「大人×学び」を研究する
— 組織開発が専門の中原先生ですが、もともと教育学を専攻されていました。
中原 はい。大学・大学院と、広くいえば「教育学」を専攻しました。当時、教育学といえば、ほとんどが初等、中等教育のことで、高校生くらいまでの子どもを対象としていました。しかし、私は「働く成人がいかに学んで変わっていくのか」ということにとても関心があったのです。20年ほど前の話ですが、その頃は、ようやく教育学の範囲に大学教育が入ってきた程度で、まだ働く大人を対象としていませんでした。そこで、「大人×学び」の研究領域をつくりたいと考えたのです。
しかし、当初は企業の方をはじめ、周囲には全然理解されず、「その研究で、どんな貢献ができるんだ」と問われても、示せるものがありませんでした。20代後半の頃は、「自分という研究者に何ができるのか」と、もやもやした気持ちを抱えていました。
そこで、それらの意見も受け入れつつ、企業の方を中心に、ひたすら営業活動のようなことを続けていきました。「自分はこういう人材で、こんなことができます」というメッセージを、イベントや著作を通して示していったのです。
そうするうちに次第に「うちと一緒に共同研究しようよ」とお声がけいただくようになり、研究と実務の連携も始めることができました。それ以来ずっと、人材開発・組織開発の領域を広げるために活動しています。同じようなことをやっている研究者はいなかったので、どこか「河を渡ってあっちのほうに行っちゃった!」という感じはありましたけどね(笑)。
— どのような社会事象に関心があり、研究対象にしたかったのでしょう。
中原 日本はものすごいスピードで人口減少していきながらも、ビジネスを成功させるために労働力を確保しなければならないという無理難題に挑まなければならないですよね。そのためには、ビジネスの成否を左右する人や組織を何とかしなくてはなりません。また自分の将来と日本の社会保障制度を考えたとき、少なくとも70歳以上まで勤めなければならないことが見えてきますよね。そうすると、ひとつの組織で給料が右肩上がりの状態で勤め続けることは、ほぼ不可能です。長期化するライフプランに合わせて自分のスキルを磨くなどのバージョンアップが重要になってきます。そのような考えから、人材開発(ひとづくり)・組織開発(組織づくり)という研究領域に人生を捧げようと思いました。
20代後半の頃、博士論文を完成させ、次に何の研究に取り組むべきかを考えました。それまで一定の評価を得ていた教育研究を続けてもよかったのですが、どうせなら自分にしかできないことを、と考え、人や社会の未来に貢献できる研究に進むことを決断しました。
— 当時の社会的な出来事は何か関係していましたか。
中原 私はいわゆる、就職氷河期世代です。山一證券をはじめ、大きな金融機関が破綻した時代で、自分のキャリアを他者に預けることの危うさを痛感していました。私は東京大学出身ですが、自分の同級生を見ても、大学合格を勝ち取るまで死ぬほど勉強したにもかかわらず、第1志望に就職できた人はごくわずかで、多くの人たちの就職が、不本意な結果となりました。
新規採用自体が凍結されていましたからね。当時それを経験した多くの人々が、「社会情勢によって簡単にはしごが外されてしまうのなら、自分の人生は自分で決める」と意識せざるを得なかったと思いますね。
今の若い人たちの、「日本社会に閉塞感を感じますよ」という意見を耳にすることがありますが、中長期に見れば、そんなことはありません。その当時を経験している私から見れば、生きやすくなっているように映り、よい方向に社会は変わっていると思いますよ。実際に、新卒社員の給料も上がっていますしね。
学びは経験であり、ソーシャルなもの
— そうですね。「仕事のやりがい」という言葉が重視される時代にもなりましたしね。ところで、研究で影響を受けた学者はどなたですか。
中原 強いてあげるとすれば、ジョン・デューイとヴィゴツキーです。簡単に言うと、デューイは「人間は知識をため込む容器のようなものではなく、自ら環境に働きかけて経験する機会を得て、そこから学ぶものである」ということをシンプルに表現しました。このデューイの「経験が大切だ」という考え方に、私はとても影響を受けています。要するに、「座学で知識を右から左に移しても学べないが、経験を通して学んだことは定着し、活かすことができる」ということなんです。
しかし、デューイにはソーシャルなものを意識する観点があまりありません。個人がどう周囲に働きかけて経験していくのか、という世界観のことなのですが、人間はソーシャルな生き物ですので、そこにも触れたかった。
そこで、ヴィゴツキーという、ソ連時代のロシアの心理学者から影響を受けました。学びのソーシャルな部分に注目していた彼の考え方から、「人は他者と “ともにあること”で、他者からサポートを得て、新しいことを知り、できなかったことができるようになっていくのだ」という自分の世界観が築かれていったのです。このように私にとっては、教育学を専攻していた時代から、学びはソーシャルなものであったのです。
後に私は教育学部から経営学部に移るのですが、この「学びは経験であり、ソーシャルなものだ」という観点は、経営学部でも活きるものでした。本当に、考えの根幹は何も変わっていません。私は、大学院にいた90年代当時、ZoomやSNSもない時代に、仮想空間上でさまざまな対話やコミュニケーションを重ねて学ぶ環境をつくる、ソフトウエア開発をしていました。「人は経験と対話で学ぶ」ということの「少し早めの実証実験」といえるかもしれません。今では、誰もがアプリやオンラインツールなどを使って、日々行っていることですよね。
— 学びの視点で教育学部と経営学部の違いはありますか。
中原 働く大人の学びを経営学に位置づけようとすると、学びへの投資に対するリターンが求められます。別に、リターンはお金でなくてもいいのです。要するに、経営にとって望ましい「よいこと」がもたらされることが重要です。学んだ先にある「経営へのインパクト」や「現場の改善」を視野に入れるのです。それが明確でないと、学びへの投資が得られないので、そこに応える必要があります。
例えば大人が、どうがんばって学んでも、直接1000万円の儲けにはつながりませんよね。学びへの投資の効果については、「学んだことをもとにDXを推進し、仕事が効率化でき利益につながりました」とか、「学びを組織開発に投資することによって、離職率を抑えることができました」など、何かしら企業にとってのメリットを数字として示していくことが大切だと思っています。
ビジネスパーソンの学びがダイレクトに利益に結びつくなら、みんな営業活動に行かずに、研究室に籠もるでしょう(笑)。
大切なのは、学びを自分の業務に当てはめて実践したときに、どう利益につなげられたか、ということですよね。
アメリカでの自分への桁違いの投資
— 滞在していたアメリカでは、どのような経験をされましたか。
中原 フルブライト奨学金を獲得したことがきっかけで、2003年に、11カ月間アメリカに滞在しました。当時は博士号を取って、このまま教育分野の研究者でいるのかどうか、と迷うまさに「もやもや期」。経験を積んで、自分を見つけたいと思っていました。自分のことは、ひとりで部屋の中にいてもわからない。なので、いろんな人たちに出会って、その方たちとの違いを見つけながらわかっていく、そのような知的放浪を求めていました。
とにかく多くの人たちに会い、セミナーに参加するために、ボストンを選び、さまざまな研究者がいるマサチューセッツ工科大学(MIT)に籍をおきました。
ボストンは、石を投げたら博士にあたるといわれています。MITという工学・理学の中心と、人文社会科学・医学の中心のハーバードという2つの大学がその代表です。私はその中間地点に家を借り、いろんなところに顔を出しました。
当時大した貯金があったわけではないのですが、「遠い場所でも無条件で参加する」と決めて自分への投資を惜しみませんでした。フロリダでの学会参加を悩んだ末、大枚をはたいて出席したこともありましたよ。このように思いっきり投資して多くのものを見た結果、自分の中で、何か踏ん切りをつけることができました。多分、ベンツ1台分以上の投資になったと思いますけどね(笑)。
— そこで一番刺激を受けたことは何ですか。
中原 とにかく、アメリカの人材開発(HRD)や組織開発(OD)分野の規模の大きさと層の厚さです。例えば、カンファレンスを開催すると、全米から1万人以上が集まります。その規模で、学問や実践が行われるわけです。アメリカは最低でも修士、場合によっては博士の学位を持っている人がHRDやODをけん引しているので、日本でこの分野の専門知を確立しなくてはいけないな、と強烈に感じました。
また、MITやハーバード周辺では、毎日、研究会や読書会など、何かしらの集まりが開催されていました。そこでは、昼はランチ、夜ならワインも出るので、ボストン近郊から、いろんな人々が集まってきます。それを見て「大学は、もっと開かれてもいいのでは」と思いました。
大学の授業でも、ビジネスパーソンからお題を出されて、学生たちが一緒に学ぶ授業があったので、日本でもアカデミックと実業界が近づいていいんじゃないか、と強く思っていました。
— 日本に帰国して、どのような変化がありましたか。
中原 アメリカで決意したことは、考える間もなく行動に移しました。当時、文部科学省の大学共同利用機関・メディア教育開発センター(現在、放送大学に吸収)に所属していましたが、1年ほど後、東京大学に移って大学院の教育に携わり、博士も10人くらい輩出しました。
また、併行して「ラーニングバー」というものを始めました。それは、研究や実務の最前線にいる方に30分間講演してもらった後、出席者と対話して、最後にディスカッションで終わる、という2時間30分くらいの勉強会です。お酒を含め、飲み物も出ます。会費は3000円くらいでしたが、毎回定員の200人を集客できました。アメリカで見た勉強会を日本で実現させたのです。
現在の教育では、対話を重視することは珍しくないですが、当時の学びはまだ座学が中心。この新しい試みは、「お酒を酌み交わしながら対話する楽しい勉強会」と珍しがられました。「人材開発という面白いものを中原という研究者がやっている」と、多くのビジネスパーソンに発信する目的で、7年間くらい続けました。
また、年に1回、東京大学の安田講堂を借り切って、「ワークプレイスラーニング」というカンファレンスも開催し、毎回1000人以上に集まっていただきました。人材開発・組織開発分野で一番面白い研究を発表してもらい、それに対するディスカッションを、会場の1000人以上の参加者が3人一組になって行うというものでした。それらのイベント開催には、「人材開発という分野を興していきたい」という強い想いを持って挑みました。
— 1000人を超す人が集まったなんて、驚きました。たくさんの方々に理解されたということでしょうか。
中原 でも「バーなんかやって、あいつは研究者をやめたのか」と言われたこともありましたよ。自分にとっては、専門分野を興すための手段として行ったことなのですが。
新しいことをやろうとする場合、どうしても抵抗勢力が生まれます。それは逆に、「自分がやっていることは間違っていなかった」という証明でもあります。世間から見れば、新しいことは慣れ親しんだことではないので、抵抗されてしまうのです。
研究者には、実務家の問いを受け付けない方もいらっしゃいますが、私は、「一緒に研究しよう!」と肩をつかんで、資金提供も含めた連携を持ちかけるタイプ。そのように、ともに歩んでくれる仲間を集めて、研究費を確保しつつ、研究室(ラボ)を大きくしていったのです。
ともに経験して深めるコミュニケーション
— たくさんの方々を巻き込んで仲間を集めてしまうのですね。現在では、AIやリモートワークなど非接触が増えていますが、職場で人がともに経験して成長する意義は何だと思いますか。
中原 これまで人が時間をかけて行っていた作業の多くは、AIに任せることによって効率もクオリティも抜群に上がるでしょう。AIを活用することで、人間は思考や創造的な仕事に専念できるようになります。実は私の研究も、定量的なものをこれまでどおり手掛けつつ、哲学領域・定性的な研究アプローチも加えています。
このように、人でしかできない領域を手掛けることは、あらゆる分野で増えるでしょう。例えば企業の人事でも、社員のスキルなど計量化できるものはAIに任せて、担当者は現場に出ていって顕在化していないニーズを聞き取り、社員と関わりながら人事制度をつくっていく、という方向にシフトしたほうがいいと思いますよ。
AIコーチングも流行っていますよね。「上司と部下とのやり取りもAIで」という意見が出ると、「いやいや、マネージャーは本来、部下に自信を持たせてその気にさせる人ですよ」と説明します。AIに言われたから、すごく自信がついて大喜びする人なんて、見たことがない(笑)。なので、AIは脅威ではなく、時間がかかる面倒なことを担ってもらえばいいのです。
私の職業である大学教員も、全部機械化できるのでは、という声もありますが、業務をよく知らない人の意見です。例えば、就活などが上手くいかずに、すっかり落ち込んでいる学生が研究室に入ってきたとき。最終的にドアを開けて出ていく際に「何かやってみようかという気になりました」と気持ちを変化させるなど、人の考えを動かすような指導やコミュニケーションは、やはり人間にしかできないことではないでしょうか。
— 毎年夏に電通育英会が主催する「リーダー育英塾」でも、人々の心を動かすコミュニケーションを教えていらっしゃるのですか。
中原 リーダー育英塾では、次世代の日本の教育業界のリーダー候補の方々40人ほどに集まっていただき、2泊3日で寝食をともにする体験を行います。そこで、自分の教育の変革プランなどをプレゼンし、ほかの参加者からフィードバックをもらいながら改善を重ね、最後にみんなの前で発表する、という流れです。コロナ禍にはオンラインで実施したので、リモートでも可能ですが、それでは先生やリーダー同士の縁が生まれないのですよ。実際にリアルな場で一緒に切磋琢磨した人たちの間には、一生続くような縁ができるわけです。なので、そこは維持しなければ、と思っています。
実際に、そこから何人かリーダーたちが育っています。コロナ禍のときに「学びを止めない」という強い想いで学校のオンライン授業を先導し、それぞれの事例を共有し、試行錯誤しながらオンライン授業を広めていったのも彼らです。このように、何かを残すための活動は大切ですね。
— リーダーといえば、最近は、組織を階層化でなく、フラット化したほうがボトムアップで意見を吸収し、変革につなげていけるのでは、という見方も増えています。
中原 それは組織の規模や性質によってかなり異なります。スタートアップと伝統的な日本の大企業とでは、旅人と村人のような違いがあります。
スタートアップの旅人は、定年まで勤め上げるという前提はないので、自分のキャリアや仕事に非常に関心が高い人が多い。また、今いる仲間も、現在は一緒にいるけど、いつかは別れるよね、という認識を持っている人のほうが多いと思います。
一方、伝統的な日本の大企業の村人は、極端なことを言えば、自分はその村でずっと生きていくので、先輩たちの姿を見て、5年後、10年後が想像できるわけです。基本的にはその中で完結している世界です。でも、最近は領域によって、旅人メタファーで語られるところも出てきています。その時々のプロジェクトでチームを組んで、敵と戦って冒険していくようなものです。
でも、真の組織開発を目指すなら、ボトムアップかトップダウンか、という二項対立の考え方は危険です。場を支えるミドルマネージャーをその気にさせ、ボトムを元気にし、決断を下すトップを動かす、という全職位の人たちが関わってくることなのです。
さらに言えば、この村人メタファーは、日本企業といっても、中小企業には当てはまりません。例えば、零細・中小企業では終身雇用を保証できず、離職率が高いところも多いですよね。
特に地方には、安定的な雇用先としての「村」は極めて少ないので、多くの人が「一生面倒見て」とは思っていない。私の出身地の北海道の方々をはじめ、昔からみな旅人ですよ。
ダイバーシティ社会の求心力
— もう1つ、最近の傾向として、「ダイバーシティ社会」があります。先生は著書で、ダイバーシティ社会で多様化する価値観に対する、求心力の重要性を説いていらっしゃいました。
中原 繰り返しになりますが、猛烈な人手不足社会での労働力確保は、経営にとって最重要課題です。「外国人の割合を増やせばいい」という意見もありますが、そんなに来てくれるわけではないです。せいぜい多くて10%程度かと思います。ということは、今の人たちで何とかしなくてはならない。女性やシニア、また個別の事情を抱えた方など、あらゆる人の労働参加が必要です。
そうすると、これまでのように「正社員の日本人男性」を前提とし、夜に新橋で物事が決まっていくような組織開発をやっていてはいけないのです。この方法では、若い人を中心に、「どうして職場の人と飲みに行かなくてはならないの?」と嫌がられます。私の研究室の歓送迎会などの集まりも、夜から昼にシフトしています。チームの状況やメンバーに応じた方法が、これからますます必要になってくるでしょう。
— そのように価値観が多様な時代に、人をつなぎとめるものは、何でしょうか。
中原 一番は、「絆」や「縁」です。上司や同僚との日頃のやり取りなど、「仕事はキツイけど、いい人が多いところで働きたい」という縁を求めるケースも少なくないです。「あんな人になって、あんな仕事をしてみたい」と部下や後輩を惹きつけるような縁を想定してもいいと思います。
人をつなぎとめられるものは、実はそんなに多くありません。お金をあげる人も多いですが、新卒を何とか獲得しようと、会社同士がお互いに相手を見ながら給料を上げていくチキンレースには限界があります。何より、お金で来る人は、すぐお金で離れてしまう。
学生の就職相談では、プライベートに踏み込まない程度に、どんな生活がしたいのかをイメージしてもらいます。結婚や子どもの有無、結婚相手も含めた働く場所や働き方など、質問を重ねることによって、少しずつ見えてくるのです。結局、働くことは自分の人生を充実させるための手段なので、それを明らかにさせていきます。例えば、東京にマンションを買おうと思ったら、今は1億円を超えますよね。そのような両親の生活水準を守りたいなら、人口の5%くらいしか実現できていない生活を目指すことになるので、かなりがんばらなければならない。そうすると、必要な年収から、企業が絞られてくるのです。こういうのは、なかなか自分ひとりで見つけていくのは難しいので、壁打ちしてくれる教員や先輩のような相手がいるといいのではないでしょうか。
今の就職は、入った企業にどう貢献するかも考えて自分のライフデザインを描いて、納得して会社を選ぶ学生が多い印象ですね。
— 一緒に取り組んでもらえる存在は大きいですね。ところで、先生のゼミの「企業のOJTの課題を解決せよ」というワークショップは興味深いですね。
中原 あれは、昨年の学部3年生が1年間、探究したものです。
企業の新入社員やOJT指導員、マネージャーにヒアリングを重ね、いくつかの課題を見極め特定して、それを解決するためのワークショップをつくって売り切るまでをやりました。売り上げの一部が彼らの印税になる、という仕組みもつくりました。面白いのは、そういう実践的なプロジェクトで、手足をばたつかせて、脳がちぎれるほど考えて何かをつくる、というアウトプットを重ねると、「何かを学びたい」と言い出すんですよ。大学は通常、体系的な授業を押し付けようとして学生に嫌がられる場合が多いのに。
私は逆で、まず学生に好きにやってもらいます。そして、プロジェクトを立ち上げて、企業の方との実践を一とおり経験してもらうと、やっぱり知識を欲し、体系的な授業を求めてくるのです。そこでこちらは、「別に、やってもいいけどさ」と応えるのです(笑)。
私のこの手法は、最初に社会に触れて、そこで学ぶ動機を高めた後、専門的な内容に取り組む、というものです。多くの場合、順序が逆です。最初に基礎で、最後に応用ですが、それだと今の学生たちは、基礎を学んでいる時間に耐えられない。だから、最初にフィールドに行かせて、自分たちに知識がないことを痛感し、知識に飢える体験をして、これ以上考えが出せないくらい、脳をカラカラな状態にしてもらうのです。
二項対立への警鐘
— 学問と実務を行ったり来たりするという感じでしょうか。中原先生は、研究と実務の双方に精通されていらっしゃいます。そのようなご自身の立場はユニークだとお感じになっていますか。
中原 先ほどの話に通じますが、私は二項対立で語られるもののほとんどに、真実はないと思っています。真のニーズは、それらを超えたところにあります。学生にもよく「社会にとって大切なことほど、AかBかではなく、AもBもだよ」と伝えて、二項対立で物事を考えないように説いています。もし私が実務的な研究を経済界から求められれば、肩を組んで、「ぜひ、一緒にやりましょう!」と言えばいいのです。
ビジネス界とアカデミック界のそれぞれの知見を出し合いながら、互いの課題を解決していけるような人たちを一緒に育てていくことが大切です。私はこれまでそのような方法でやってきて、労力やお金の面で、問題が起こったことはほとんどないですね。
これは、私の専門分野だからではなく、例えば、哲学の研究でも当てはまります。哲学とは、もともと対話することなので、企業や哲学者、コミュニティの方たちと対話を重ねるなど、方法はいくらでもあります。
プラグマティズムを唱えたデューイも、二項対立ではなく、成果を出しているものが真実という捉え方をしています。そうすると、「一緒にやっていきましょう」という考え方になりやすいですよね。それを体現した国がアメリカだったと思いますが、最近は事情が変わってきて心配です。
— これからも、執筆や情報発信、講習などを通して、「希望の職場」を増やすための人材開発・組織開発の探究を続けられますか。
中原 そうですね。職場で希望を持ち続けるには、仕事を楽しくしようとする個人がいて、それをサポートする周囲がいる、という人間関係は非常に重要で、そこで人は長く働き続けられます。それを実現するために、人材開発・組織開発のようなプロフェッショナルな知識やスキルを持った人たちを、大学や大学院から輩出していきたいのです。私は今年50歳を迎えるので、あと15年ですが、15秒くらいで終わってしまうような感覚を持って臨んでいます。毎年100人くらいの学生を輩出する今のペースを続ければ、15年後には1500人に達し、そのくらいの人数なら、少しは変化が起こせるかもしれません。
また、若い世代の方たちがどんどん出てきているのも心強いですね。私は、若い人を無条件で応援することに決めています。それは、めぐりめぐって私たちの世代も含めてみんなが豊かに生きられる社会につながると信じているからです。私たちの世代の先にある人々が、知的に暴れてくれることを願っています。