テクノロジー社会を推進する 官民連携のビジョン

2023年4月12日 10:28 Vol.83
   
栫井 誠一郎
(株)Publink代表取締役社長
Seiichiro Kakoi
1982年生まれ。東京大学卒業後、2005~11年に経済産業省・内閣官房(NISC)に勤務。官と民、両方の肌感を理解し、つなげることの必要性を感じ、11年退職。2社の起業を経て(1社は共同創業)、長年の“ 想い”を形にすべく18年にPublinkを設立。官民共創のイベント、コミュニティ、プロジェクト支援、メディア事業、新規事業×新規政策の「ゼロセク・インキュベーションプログラム」などを手がける。22年、虎ノ門エリアでの官民共創を進めるため一般社団法人官民共創HUB事務局長に就任。主な自治体向けの実績に長野県「チャレンジナガノ」プログラム事務局など。22年には『Forbes JAPAN』の「日本のルールメーカー30人」に選出。

Web3の活用を前提とするスマート社会へのビジョンが掲げられ、近年、スタートアップをはじめとする関連の新ビジネスも次々と生まれている。しかし最先端の技術を活用し、かつあらゆる人がその恩恵を受けられる社会を実現させるには、複数の視点や専門性の協業が必要だ。とりわけ官と民との連携が重要である。皆が幸せを感じるテクノロジー社会に向け、望ましい官民連携の形やそのためのコミュニケーションとは何か。「官と民との翻訳者」を標榜し、事業を展開する会社に話をうかがった。
text: Masashi Kubota photograph: Takao Ohta

 
 
 
 

バックキャスト思考の背景にあるもの

―栫井さんはどのような経緯で、大学卒業後に経済産業省勤務を選択されたのですか。

栫井 私は東京大学の計数工学科で、光を当てて量子を制御する理論と量子コンピュータについて研究をしていました。研究へのモチベーションは高く、「大学に残ってノーベル賞を目指そうか」とも思っていたほどです。

しかし父から、「大学に残るより、一度社会に出て、視野を広げてから大学に戻った人のほうが活躍しているよ」と言われ、思い直しました。「確かに自分は大学の外の社会を知らない。これまでの延長で研究に専念するより、社会がどうなっているのかを見たほうが、人として成長できるのではないか」と感じたのです。

そこで「自分が一番成長できる機会はどこか」を考えた末、技術職のような特定の職業ではなく、経産省へ飛び込んでみることにしました。

―視野を広げようと考えたわけですね。

栫井 ええ。実は私の場合、自分の死に方からバックキャストして、「どう人生を豊かにしていくか」を考えているのです。

というのも、私は普通の人の半分、1,500gしかない極小未熟児として生まれました。その際、「ちゃんと育つかわからない。障害が残るかもしれない」と言われていたので、その後は「命があってよかった」と、日々実感しながら生きてきたのです。しかし、子どもの頃は喘息持ちで、もやしのように痩せていました。
小学6年生になっても体重が27kgで、人とのコミュニケーションも苦手だったのです。それでも「何か意味のある生き方をしたい。100万人以上の人から感謝されるようなことをして死にたい」と漠然と考えていました。

私の両親は鹿児島県の出身で、祖父は鹿児島で数百人のグループ会社の創業者、曽祖父は鹿児島の地元に石碑が建てられているような名士でした。

第二次大戦後、困窮した人たちに移民を認めるという制度があったのですが、米国・カリフォルニア州への渡航許可を得るためには家を失ったなどの証明書が必要でした。そのとき指宿の頴娃(えい)町長だった曽祖父はその対応を率先して行い、それによって多くの人たちが新天地に移住し、新たな生活を始めることができたといいます。その後、移民として成功した方々がカンパを募り、地元に曽祖父の石碑を建ててくれたのです。

幼い私にとってはそういう曽祖父が誇りで、自分もそんな生き方をしたいと思っていました。「政府の仕事をすることで、理想の死に方に向けたヒントが見つかるかもしれない」とバックキャスティング思考を持っていたことも、官庁に入った理由の一つです。

―今の栫井さんを見ていると、子ども時代の様子が信じられないですが。

栫井 私は高2で脱皮したんです。高校1年生までは人生の暗黒期で、体が弱いので運動も得意ではないし、授業をさぼってゲームセンターに行ったりして、成績もよくありませんでした。コミュニケーション能力も低く、スクールカーストでいえば最下位。「なぜ周りの人たちは、自分を好きになってくれないのだろう」と寂しく思い、毎晩のように泣いていたぐらいです。

それがある時、「おれは自分で自分のことが嫌いじゃないか。そんなおれを人が好きになるはずがない」と思い当たりました。そして「なぜ自分を好きでないのか」と考えてみると、「自分から何も行動していないからだ」と気づいたのです。

そこで「負け惜しみばかり言っていないで、まじめに勉強して東大を目指そう」と思い立ち、何かにつけて自分から率先して動くようにしていたら、段々と周りからまとめ役に推薦されるようになりました。それが「殻を破れば脱皮できる。ゼロからでも飛び込んで行動すれば、それは成長でしかない」と思うようになったきっかけです。

 
 
 
 

縦割り社会の壁を壊す

―経済産業省ではどんな仕事をされたのですか。

栫井 なるべく広い世界を知りたかったので、毎年異動の希望を出して、在職中の6年半で6つの部署を経験しました。

人材室で外国人留学生と日本企業のマッチングを行ったり、内閣府(NISC)に出向して情報セキュリティの問題に取り組んだり、経産省に戻ってサービス産業の生産性向上の政策や、独立法人の法律改正も手がけました。

―独立されたきっかけは何だったのでしょう。

栫井 官庁では多くの部署を経験し、民間企業の方たちとも交流することにより、学生のときには見えなかったものが見えてきました。また一方で、官庁の限界も感じていました。

経産省ではいろいろな政策テーマを扱い、多くの人と対話できます。ただ経産省単独で完結できる案件はほとんど存在しません。考えた政策をいざ実現しようとすると、官庁ごとの縦割りが厳しく、なかなか実行が難しい。例えば、外国人留学生と日本企業のマッチングは文部科学省と一緒に行ったのですが、お互いの価値観が違い、なかなか本音でやり取りできなかった反省があります。

私は元々、いろいろな領域を回って友達を何千人もつくるという夢があったので、中央官庁でのキャリア形成だけでなく、民間企業や自治体の人たちとも交流していきたかったし、「むしろ官庁の外に出て、みんなをつないでいったらどうだろう」と考えるようになりました。「そうやって縦割りを壊して新しい社会構造を作れば、100万人に感謝されるのではないか」と思ったのです。

そして「世の中の壁を壊すことを、ビジネスベースで拡大していこう」と思い立ち、28歳で経産省を退職して独立しました。

―それもバックキャスティングですね。

栫井 ええ。「20代のうちにスキルを磨き、30代前半までに民間で起業して実績をつくり、35歳から官民の交流とネットワーク拡大を手がける仕事をやろう」と計画しました。そこでまずはシステム受注の会社を立ち上げ、プログラミングをしたり、プロマネをまさにOJTで学びました。30歳から35歳は獣医師コミュニティサイトを運営するZpeer(ズピア)を共同創業し、CTO兼CFOを務めました。そして2018年6月、35歳になってPublink(パブリンク)を立ち上げたのです。これらすべては“ 死に方”からバックキャストして選んだものです。

私はこれまでに官僚数百人との間に信頼関係を築いており、霞が関の知り合いが日本一多い人間ではないかと思っています。会社を立ち上げる際は、官民連携の現場にいそうな人たちを順番にお茶に誘って、1年間で100人以上の人に自分の考えたビジネスモデルについて意見を伺い、仮説を磨きました。

皆さん官民連携には興味を持ちながらも、ビジネスとして成立するかについては懐疑的でしたが、私自身は「やれる」という手応えを感じていました。Publinkでは創業以来、おかげさまで5年にわたって官民共創のイベント、コミュニティ事業、プロジェクト支援等を手がけ、今日に至ります。

―栫井さんがビジネスを始められたときに感じた、官と民の最も大きな違いは何でしたか。

栫井 官と民では役割が明確に違う点があります。

行政はルールをつくるなど、パブリックな役割。例えばニュートラルな立場から、競合企業同士を同じ座組に入れ、業界全体を盛り上げていくといったことができます。企業ごとの個別最適を業界全体としての全体最適にして、それが成り立つような環境やルールをつくっていくことができるのは、行政ならではです。

一方で企業が動かないと、世の中は変わりません。行政がいくら「こんな政策をやる」と言っても、実行する企業がいなければ絵に描いた餅。その意味では「世の中の主役は企業、その環境整備をするのが行政」と言うこともできます。

―実際にご自身で起業されて、日本の民間企業の課題は感じられましたか。

栫井 今、日本では「社会的によいことをしたい」という社会起業家と「ビジネスで成功したい」という実業の起業家はセパレートされています。

これは学生のうちから分かれているのです。起業コンテストに出てくる学生たちと政策提言をする学生たちは交流が少なく、お互いに「なんだかな」と思っているようです。しかし、実際には社会に価値をもたらさない会社は成長できないし、ビジネスの仕組みに乗らなければ、大きな社会改革も難しい。

だったらそこを混ぜたらいい。社会とビジネス、両方の視点を取り入れれば、大きな政策や事業が生まれるでしょう。社会的課題の解決とビジネスというのは、ある意味では“ 官と民”の視点の違いを克服しなければなりません。政策サイドは「世の中をよくしていきたい」と思い、一方で企業サイドは「儲かることをやりたい」と考えています。そのまま話しても全然通じないので、共通言語化する必要があるのです。

―お互い違う言語を使っているということですね。栫井さんは「政策と事業の双方を理解し、通訳する」という意味の「パブリンガル」という言葉を使っています。

栫井 「パブリンガル」は、私が思いついた造語です。英語をしゃべれない日本人と日本語をしゃべれないアメリカ人が、少しでも相手の言葉を理解しようと努力するように、官と民が連携するには片言でもいいので、お互いに相手側の言葉でしゃべることが大切。外国語と日本語両方を話せるバイリンガルと同様に、パブリンガルは社会的な価値とビジネス的な価値を両方理解して翻訳ができる人という意味で、我々が運営しているWebメディア「Publingual」の名前にもなっています。

―官と民とでお互い理解し合うためには、何を心がければいいのでしょうか。

栫井 行政の側は自分たちが言いたいことだけ演説して終わるのではなく、「あなた方のビジネスモデルはどうなっていて、どうやったら事業を広げることができて、そのために我々に期待することは何ですか」という、民間のニーズを探る聞き方を身につけるとよい政策につながります。同時に企業のほうは「公務員はビジネスを何もわかっていない」と切り捨てるのではなく、「この人たちは何に課題を感じ、どういう政策目的やミッションを持っているのか。民間でどんな動きがあればその課題解決が進んで、彼らもうれしいのか」という目線で話してみるとよいでしょう。そうすると「うちの会社でこういうことができますよ」といった提案が可能になってくるのです。

行政が「政策に協力してください。協議会に入ってください」とか、企業が「規制緩和してください」と自分の要望をただ訴えるだけでは心が通じません。相互理解は上下関係があると絶対にうまくいかないので、フラットな関係で、「相手は自分たちができないことをやっている」と互いの役割の違いをリスペクトする。そしてギブ・アンド・テイクではなくギブ・アンド・ギブの関係を築けると、初めてお互いの違いが掛け算になって、連携がうまくいくようになります。

 
 
 
 

ロマンを共有する“場”を創る

―違う価値観を持つ相手と協力できる人は、どこが違うのでしょうか。

栫井 ポイントとなるのは、やはり内発的な動機です。お互いの価値観、つまり社会的な価値観とビジネス的な価値観を両立させるために大事なのは、「ロマンを共有する」ということです。

今はWeb3やAIといった言葉ばかりが先行していて、そうした技術の勉強をすると、それで満足してしまう人もいる。しかし、大事なのは「どういう社会を実現したいのか」というロマンであって、技術はそのためのツール、“How to”に過ぎません。

「それでどういう世界を創りたいのか」という“ 想い”がないと、言葉だけで終わってしまい、アクションにつながりません。「こういう社会、こういう産業、こういう世界にしていきたい」というお互いの夢を語って、「確かにそれなら政策としても、事業としてもやりたい」という共通のロマンを感じる必要がある。本
音をぶつけ合って共鳴できれば、官と民という立場を超えて一つのチームになれます。ただ残念ながら、そういう本音のコミュニケーションができる機会が非常に少ないのが現状です。

官僚時代の先輩からは、「昔は官と民が接待の場で、夜な夜な本音で語り合っていた」という話も聞きました。お互いの本音を開示して、それをぶつけ合う中からいろいろな法律や政策、事業が生まれてきたというのです。もちろん官民の癒着はよくないことですが、本音で対話し、ロマンを語り合う場がなくなったことも問題だと感じています。

―接待に代わる、官民が本音をぶつけ合える場が必要ということですね。

栫井 今はそのためにいろいろ試行錯誤しているところです。

私は官民共創を進めることを目的とする、一般社団法人官民共創HUBの事務局長も務めています。Publinkでは、例えば「ゼロセク・インキュベーションプログラム」という、官と民が1対1で語り合う研修プログラムを実施しています。

―それはどういったものですか。

栫井 それぞれやりたい政策や事業を持つ人たちを、自治体を含む官の側と民間から15人ほど集め、官と民が1人ずつペアになって、ワン・オン・ワンでセッションをします。お互いの趣味などから話を始め、話し手と聞き手が20分で交代し、40分間語り合います。違う立場からアドバイスを受けて、政策や事業のプランをブラッシュアップしていくというプログラムです。

プランを話す際は、「自分はこれをやりたい」という内発的動機とWillに基づくもののみに限定しています。「自分は今この部署でこれを担当しているので」という理由は却下。私たち事務局が、「あなたが死んでもやりたいことは何ですか?」などと質問して、何回も思いを掘り起こします。普段、そうした視点で自分の仕事を考える機会はなかなかないと思うのですが、改めて問われ、会話を通じて価値観を自分の中で言語化していき、「自分の本気の思いを確認した上で、今、行動できることは何だろう」と考えてもらいます。

効果は非常に大きくて、このプログラムを経験したことで本気の企画を考えたり、今の仕事に対しても、より目的意識を持って取り組んだりするようになったとの声が、成果として上がってきています。「これを経験して人生が変わった」などうれしい言葉をもらうこともあります。 本音をぶつけ合うことがポイントで、それにより官も民も別の人種ではなく、「こいつ熱いやつじゃん」「同じ感情を持った人間なんだな」とお互いに気づいてもらうのです。官に知り合いがいない人は、極論、官庁では同じ人間ではなく、ロボットのような何か無機質な存在が仕事をしているかのように、無意識に感じている人もいるようで(笑)。同じ血の通った、感情のある、対等な人間であることを知ってもらうことが、スタートだと思っています。そして官と民という、違う強みを持つメンバー同士が心を通わせてギブ・アンド・ギブの関係を築けると、これまでにない行動や価値につながる可能性が広がるのです。実際に、いくつも新しいプロジェクトが生まれています。

   
「ゼロセク・インキュベーションプログラム」で長野県千曲市を訪問
   
設計会社、県庁、中央省庁、都市計画を学ぶ大学院生、Publinkのメンバーで街を歩き、より良い未来とそのために自分たちができることなどを、官民両方の視点で語り合った(2022年1月)

―確かに、あまり論理的すぎる人は「官僚的」と例えられることもあります。

栫井 大企業の社員もそうですが、私は「今の官僚はやることが決まってきていて、自分がやりたい政策ができていないのではないか」と感じています。中央官庁でも官邸主導の流れが強まり、若手には裁量が与えられずに「やらされ感」が出てきているようです。

官僚にはもう一度、「自分は何にワクワクするのか」「何のためにこの職場に入ったのか」という個人的な部分を掘り起こしてほしい。各省庁でも政策テーマを募って、それに予算をつけるということもやっているので、それをうまく利用したり、外の友達とも連携しながらやっていく。もっと人間としての思いを前面に出すことが大事だと私は思っており、官でも民でもそれを後押ししていきます。

―ほかにもそういった取り組みをされているのですか。

栫井 ゼロセク・インキュベーションプログラムに発想として近いものには、「チャレンジナガノ」という名で、長野県庁から受託してここ2年、連続でやっているプログラムがあります。

これは長野県の市町村の職員が、企業に対して地域の抱えている課題をプレゼンし、「その解決のために、自分たちはこういうアセットを提供できるので、こういう企業さんにとって、こんなプラスがあります」とメリットを伝えた上で協力を求めるという、スタートアップピッチに近いプログラムです。

この場合もそれぞれの職員が「自治体のこの部署で自分はこれをやっている」という歯車的な報告をするのではなく、「あなた自身の思いと熱量を思い切りぶつけてください。そのほうが絶対相手に響くので」とお願いしています。

「あなたはなぜ自治体の職員になったのですか?」「これまでどんなことをしてきて、一番ワクワクした熱いことは何ですか?」「そのやりたいことと今回のテーマは紐づいていますか?」といった質問をして、その人の本音を引き出していきます。

―パーソナルな思いが最初に来るわけですね。

栫井 政策であれ事業であれ、本気ではないと実現できません。ただ大組織では強い思いを持った人は潰されたり、変人のような扱いをされることも少なくない。一方では一部の変人たちが個人ですごく努力し、結果を出して出世しているケースもあります。私はそうした変人同士が組織を越えて手を組んで共鳴し、マジョリティになったら、世界は劇的に変わると思っています。

 
 
 
 

人材交流の重要性

―社会の中の壁を壊していく上で、ほかに大事なことは何でしょうか。

栫井 相互理解の上で大事なのは、人材の交流でしょう。日本では多くの組織が終身雇用を前提としていて、外部から来た人に「この組織に慣れろ」と言っています。しかし今は20代の優秀な人など、クリエイティブな仕事をやらせてもらえないとすぐに転職してしまう時代。そういう新しいタイプの人たちに、クリエイティビティを発揮できる環境をいかに提供できるか、企業も官庁も器の大きさを問われています。そうでないと人材流出が続く一方ですから。

―デジタル庁は官民連携をうたって発足しましたが、ご覧になっていかがですか。

栫井 民間の人材を初めて大規模に登用した点は素晴らしいと思います。私自身も20代で内閣官房にいたときには、チームの過半数が民間のIT 企業からの出向者で、皆さんに知見を教えてもらいながら、民間カルチャーの中で仕事をしていました。

その時の経験からも、「もっと民間のスペシャリストから学ぶべきだ」という考えが強くあります。

デジタル庁ではフルタイム勤務のほか週3日勤務の兼業といった変則的な形での参加も認められており、「プロジェクト制にしていこう」とか「組織のビジョン、ミッション、バリューを作っていこう」といった動きもあって、組織設計を含めて民間の知恵を取り入れている。とてもアグレッシブな姿勢だと思います。

ただデジタル庁でもマネージャークラス以上の、大きな決定を行うポジションは生え抜きの官僚を中心にしているようです。そのあたりを変えて、意思決定を含めて人材を多様化させていけば、官民連携はさらに進化するかもしれません。

   
現役の国家公務員のみのコミュニティ「霞が関ティール」のメンバー。省庁、部署、年次を超えて交流するフラットな会。「国家ビジョンを描ける官僚を増やし、霞が関をタブーなき挑戦の場へ」を目的とする(2019年2月)

―栫井さん自身が人材交流のために何かされていることはありますか。

栫井 官民の人材交流に関わるコミュニティを8つほど主催しています。現役官僚が170人入っているFacebookのコミュニティ「霞が関ティール」を立ち上げたり、官僚から民間に転職した人たちのアラムナイネットワークを10年ほど前に立ち上げたりして、そこにも200人ぐらいのメンバーがいます。

また官から民に行ってまた官に戻ってきた“出戻り”の人たちが集まる「Revolver(リボルバー)会」の立ち上げと、事務局をしています。そういう方たちも増えていて、かつそのうち約半分が以前いた省庁とは違うところに移っているのです。例えば「国交省→NPO→経産省」と移ってエネルギー分野で経産省と国交省をつなげたり、「経産省→コンサルティングファーム→総務省」と移って情報通信を担当されている方もいます。

そういう両省をわかる人が少しずつ増えてくると、省庁間の壁をなくす人材として、非常に有用です。私の先輩たちの頃、元官僚は「脱藩官僚」などと呼ばれたりしていました。官僚の再就職については“ 天下り”というイメージが強いかもしれませんが、そうしたイメージも変わりかけており、私はその変化のスピードをもっと早くできればと願っています。

 
 
 
 

動き始めた官民連携

―栫井さんが注目されている官民連携の事例はありますか。

栫井 世界に目を向けると、米国の宇宙開発などでは官民が強力に連携していますね。米国にはまた、軍事用に開発されたものが民間に転用されていく大きな流れがあります。中国のドローン開発なども、国が力を入れる政策とベンチャーの動きがうまくマッチして成功した例でしょう。

Web3関係でいうと、私の知り合いのベンチャーで「奇兵隊」という会社があります。ここはWeb3の分散型インターネットの技術を活用し、「Open Town(オープンタウン)」というサービスを運営して、世界各地で自律的なまちづくりを実現することをミッションに掲げている。例えばアフリカのウガンダの水の乏しい地域で井戸を掘っているのですが、そのための資金をNFTで集めているのです。町の特徴を活かしたNFTアートを販売し、その売上収益をもとに自律的なまちづくりを目指しており、今は埼玉県秩父郡の横瀬町など日本の地方自治体とも組んで事業を進めています。

   

―Publinkさんが関わった事例には、どういったものがありますか。

栫井 弊社が参加している事例だと、三井物産さんとAI事業を行うPreferred Networks(プリファードネットワークス)さんの間で「T2」という合弁会社が実現しました。

これは特定条件下での完全自動運転というレベル4の自動運転トラックを高速道路上に走らせるという、幹線輸送サービスです。ECの普及で配送業務がどんどん拡大し、また物流業界にも働き方改革のルールが適用されていく中、トラックドライバーの不足が加速度的に問題になってきます。そうした社会的な課題をビジネスを通じて解決しようとするものです。

ただ、これを実現しようと思うと5~6つの省庁が関係してきますし、自治体も巻き込まなくてはいけません。どうすればお互いの間にWin- Winの関係を作って進めていけるのか、私たちもワクワクしながら関わっています。

―民間には「技術革新にはスピーディさが求められるのに、制度設計や法整備がそれに追いついていない」という声もあります。

栫井 ベンチャーから見ると政府の動きは確かに遅いかもしれませんが、行政には早く動けるところと遅くしか動けないところがある。それを分解して考えるといいでしょう。

最近まで国交省にいた知人が言っていたのですが、民間の人たちには、「都市計画やまちづくりに関連する新しいテーマは、政府の承認がないと何も動けない。それまでに何年もかかりそうだ」というような、固いイメージが漠然とあるようです。

ただ実際に彼に相談すると、「それならいちいち規制を変えなくても、運用の解釈次第でいけるから全然可能だよ」とアドバイスされることも多い。

法律を変えるには国会を通さなくてはならず大変ですが、告示や通達などでよければ省庁の局長クラスに出してもらえるため、よりハードルが低い。遠隔医療なども、通知や指針などが大きく影響しているようです。

最初から諦めるのではなく、そんなふうに官と民が対話の中で知恵を出し合いながら、うまい方法を見つけていく。そういった世界になれば、起業家も「日本は規制でがんじがらめだから」と絶望せずに、希望を持って行動していくことができるでしょう。

 
 
 
 

あらゆるものをつないでいく

―Publinkさんの今後のビジョンについて教えてください。

栫井 「お互いのWillを尊重することで、組織や国の壁を越えてつながれる」という社会をつくっていきたいですね。Publinkも、私自身が元官僚なので官民連携からスタートしていますが、最終的には官と民に限らず、世の中のあらゆるものをつなげていきたいと考えています。例えば「理系と文系」「日本と海外」などです。

「日本は少子高齢化で先がない」と考える人も多いですが、私は世界の中での日本をやはりよくしていきたいし、そのポテンシャルは今もあると思っています。

日本はさまざまな異質なものを受け入れる架け橋国家になれるのではないでしょうか。日本では世界中の料理が食べられるし、多様な宗教が入ってきています。日本は画一的といわれますが、実は「本質は多様性に富んだ国ではないか」と思っているんです。

“ 和”という言葉も、「同調圧力を感じる」という見方もできなくはないものの、「お互いに相手の気持ちを汲み取ってあげようよ」という多様性の尊重につながる強みでもあります。世界中の人たちが日本に来れば、和の心でお互いを尊重し合ってやっていく。それによってほかにない多様性に富んだカルチャーを生み出すポテンシャルが、日本にはあるように思います。

そして経営者としては、多様性に富んだ社会をつくることを働きかけていく上で、DAO的な自立分散型の組織風土をまずPublink内で実現させたいと考えています。私自身が社内メンバー全員と月に一度必ず面談して、それぞれのWillを聞きますし、新たなプロジェクトの引き合いが来た場合も、それを「お願いします」と割り振るのではなく、「こういう話が来たけれど、あなたのWillに合っていますか?」と必ず確認します。そういった形で社内カルチャーの醸成に努めています。最近は私以外のメンバー同士でのワン・オン・ワンも増えていて、お互いの幸せや価値観、Willに向き合い、相互にリスペクトするカルチャーが確実に定着して広がってきています。

幸い今のPublinkには、お互いをリスペクトし合える人たちが集まってくれて、最高のチームになっていると感じています。私自身も非常に幸せですし、ほかのメンバーも同じではないでしょうか。

今後はその進化を霞が関にもぜひ広げていきたいですね。「政策を実行する歯車」ではなく、「人としての思いをどんどん出していく」文化を根づかせたい。そうすると霞が関から日本が変わっていく、そして日本にそういうカルチャーが根づいたら、日本が架け橋として海外にも共感してくれる人を増やしていきたいし、人と人の思いをつないでいける人材が再生産されるエコシステムを作っていきたい。「そうしたら私も、いい死に方ができるかな」と思っています。

株式会社Publink -パブリンク

   
Publinkメンバーたち。メディア運営、コンサルティング、UI/UXデザイン、営業、カスタマーサクセス等、さまざまなバックグラウンドを共有し、社会への熱い思いで官民共創による社会変革に取り組んでいる(2022年12月)