食が守る地域の暮らしとコミュニケーション

2020年12月25日 15:48 Vol.74
   
米田 佐知子
子どもの未来サポートオフィス代表
Sachiko Yoneda
NPO中間支援組織職員を経て、親子や子どもの居場所活動への助成・運営支援を行う「神奈川子ども未来ファンド」初代事務局長に10年従事。2013年に「子どもの未来サポートオフィス」を設立し、地域で人がつながり支えあう場づくりを サポートしている。神奈川こども食堂・地域食堂ネットワーク世話人、横浜コミュニティカフェネットワーク世話人、子育てひろば全国連絡協議会役員など。東京家政大学・関東学院大学非常勤講師。
   
竹之内 祥子
okatteにしおぎオーナー
Sachiko Takenouchi
(株)シナリオワークにて女性消費者を中心とする消費者研究、マーケティング戦略立案を多数手がける。2015年4月、自宅を改装し、シェアハウス&シェアキッチン『okatteにしおぎ』をオープン。(株)コンヴィヴィアリテ代表取締役。

コロナ禍における学校の一斉休校、特定業種の営業停止などにより、これまでの生活を継続するのが難しくなった家庭も少なくない。とりわけ、満足に食事が取りづらい子どもたちについての報道は、社会課題としての一面を私たちに伝えている。今後、コロナ禍を経て、食を通した社会的なコミュニケ―ションはどう継続させられるのだろうか。以前から、食を通じたコミュニティ活動に携わっているお2人に対談を依頼。今、再確認される「食とコミュニケーション」の価値について意見を交換いただいた。

   
米田 佐知子 子どもの未来サポートオフィス代表
竹之内 祥子 okatteにしおぎオーナー

― 初めに、お2人の食に関する活動について教えていただけますか。

米田 私は、食を介して人が集まる活動に関わっています。元々は、地域の中で孤立しがちな親子がつながれる“親と子の集いの広場”や、不登校や障がいのある子どもたちのフリースペースなど、居場所活動をテーマに活動していました。人が集まると、お互いの関係をつないでいくものとして、食事やお茶は大切で、一緒に食べることで気持ちが緩んだり、心が開いたりするのを目にして、食の持つ力を感じてきました。現在は、子ども食堂や地域食堂など、みんなで集まって一緒に食べる活動や、コミュニティカフェといわれる場づくり支援をしています。

竹之内 私は40年近くマーケティングの会社をやってきました。その中で、2000年代に入った頃、消費者が食に対して何を求めているのかを調べていたとき、共に食べる“共食”に関心を持つ方が増えていることに気が付きました。ただ、そこで既存の商品で共食ニーズに対応しようとすると、鍋の素のようなものや、CMなどでのイメージだけになってしまう。何か厚手のビニール手袋をして物に触っている感じがありました。その後、東日本大震災や「住み開き」(1の本を読んだことなどもあり、自分で場を作ってみようと考えるようになったのです。

 
 
 
 

食こそ、万人に共通のメディア

― その“場”というのが、今回、対談を行っている「okatteにしおぎ」になるのでしょうか。

竹之内 そうです。5年前、子どもの独立などを機に自宅をどうしようかという話になり、せっかくならみんなが集まれる場所を作ろうと、震災支援を機に知り合った、まち暮らし不動産の(株)エヌキューテンゴ(2、設計のビオフォルム環境デザイン室(3と何度もアイデアブレストを行ったのです。回を重ねるうち、私が食の仕事をやってきたこともあって、食を中心にしたまちのパブリックコモンスペースである“つくって食べる、みんなのお勝手”「okatteにしおぎ(以下okatte)」というコンセプトができました。私が実際に食の場に関わるようになったのはそこからです。それによって、先ほど米田さんがおっしゃったみたいに、場を作っていく際に、みんなをつなぐ媒介として“食”が大切な役割をすることがわかってきて……。その後、社会人大学院に入りコモンズ(共有地)としての食の場をテーマに修士論文を書きました。

米田 それはすごい!私は、場づくりの支援はしていますが、1つも運営していないんです。コミュニティカフェをやっている方々のネットワークや、横浜市や神奈川県域の子ども食堂、地域食堂のネットワークの世話人をしています。現場を持っているからこそ見えてくるものと、現場は持っていないけれど、多くを見ているからこそできることやわかること、両方あると思います。そこがちょっとクロスする形で、現場の方々とご一緒しています。

竹之内 米田さんのように全体を俯瞰的に見られる方と、現場で実践していらっしゃる方と、一緒に場を作れるのはすごくいいことだと思います。

米田 ただ、現場の方に教わるというのが基本なんです。場があるおかげで、いろいろな場所におじゃまできて、「はじめまして」でも、食があるとわりとすっと受け入れてもらえるんです。

竹之内 それはよくわかりますね。私もokatteをやろうと思ったときに、エヌキューテンゴ代表の齊藤志野歩さんの「阿佐谷おたがいさま食堂」という活動に参加させてもらったことがあるんです。これは、SNSで呼びかけて人が集まると、近隣のお店で買い物をして、ご飯を作ってみんなで食べるという活動です。参加前は「知らない人ばかりのところに1人で入って話なんかできるのかしら」「ちゃんとご飯を作って食べられるのかしら」と心配していました。でも、実際に行ってみると、異業種交流会のような名刺交換などは一切なく、一緒にご飯を作って食べるというだけで、名乗らなくても話ができたり、意外に深い話をしてしまったり。食が人をつなげる力ってすごいんだと、そのときに実感した記憶があります。

米田 私も、その回に1度だけ参加したことがあって、集まっている人たち全員が知り合いでないことに驚きました。でも、知らない人同士がうまく混じり合って、一緒に料理をしたり、ワイワイやっていらっしゃった。食は誰にとっても不可欠な、それこそ全員共通のテーマ。大勢が集まっても、料理が好きな人、食べるのが好きな人と、それなりにお互いの立ち位置みたいなものがあって、居心地が悪くないんですよ。

食に対するイメージが大きく変わった感じでしょうか。

竹之内 そうですね。食が何かしらの媒体というか、メディアになるようなものだと感じました。

米田 あと、子ども連れの方もいて、あの場には結構な数のお子さんがいました。そうすると、調理する人以外にも、調理には全く関わらずに子どもと遊ぶ、という役割が生まれるんです。それでも、ちゃんとその場に参加している感じがある。イベントなのに、どこか日常感が漂っているから来やすいんでしょうね。食に関して集うからこそ、ハードルが上がらないんです。

竹之内 それは、米田さんが関わっていらっしゃる子ども食堂や、コミュニティカフェでの食に通じるものがありますね。

米田 そうですね。人と関係を結びたいと思っても、「私と仲良くなってください」なんて直接言えないじゃないですか。だけど、例えば、メニューの中で自分が食べたいと思ったものを、同じ空間の中で食べている人が斜め前にいたとすると、ちょっと気になりますよね。深くつながらなくても、食べている誰かと時間と空間を共にしている感じが得られる。コミュニティカフェは、食事やお茶という理由や目的があるから、場や人との関わりの深さを自分で選択できるのです。

竹之内 okatteでも、1人で黙々と何かを作って食べているときもあれば、みんなでワイワイやっているときもあります。人数や作りたい物、場所など、食には全て自分で選べる柔軟性と臨機応変さが備わっているんですね。

 
 
 
 

コロナ禍におけるコミュニティ活動

― しかし、新型コロナウイルスが大流行し、集まって会話をしたり、食事をするなど、人との接触がはばかられる風潮が強まりました。そんな中、個人や地域コミュニティにおける「食環境」、とりわけ、子ども食堂やコミュニティカフェなど“地域社会で共に食を囲む活動”には、どのような影響があったのでしょうか。

米田 子ども食堂やコミュニティカフェは、元来、密になるための場所だったわけです。「密になってはいけない」「集まってはいけない」と言われたとき、自分たちのやってきたことは「不要不急なんだろうか」「やらなくてよかったものなんだろうか」と、そこに携わってきた私たちはすごくモヤモヤしました。「場は開いています。だけど話さないでください。近寄らないでください」と利用者の方に伝えたとき、「もうこれはコミュニティカフェじゃなくなったね」と運営者の方がぽつりとつぶやかれたんです。すごい喪失感ですよね……。

もちろん、休業したカフェもあったし、とにかく扉は開けておこうというカフェもありました。いつもどおりの飲食提供や店で食べることはできなくても、手作りマスクをはじめハンドメイドの小物の販売をしているカフェでは、買いに来た人の安否確認ができますから。そこまで大袈裟なものでなくても、いつも来てくれるあの人は元気そうだとわかる。閉めてしまうのが一番簡単で無難かもしれませんが、毎日感染の状況を見て、開けるか開けないかを悩み、日々つないでいらした運営者もいました。

竹之内 okatteでも、やはり集まるのは難しいだろうと、一般会員の方を対象に一旦閉じたんです。ただ、ここはシェアハウスでもあるため、住人の方がいらっしゃいます。結局、住人の方はリモートワークになって、しばらくはここが在宅勤務の場になっていました。でも、会員の方がokatteの前を通った際に、ここで仕事をしている姿を見て、「あぁ、okatteに人がいて良かった」とホッとしたこともあったようです。

その一方で、okatteに行けないことを寂しがっている方もいらしたので、しばらくの間はZoomを使った「Zoom okattehour」を開き、何か飲んだり食べたりしながら話しましょう、という場を設けました。ただ、Zoomで話をするのと、実際に集まってご飯を食べるのとでは、雰囲気とか手触りが全く違うこともわかりました。それで、どうしようかと考えて、玄関前にガチャガチャを置いたり、青と黄色のokatteカラーのリボンを置き、前を通りかかったらここに結んでくださいと、生存確認みたいなことをやったりしていました。

米田 それは素敵な試みですね。

竹之内 とにかく会員さんに“つながっている”と感じてもらえることをやりたかったんです。事業主の立場からいうと、閉めている間に、みんながここのことをどんどん忘れてしまうのではないか。不要不急の外出自粛が叫ばれている今、こんなものはなくなってもいいと思われてしまうのではないか、すごく心配でした。その心配は今でも多少残っています。

米田 確かに、不要不急といわれるかもしれないから行けない、という社会の空気はある。ただ、これだけどこにも行けない時間が長くなってくると、「そんなものが必要なの?」「やりたい人が勝手にやっているだけでしょ」と言われていた集まりや場が、「いや、そんなことない」「あれはとても大切だよね」と思い直されてきているのを感じます。

竹之内 これは私が個人的にすごく共感したのですが、ジャーナリストの稲垣えみ子さんが、久しぶりに居酒屋に行ったら、すごく楽しいはずなのに、「周りの人がコロナにかかっていたらどうしよう」「自分に症状がないだけでコロナにかかっていて、周りの人にうつしたらどうしよう」と考えてしまった。信じる・信頼するという部分がコロナ禍によって壊れてしまったのを実感した、といった記事を新聞に書かれていたんです。

私もコロナ禍はお互いの信頼関係や、無意識に持っていたものを壊してしまったと実感していたので、稲垣さんの記事を読んだときに響きました。例えば、okatteに来て、みんなで一緒に食事をするということは、言ってみれば、このご飯を食べても大丈夫だという信頼感が根本にある。だから安心して食事ができるんです。つまり、食はお互いの信頼関係がないと共有できないもので、食を共にすることで信頼関係を作っていく部分もあるのだと、今回のコロナ禍で痛感しました。

米田 結局、食は命に直結する話ですよね。コロナ禍以前も衛生面のリスクはあったのですが、そこは自分たちが気を付けて対処していました。けれど、コロナが大きく違うのは、どこまでやっても不安を払拭できない。そういった不安なんです。だから、「本当に、大丈夫なんだろうか……」と思ってしまうと、覚悟を決めるか、やらないかの二択になってしまう。そこに何とかグラデーションをつけて、この程度までなら譲歩できるという位置を見いだすのに、ものすごく時間がかかった気がします。

竹之内 okatteでも8月、9月ぐらいになって、“これをこういうふうにすれば、とりあえずは大丈夫”という基準をようやく作ることができました。周りの飲食店さんを見ていても同じような感じでした。

米田 子ども食堂の場合は、コロナの感染が拡大していったときに「とりあえず次の予定は休止にしようか」と、その程度だったんです。それが、全てが休止モードになってきて、学校休校も決まると、「給食を命の綱にしていたかもしれない子どもにとって、休校は命に関わることだよね」という話になりました。子ども食堂は困窮支援・居場所・食育と幾つかタイプがあるのですが、困りごとを抱える子どもとつながっている食堂の方たちは、すぐにその子たちの顔が浮かび、「これは休んでいる場合ではない!」と。そこで全体の1割くらいは、休まずに、逆に活動の頻度を上げ、スタイルも変え、場を開いていきました。

感染を拡大させないための自粛が必要である一方、自粛が状況を悪化させ、命に関わる事態になる子どもや大人もいるんです。一時期、自粛期間がこれ以上続くと経済が大変なことになる、と盛んにいわれました。経済はもちろんですが、孤立という課題も大変です。少しずつ経済を回すために自粛を緩和していくのであれば、人が集うということに関しても、少しずつ緩和して集まれるようにしていかなくてはいけないはず。人が孤立し、気持ちが落ち込んでいくことでも問題が起こってくると思っています。

 
 
 
 

食がつなぐ心の交流

― コロナ禍を経て、改めて個人や地域コミュニティにとって“良い食環境”とは何なのでしょうか。また、何か気付かれたことはありますか。

米田 今でも不安はありますが、それでも、集まって食べることを再開している子ども食堂、地域食堂さんもあります。ただ、本当に難しい時期には、お弁当を配る、食材を袋に入れて渡すという形で場を設けていました。そのときに改めて実感したのは、食事は人をつなぐということ。ずっと会えていなかったけれど、月に1回、食品を渡すときに様子がわかり、「どうしてた?」と短い時間でも立ち話ができる。みんながちょっとだけ交流して帰っていくわけです。お弁当調理の衛生面に不安があれば、地元の飲食店が作るお弁当を購入し、通常の子ども食堂で提供する価格との差額を助成金獲得で埋めて販売する形をとっていた団体もありました。

竹之内 実際に一緒に食べなくても、お弁当や食材を渡す場でちょっと話をするだけで、気持ちは全然違いますよね。

米田 通常、子育て支援の相談などで食事を介したりはしないのですが、コロナ禍の中で、“フードパントリー”と呼ばれるお弁当や食品を渡す活動が広がりました。子育て支援施設で「こちらで食品を配りますよ」と告知をしたら、そのときが初来所という子どもを連れたお母さんがいらして、ずっと1人で子どもの世話をする暮らしは大変だったと涙を流された。それでも、行政などに相談をしなかったわけです。相談窓口はハードルが高かったのかもしれないし、どこへ相談に行けばいいのかわからなかったのかもしれません。だからこそ、人が何か相談をするときに、食をきっかけにすることの効果を知りました。今までは対人支援と食支援はそれぞれ別々で、という感じだったのですが、これからは少し混じっていくのではないかという気がしています。

竹之内 私も、経済状況などに関係なく、困窮していてもいなくても、1人で家にこもっているとか、家族だけで家にこもっているような方たちが、孤独感を高めてしまったのではないかなという気がします。というのも、okatteを閉めている間にトマトを共同購入して分けようとなった際、直接会わない人もいましたが、私がいるときに取りに来た人と10分、15分話すだけで、私も気持ちがすごく上向いたんです。いらっしゃった方も「ずっとリモートで自宅にこもって仕事をしていて、鬱々としていました。話ができてよかった」と。食べ物は日常の必需品で、そういう物のやり取りの中で「どうしてた?」という話ができるのは、すごく大きいことですね。

米田 共通の体験の中で体を動かすことが大事だと思います。先ほどの竹之内さんの話のように、トマトを大量に購入し、それぞれがここまで足を運んでトマトの重みを感じながら家まで持って帰る。一緒にいたのは数分であっても、みんなは食卓でどんなふうに食べているんだろうかと、その後、それを食べている時間まで、体験を共有しているような意識が持てるのはすごくいい。食材に、その人が届けてくれた、渡してくれたという物語がプラスされる。自分の生活の中や周りに、そういった物語がどれほどあるのかと考えるだけで、直接は会っていなくても気持ちが支えられます。

竹之内 先ほどのトマトの話にしても、それがどこかわからない場所から来たトマトではなく、知っている方が作ったトマトという関係性や、その方がトマトをどういうふうに作ったのかという物語がその中に感じられる。すごく大事なことですね。あと、近所のカレー屋さんが自前で作ったキッチンカーのテストをやるというので、ここのメンバー何人かと一緒に試食会をokatteの駐車スペースでやったら、とても好評でした。そういう外でもできるイベントが、今後増えたらいいですよね。

米田 子ども食堂でも、キッチンカーに来てもらって、子ども食堂に換える活動を一部でやっています。これは地方等ではコロナ禍以前からあったのですが、今のご時世でこういった手法がフィーチャーされています。

竹之内 いろいろなことができなくなったら、またそれとは別の形でできることを探していくんですよ、きっと。外での食事もそうだし、その場所まで行くというのはすごくいいですね。

   
「okatteにしおぎ」は、食を通して人が集う、まちのパブリックコモンスペース。会員は自由に出入りでき、集まって食事を作って食べたり、小商いをしたり、自主的な維持管理・運営を行う。また1階に1室、2階に3室を擁する賃貸シェア住戸でもある。
   
1階のキッチンは飲食店営業・菓子製造業の許可を取得し、ビジネスにも活用可能。http://www.okatte-nishiogi.com
   
太陽光発電システムを備え、雨水を利用するなど環境共生も重視。左下:会員と入居者の憩いの場である1階の板の間&畳のリビング。
 
 
 
 

食コミュニティの連携の可能性

― 最近は、さまざまな分野で異業種や異なるセクターによるコラボレーションのケースが増えています。地域社会での食に関する「コミュニティ活動」という視点において、今後、企業や公共セクター、非営利セクターなどとの連携について、どうお考えですか。

竹之内 「自助、共助、公助」という言葉がありますが、この3つがうまく機能していくのは大事なことだと思っています。例えば、コロナ禍の中で小麦粉が売れたり、自分で料理しようという機運が高まったじゃないですか。そうやって普段ブラックボックス化されている技術を見えるようにして身に付けるのは、もしかしたら1つの自助なのではないかと。それから、みんなで食材を分け合ったり、知っている料理の知識を教えたりするのは共助。あと、先ほどの地域のお弁当の話も1つの共助だと思います。全てを公助に頼るわけではなく、自助・共助に任せるわけでもない。公助は自助・共助をサポートするようなスタンスがいいのではないでしょうか。それで3つのセクターが上手く回っていけば、世の中の“食べる”に関連する課題も少しずつ解決していくような気がします。

米田 私も今回、共助や公助についてかなり考えさせられました。コロナウイルスが流行する前からギリギリの生活をしていた人は、早くに生活が立ち行かなくなり、いっそう大変な状況に陥りました。そのあたりの現実は積極的に報道されず、格差が広がっていることもあまり知られていません。これは今のコロナ禍の課題の1つだと思っています。また、そんな厳しい状況に置かれた子どもたちのケアを子ども食堂がしていると、メディアでも随分取り上げられましたが、全国に4,000ほどある子ども食堂の中で、コロナ禍の中で踏ん張って活動できたのは、実は6割ほど。たくさん広がった子ども食堂の全てがその機能を担えたわけでもなく、市民の踏ん張りはすごく限定的だったんです。

子ども食堂の活動については、私は元々共助だと思っていました。それはシステムではなく、私たちが手放してきた共助を、もう1回、みんなが持ち寄って作り直していく営みであると。それがコロナ禍の中でいきなりセーフティネット扱いされることに、戸惑いがありました。現場で踏ん張ってはいるけれど、「こんなに長く続いてしまうのか」と、段々としんどくなったこともあります。だから必要なセーフティネットは公助でやらなくてはいけないと思います。また一方では、企業が食品を寄付してくださったり、自分は困っていないからと、子ども食堂に特別給付金を寄付してくださる個人など、持ち寄りの範囲は今までより、ひと周り広がりました。

竹之内 経済的に困っていなくても、生活していくこと自体に意欲がなくなるセルフネグレクト状態の人たちは、表からはなかなか見えません。そういう人たちとつながるには、共助なのか公助なのかも難しいところですが、緩いつながりみたいなところでボソッと何か言える、そういう場が必要なんだろうと考えています。

米田 子どもの居場所活動の中でも、「ご飯、食べてる?」という子どもへの声かけがあるんですよ。その言葉の後ろには、相手に関心を持ち、あなたが健やかでいてほしいという、ものすごい願いが込められている。そういう声かけをされることだけで、自分が気遣われているということが、ちゃんと心に届くのだろうと思います。

竹之内 そこに来る1人1人に、そういう声をかけるのがとても大事なことなんですね。

米田 コミュニティカフェをやっている人たちとよく話すのが、「コミュニティカフェって万能ではないよね」ということ。やっぱり、集まる人たちに共通にわかち合える価値観があるから集っているところもあり、それとはちょっと違う価値観を持った人は、なかなかなじめなかったりするのも事実。だからこそ、食のように誰もが共有できるものを介した場所が、自分の生活圏の中にたくさんあってほしいですよね。関係をとどめられたり、深められたり、自分が選べる大小さまざまな場が欲しい。その日その日の自分の状態に合わせてどこに立ち寄るか選べる。そんな街になるといいなと思っています。また、一緒に食べなくても、ご近所さんと顔を合わせて挨拶する中で「●●がおいしい季節になりましたね」と、それだけでも実はコミュニケーションになっている気もします。

竹之内 本当にそうですね。私も近所の店で店員さんと立ち話をしていると、そこにいるお客さんもまた加わってと、街の中のコミュニケーションが少しずつ広がっていくことを実感します。そういったローカルな街の場がコミュニケーションのハブとなり、ハブが多数あることで、いろいろな人のコミュニケーションが成り立つ。結果、街自体を住みやすく、良い街にしていくのかもしれません。ただ、住宅街は昔に比べると開放的ではないじゃないですか。だから、それこそコミュニティカフェのような場所で、ご近所でさまざまな物を持ち寄ってみんなで分ける、そういう集積・集散場所みたいな形になると、すごく面白いのではないかと思います。

米田 そんな場が街の中に増えるのは大事ですね。

竹之内 企業がそういうことに巻き込まれてみるのも、必要な気がします。

米田 ぜひ巻き込まれてほしいですね。実は常設の場所を持っている子ども食堂は限られています。団体の半分ぐらいは月に1回や数回の活動なので、公共施設を借りてやっているのですが、昨今、公共施設で調理して食べるというのはほぼNGなんです。また一方で、例えば薬局の一部分をカフェにしていたり、コンビニにイートインスペースがあったりするじゃないですか。でも、そういった空間があっても、そこをコーディネートする人がいない。だったら、地域の子ども食堂や、認知症の方たちの集まる認知症カフェとか、ケアラーズカフェみたいな、どこか場所を探してやっている人たちに、その場所を提供してもらえないかと。すると店側はより多くの地域の人たちとつながれるし、地域の人は自分たちが交流できた店を別の機会に利用する。そんなふうにお互いプラスになるので、今後、店舗の方にはそういう空間を少しでも設けて、市民の活動に軒を貸していただけるようお願いしたいです。

竹之内 本当に。何か、新しい可能性がありそうな気がします。確か、コンビニで子ども食堂を始めたところがありますよね。

米田 ファミリーマートさんがやっていらっしゃいます。

竹之内 そうでした。そこにまた行政がちょっとかんでくると、面白いかもしれません。

米田 場所や食材を提供してくださる企業と、その場を作っている市民と、セーフティネットとして機能している行政が混じり合いながら、なんとなく共助と公助のグラデーションが成立しそうですね。

竹之内 さらに飲食の仕事をやりたいと思っている若い人がそこに入って来る。そして素敵なメニューを作る。そういったこともできたらいいですね。

   
震災ボランティアをきっかけに、okatteメンバーと岩手県の藤勇醸造が共同で開発・商品化した「十割糀みそケーキ」。県の食品コンクールで2016年に優秀賞受賞。今や釜石ギフトの定番になっている

〈注〉
1)住居や庭などプライベート空間の一部をパブリックに開放し、地域交流などコミュニティ活動を図ること。あるいはその場。例えば私設のギャラリー、カフェ、オープンガーデンなど。
2)https://www.n95.jp/
3)https://bioform.jp/