介していました。「面白い会社があるぞ」ということで、ユニークな商品やサービスを展開する企業に話を聞くのですが、起業家やサラリーマン社長と跡継ぎ社長では、マインドに明らかな違いがありました。跡継ぎ社長には「自分は会社を預かっている」という感覚があり、「おじいさんが裸一貫から立ち上げた会社を、おれの代で潰すわけにはいかん」といった気持ちが強く、新しいサービスや技術革新も、会社を存続させるためにやっているという人が多かったんです。

メディアでは、「親の跡を継ぐのは自分で努力していないボンボン」とか、「親の借金を背負わされたかわいそうな人」などと、非常に薄暗いイメージで語られていますが、実際に私が自分の目で見たアトツギたちは、必ずしもそうではありませんでした。そのギャップを目の当たりにし、「家業の後継者として使命感を持って経営している人たちや、自分の代で新しいビジネスを始めたような人たちは、もっとリスペクトされるべきではないか」と感じて、一般社団法人ベンチャー型事業承継を2018年に設立しました。

   
一般社団法人ベンチャー型事業承継の設立メンバーには、そうそうたる顔ぶれが揃った。右からfreee(株)代表取締役社長・佐々木大輔氏、(株)All Personal代表取締役・堀尾司氏、山野氏、(株)大都代表取締役社長・山田岳人氏、(株)マクアケ代表取締役社長・中山亮太郎氏

― アトツギに光を当てることで、イメージの底上げを図ろうと。

山野 世間のイメージというより、アトツギ自身の意識を変えたかったんです。メディアのネガティブな扱い方が、日本の中小企業の後継者難の原因の一つになっていますからね。親から家業を継いだ人たちの集まりでは、「本当は継ぎたくなかったのに」と言い訳しているアトツギも多い。その一方で、「親の会社を乗っ取っていく」というぐらいのマインドで新しい分野に挑戦している人たちもいます。

ベンチャー型事業承継は、親の会社を承継予定の、34歳未満という若手アトツギ候補を対象に新規事業開発を支援することを目的としています。そしてそうした事例を広く紹介していくことで、「若者が家業の経営資源を利用して新ビジネスを始めることもベンチャーだ」という文化を、日本に根付かせていきたいと考えています。私は「野心系アトツギが日本経済に地殻変動を起こす」と言っているんです。大阪の中小企業は同族企業やオーナー企業がほとんど。そして大阪に限らず、日本の会社は大部分が中小企業で、その9割が同族承継ですから。

― 同族承継の中でも「34歳未満」に限った理由はどこにあるのですか。

山野 アトツギが継ぐ家業は基本的に成熟産業であることが多いので、業態を変えるにも新規事業に参入するにも、業績として結果が出るまでに時間がかかります。

ベンチャー型事業承継のシンボルともいえるアトツギベンチャー社長に共通しているのは、20代のときにチャレンジを始めているということ。家業に戻っただけで何の肩書きもなく、誰からも注目されていないときに、実家の工場が終わった後に試作品を作ってみたり、お客さんのところに手作りしたチラシを配りに行ったり、権限もお金もない中で手探りで小さな挑戦を始めたことがスタートでした。皆さん20代で始めて10年経って、やっと今の立ち位置にたどり着いた人たちなんです。

例えば50歳だと「あと10年ぐらいは余力で走り抜けられる」と思ってしまいがちです。一方、今の30歳は、親の商売のままで10年後もやっていけるとは思っていません。そういう危機感と、この年齢ならではの野心がある若い時期にこそ、応援する意味があると思っています。

― なるほど、34歳ぐらいにアトツギの分岐点があるということですね。

山野 そう思います。20代から30代初めは、まだ経営者の親が現役でいる時期です。本業をやりながら新規事業の準備をする体力も時間もある。冒険して失敗したことすら経験になる。これが世代交代をしてしまってからだと、既存事業の維持のために、日々の仕事に忙殺されてしまう。ですから世代交代前のタイミングで、次の事業の種をまいておくべきなんです。

ただ若いアトツギが「新しいビジネスをやりたい」と思っても、経営者である父親やベテランの職員にはなかなか理解してもらえません。そもそも自分と同じ世代の職員など1人もいないことが多いんです。そんな中で孤軍奮闘しているうちに、心が折れてしまう。そうしたケースが本当に多いので、新事業に乗り出すアトツギたちを少しでもサポートしていこうと考えました。

日本企業の事業承継年齢は年々高くなっています。これは少子高齢化と同じく、一種の社会現象です。しかし政府の調査でも「経営者の交代は早いほど、その後の業績がよい」ということがわかっています。若い人のほうが未来への投資に積極的だからでしょう。

メディアの取材を受けたときには、「経営者は引き際を潔くしてください」といつも言っています。50代の息子が専務で、80代の親が社長とか、そんな会社、外から見たらヤバいでしょう。社員だってヤバいと思ってますよ。日本ではまだシルバーヘアの人たちが決め事をする場合が多いですが、その人たちの目に映っている景色は、30代の認識とは大きく違っているんです。それを自覚してほしいですね。そして日本全体で変わっていかないと。

 
 
 
 

オンラインサロンで体験を共有

― では具体的な活動はどのようなことをやっていますか。

山野 ベンチャー型事業承継では、フェイスブック内でオンラインサロンを運営し、若いアトツギたちが集まる場を提供しています。そういう場所があることが重要なんです。地域や会社内で孤軍奮闘しているアトツギたちも、同じ立場の者同士が集まる場があると、お互い励まし合って頑張ることができますから。

そしてそのオンラインサロンには、会員より10歳ぐらい上の世代のメンターもいて、「こういう状況でこういう決断をした。その結果はこうだった」という貴重な体験を紹介してくれています。みんなが体験をシェアする、「体験シェア型コミュニティ」といっています。メンターも体験をシェアするというだけで、アドバイスや指導はしません。

今はどんな情報でもスマホで手に入るので、かつてと違って知識には価値がなくなっています。それより大切なのは体験です。体験をシェアするためには自ら行動を起こさなければいけませんよね。「それができる人が一番偉いのだ」という価値観で運営しています。

例えばベンチャー向けのピッチイベントに出場したアトツギたちは、そのために自分が作った資料をオンラインサロンでシェアしています。「同業者に見られたら嫌だ」なんて思っていない。自分の体験を、これから何かに挑戦する仲間の参考にしてもらおうという風土が根付いています。

   
オンラインサロンのコンセプトは、自ら機会を創り出し行動する「自走」。そこでは実行することに最も価値があるという

― それは仲間意識があるからでしょうか。

山野 それもありますが、今や知識だけでなく、アイデアも意味がない時代になってきています。「アイデアは誰でも思いつく。それより実際にやった人が偉い」というのが、うちのオンラインサロンの考え方です。

世の中にはインフルエンサーが主宰し、そこにフォロワーが群がるサロンが多いと思いますが、うちは運営側が会員に積極的に働きかけるということはしません。勉強会やイベントも、会員が「こういうブランディングを勉強したいから、誰か集まりませんか」と「この指止まれ」でサロン内で発信して、5、6人集まったら、勝手に始めるというイメージ。私たち事務局は、自主練する会員のためのグラウンド整備係のようなものです。

会員同士のコラボレーションもたくさん生まれていますよ。「こんなの作りたいんですが」と書き込むと、「うちで作れます」というレスポンスがあったりするので。

 
 
 
 

アトツギでなければわからない世界がある

山野 2011年からは、母校でもある関西学院大学で、経営者の親を持つ学生だけを集めた授業を始めました。経営者の子どもたちが、家業と向き合う機会を作ることが目的です。

親が商売をしている家の子どもたちはほぼ全員、家業の承継にネガティブなんです。親の商売はもう斜陽で、継いでも先の見込みがないと思っています。ところがアトツギベンチャーとして活躍している社長の話を聞くと、考え方がどんどん変わっていきます。「親と同じことをやるのが承継じゃないんだ」と気づくんですね。先を行っている先輩の姿を間近で見ることが、「おれも家の布団屋で新しいことをやってみるか」と思い直すきっかけになるんです。

― 教育というより意識改革なんですね。

山野 そのとおりです。授業というより、部活のようなノリですね。学生たちはみんな20歳前後。それぐらいの年の子は親とはあまり話しませんよね。とりわけ跡を継ぐかどうかという話は、家ではタブーなんです。学校の友達にもわかってもらえません。そうやって悩みを抱えている子たちを狭い教室に集めて、話させる。それぞれの心のナイーブな部分に土足で踏み込むようなこともあえてやるので、泣き出す子もいますよ。

― ゼロからのスタートアップとベンチャー型事業承継の根本的な違いはどこにあるのでしょうか。

山野 ベンチャー型事業承継の場合、事業のプラスもマイナスもひっくるめて引き継ぐことになります。アドバンテージとしては、現にキャッシュが回っているということですが、それよりマイナスのほうが圧倒的に多いのが現実です。実際にはベンチャー型事業承継のほうがスタートアップより大変だと感じます。

スタートアップのモチベーションの源泉は事業の拡大で、ベンチャーキャピタルから資金を調達してビジネスを軌道に乗せ、成功したらIPOなりバイアウトなりでエグジットすることが前提です。

一方でベンチャー型事業承継では、「会社を存続させること」が最重要です。その視点からは、事業の拡大を急ぐことはむしろリスクなんです。地域に密着して、地味に生き延びていくことが目標で、イノベーションにしても派手なものをぶち上げるより、地味なイノベーションを繰り返し起こしていく。ベンチャー型事業承継が生み出すイノベーションの源泉は、「生き残りたい」と思う経営者の強い意志。自分たちが社会に必要とされ続けるために新しいことを始めるんです。

彼らはスタートアップより重たいものを背負ってやっています。単純な家族愛などではなく、ときには親や家族を敵に回しても会社を守っていかねばならない。そこにはアトツギにしかわからない世界があるんです。「同族経営の家に生まれた2代目のボンボン」みたいに言われるけど、「何億円もある会社の借り入れへの経営者保証の判を、サラリーマン社長が押せますか」という話ですよ。それぐらいの覚悟を持ってみな継いでいるんです。そういうことをもっと社会が理解してほしいと思いますね。

 
 
 
 

アトツギ問題は地方問題

― 話を伺っていると、アトツギ問題は地域経済の課題とも深く関わっていると感じます。私も地方の出身ですが、地元では後継者のなり手がなく、小さな商店などがどんどん消えています。その中でたまに「頑張ろう」という人を見つけても、廃墟の中で1カ所だけ灯がともっているような感じで、「果たして続くんだろうか」と思ってしまうんです。

山野 おっしゃるとおりです。オンラインサロンにしたのは「遠くにいてもつながれる」という点が大きな理由です。アトツギたちと話していると、「地元にはイケてるやつがいない」とよく言います。1人でも誰か仲間がいると全然違うんです。

地方ではガソリンスタンドが一つなくなっても、その地域のインフラが欠けることになるし、小さなショップが地域の人が集まる場として機能していることも。だからといって若い人に「なくなると困るから継いでくれ」というのは酷でしょう。今は就職も売り手市場なので、若い人は都会ですぐ大企業に就職できます。それをやめて家業を継ぐには、よほどの動機づけが必要です。義務感だけでは無理。そうではなく、「今の経営資源を使って何か新しいことをやればいいんだ」という発想の転換をしてもらうことが大事。

ベンチャー型事業承継のオンラインサロンの会員は今、250人ほどですが、まだ会員が1人もいない県や数人という県があります。一つの県で数人しかいないと、リアルでは集まることもできません。オンラインサロンのオフ会には、常に地方からオンラインで誰かしら参加しています。やはり地方の人たちのほうが飢餓感がありますね。地元には仲間はいなくて、「この場所しかない」という思いがあるんです。

大阪の場合も、オンラインサロンの会員は最初は5人だけでした。それが今、50人になっています。当面、47都道府県で計2,000人を目指します。

地方はアトツギベンチャーに期待するしかないんですよ。なぜならスタートアップは都会のものだからです。スタートアップはしがらみがないので、成長するとすぐに、市場が大きな東京に移ってしまう。地方はただ人材を供出しているだけです。

一方、アトツギベンチャーの場合、社員は昔から地元に住んでいるし、その子どもたちも地元の学校に通っている。スタートアップのように簡単には本社を移転できません。地元に根を張って頑張るしかない。自治体がそれを応援しないでどうするのかと思います。

   

   
[図表]アトツギの自走化イメージ
 
 
 
 

不況に強い同族企業

― 山野さんはベンチャー型事業承継の活動のほかに、(株)千年治商店の代表でもありますね。こちらも長い歴史を持っている企業が対象とのことですが、そうした企業にイノベーションを起こしていくという狙いがあるのでしょうか。

山野 千年治商店はデザイン会社で、歴史の長い会社が社史を作ったり、セールスプロモーションをするのをお手伝いしています。ほとんどの顧客は同族承継で続いてきた会社ですね。会社の歴史を活かすとしたら、やはり同族承継が有利だと思います。100年続く団子屋さんがあって、そこをお金で買ったとしても、買ったオーナーが歴史を語るのは難しいですよね。「私の曽祖父があずきの栽培から始めて」といったことを語れるのは、ファミリーの特権ともいえます。会社の歴史をブランド価値に換えていけるわけです。

歴史が語り継がれている会社は、「存続しよう」という意志がすごく強いと感じます。戦後の焼け跡で屋台を引っ張って、とか、オイルショックで倒産しかかって、といったエピソードが語り継がれていると、「この会社を潰してはいけない」というアトツギの意識も強くなります。そういう会社の歴史を残すことが、若い後継者の肩を押す力にもなるんです。

もう一つ、未来の後継者にも必ず危機は起きます。そのとき社史に書かれた歴史が、踏みとどまる力になることがある。そのために「武勇伝は未来の経営者にとって意味がないので、恥ずかしい歴史をメインに書きましょう」と言って、なるべく失敗談とか、経営判断を間違ったことなどについて語ってほしいとお願いしています。ただ、2代目、3代目は「そうですね」と言ってくれるんですが、創業者は難しくて。創業社長は武勇伝を作りたがりますね(笑)。

― 失敗の歴史をつないでいくことが大事なんですね。

山野 会社にはいい時も悪い時もあることが語り継がれているのがファミリービジネスです。いい時も調子に乗らず、悪い時に備える。派手さはないけど、堅実な経営スタイルが特長です。それは過去の歴史から学んでいる部分が多いと思います。一般に非同族企業の場合、景気と業績が連動しやすいとされます。株主のための利益が最優先なので近視眼的な判断になりがちだからです。一方で同族企業の場合、経営者は存続を第一に考え、長期的な視点で経営判断を重ねる。そのため不況に強いといわれています。

私は企業が拡大よりも永続することをベースに経営判断するほうが、豊かな日本への道ではないかと思うんです。スタートアップの人が「適当なタイミングでバイアウトして」などと言っているのを聞くと、どうしても違和感があるんですね。M&Aを全否定する気はありませんが、会社は人の集まりなのに、それをもののように買ったり売ったりして、いったい誰が幸せになるんだろうって。

 
 
 
 

変わりつつあるアトツギたちへの視線

― 関西ではこの5年でスタートアップ支援体制が大きく変わったと伺っています。事業承継についてはいかがですか。

山野 今、「事業承継はお金になる」ということが知られてきて、いろいろな企業が参入しています。以前は金融機関だけだったのが、今は人材紹介やM&Aの会社など、さまざまな業種に広がっています。

事業承継については、「跡継ぎがいないので、やる気のある人に事業ごと売る」というパターンもあります。「サラリーマンが300万円で会社を買う」といった本がベストセラーになったりして、今はブームですよね。私も、本当に後継者がいない場合は仕方がないと思いますが、買収した会社の存続に、経営者がどこまで真剣になれるかは疑問です。

私が知っているベンチャー型事業承継のケースでは、経営者の皆さんは、電卓をたたいたら割に合わない人生の決断をした人ばかりです。「おじいちゃんが一から創った会社を潰せない」という思い入れがあるからこそ、眠っている家業の価値を掘り起こして、新しいビジネスも開拓していけるんじゃないかと思います。

でも電卓をたたいて採算が「合う」と思って会社を買った人は、「合わない」と思ったらすぐに撤退・売却してしまうでしょう。そういう人には会社の歴史とか、創業者の思いとか、関係ないですから。

この30年間の日本は、企業経営に合理性や収益性を追求しすぎたのだと思います。でもその結果、日本全体として幸せになったかといえば、そうではありませんよね。

幸い、ベンチャー型事業承継の活動に対しては大きな反響があります。地方自治体からは毎日のように連絡が入ってきますよ。私たちのポジションもここ1、2年で激変しています。

昨年行われた日経新聞のピッチイベント「スタ★アトピッチ関西」では、スタートアップとアトツギが一堂に会したのですが、うちのサロンから6人がファイナリストに残ったんですよ。AIやVRを前面に出している最先端のスタートアップと一緒に、水産加工業とか、軽貨物の運送屋とか、西陣織の工場とか、ベンチャー感ゼロの業界のアトツギたちがプレゼンして、最後はぶどう園を継いだ農家の4代目と100年以上続く法衣専門店のアトツギが入賞したんです。今まで光が当たらなかったアトツギが、そんなイベントへの出場を決断したこと自体がすごいですよね。彼らは家業の未来を語っているわけですよ。

このピッチイベントにしても、もともとはスタートアップだけが対象だったのが、去年初めてアトツギベンチャーの参加が認められるようになりました。そのこと自体が一つの変化の証しですね。こうした機会が増えて「家業を利用して起業する」という事例がどんどん出てくれば、世の中のアトツギへのイメージはもっと変わってくるでしょう。「佐賀県の屋根の修繕工事会社がこんな新しいビジネスをしている」とか、みんな共感するじゃないですか。ユニクロだって、もし代表の柳井さんが実家の洋品店を継いでいなかったら、「世界のユニクロ」はなかったわけですから。

― 東京の人たちも、スタートアップよりアトツギに魅力を感じるようになるかもしれませんね。

山野 そういう人も、少しずつ増えてきていると思います。もし「ベンチャー型事業承継」という言葉が、メディアで普通に使われるぐらい広まったら、それだけ同族承継の薄暗いイメージが変わったということでしょう。そのときは私の役目も終わりで、社団法人も解散していいのかなと思っています。

― いえいえ。日本の地方のため、アトツギのためにも、山野さんにはまだまだ活動を続けていただきたいですね。