自分とは何か
— 出口先生は、「文化人類学は、異文化理解を通して自らの当たり前を反省する学問」とおっしゃっています。専攻されたきっかけは何でしたか。
出口 島根から大学受験で上京した際、本屋めぐりをしていて、たまたま米山俊直先生の『文化人類学の考え方』という本に出会ったのです。「こういう学問があるのか」と驚きました。
当時高校生だった私は、「自分とは何か」という悩みを抱えて、心理学にも興味を持っていたのですが、その本を読むことによって、「主体的に行動していると思っていた自分は、実は周囲の物の見方や考え方に、かなり左右されている」ということがわかってきたのです。
入学した学部は比較文化学類で、比較文化を研究するのには文化人類学がよいのではないかと思いました。50年前頃ですが、当時、通っていた大学でフォークロア(民俗学)、柳田國男の流れをくんだ先生方が教えていて、民俗慣行を隅々までフィールドワークする先輩方がいらっしゃいました。またその頃の文化人類学は家族や親族の研究といった社会構造についてのテーマが中心で、家族親族のフィールドワークは自分にはちょっとハードルが高いな、と感じていたのですね。
ただ、その頃、文化人類学者の山口昌男先生がメディアなどを通して積極的に発言されていて、比較文化学類にも、「笑いのパースペクティブ」という題で講演会に来られたのです。
— その講演会で、本格的に文化人類学への扉が開かれたのですか。
出口 かもしれません。山口先生のお話は大変面白く、ちょうど先生の著作『アフリカの神話的世界』を読んでいたときだったので、「このような研究が文化人類学なら、ぜひやってみたい」と思いました。その本の中に、トリックスター(いたずら者)として、アフリカの野兎が出てくる昔話が登場するのですが、「こういう物語でも、鮮やかに分析できるのだ」と驚いたことをよく覚えています。
それから学内の先生に、文化人類学者の小松和彦先生を紹介していただきました。構造主義の考え方を用いて、日本の昔話を研究されていた方です。その小松先生の本も読みながら、アフリカの昔話の分析を行うことによって、私の文化人類学研究はスタートしました。
それまで私は「自分」というものにこだわってきたのですが、それは、「現在自分がいる地点に、すごくこだわっている」ということなのです。しかし、それを超えた、何か「広い世界」というものが存在し、そこでは、それなりの秩序や論理的メカニズムが働き、自分もその中のピースの一つであることが見えてきました。自分のこだわりを超えた、もっと広い世界や悠久の時間の中に自分を置いてみることが、自分にとって大きな発見だったのです。
— その頃、日本の文化人類学に大きな影響を与えたレヴィ=ストロース氏が初来日されました。
出口 ちょうど、山口先生たちの翻訳で『仮面の道』が出版された頃です。レヴィ=ストロース氏は、北西アメリカの先住民の仮面の造形と、江戸時代の安政の大地震の際、大量に刷られたナマズ絵とのつながりを指摘していました。さらには、古代中国の造形的なものとの関連など、時空を超えたつながりも指摘され、私はとても刺激を受けました。本当につながっていたという歴史的証拠はないのですが、全く異なる時代と場所で、とても似ている文化的要素が見出されたのです。
例えば、日本の有名なお話「因幡の白兎」の中では、白兎がワニの背中に乗って海を渡ります。後年レヴィ=ストロース氏は著作『月の裏側』で、その原型はインドネシアにあり、形を変えて日本に伝わったと指摘されました。さらに、北米先住民の神話にも似たような話があることにも言及されています。
荒唐無稽で首尾一貫していないように見える昔話や民話でも比較分析していくと、これまでとは異なる論理的な整合性が見出される。さらにそこに論理的な変形という操作を導入すると、別の昔話の誕生経緯が見えてくる。そんな仕組みが面白かったのです。
具体的な文献や考古学的データがあるわけではないのですが、物語が変形されて伝承する経緯を追っていくと、まず、パプアニューギニアから古代中国、シベリアあたりから日本列島に伝わってくる、という経路が見えてきます。また別に、ベーリング海峡を渡って、北アメリカのほうに伝わった、という流れもある。
そうすると、現代社会においてグローバリゼーションといわれるものが、新石器時代にもあったのではないか、と思えてくるのです。ある場所で誰かがつくった話が、どんどん変形を繰り返して、全く別の場所に伝わっているという、バタフライエフェクトが繰り返されていたのではないでしょうか。
アフリカの「無文字社会」と古代ギリシャ文化
— 出口先生は、2年前に『声と文字の人類学』を上梓されました。文化人類学研究の中でも、特に声や文字に着目されたのは、なぜでしょうか。
出口 文化人類学が長らく研究対象としてきたのは、アフリカや南米で見られた、固有の文字を持たない「無文字社会」です。文化人類学者はそのような地域を実際にフィールドワークし、その成果を、文字を用いた報告書で表します。その過程において、当然、他の文化人類学者が記した文献も読まねばなりません。
そのように、研究活動の大半に、文字の読み書きが費やされているものの、それについて文化人類学者たちは果たしてどのくらい真剣に見つめ直しているのだろうか、とあるとき思い至ったのです。
『口頭伝承論』という、川田順造先生の有名な著作があります。川田先生は、国際的にも著名な研究者ですが、その中で、西アフリカのモシ族の伝達手段である「太鼓言葉」についての調査研究を報告されました。
私もアフリカでフィールドワークをしたものの、そのような面白い体験はなく、その後の自分の研究の中心は主に「文字の読み書き」に基づくスタイルでした。そのような「自分から分かちがたい」文字の読み書きという行為について、もう一度見つめ直してみたい、という思いが湧き起こってきたのです。
— 研究を始める具体的なきっかけはありましたか。
出口 そのような思いを抱いていた30年前頃に、たまたま、スウェーデンの古典学者ヤスペル・スヴェンブルー(Jesper Svenbro)の『Phrasikleia』という本に出会いました。副題は「古代ギリシャの読書の人類学」です。現在翻訳はないのですが、『読むことの歴史ヨーロッパ読書史』の中でダイジェスト版は日本語で出版されています。神話に興味を持っていたので、大学生の頃、辻村誠三先生のギリシャ古典の授業をとったこともありました。その授業では、毎週、英語の『The Greeks』というペーパーバックを10ページほど読んで要約するのですが、最初は7、8人いた生徒が、2回目から私一人になってしまったのです(笑)。でも先生と一対一の授業をした経験は今でも忘れられませんね。そうしたこともあってギリシャ古典の研究には関心がありましたから、このスヴェンブルーの本をたまたま学会の書籍販売で目にしたので、手に取りました。
さらに“名前”についての分析も私の研究テーマに関連していて面白かった。ホメロスの叙事詩『オデッセイア』の登場人物の一人に、テレマコスという、オデッセウスの息子がいます。その名前は「遠くにいる人」という意味です。だからテレマコスという名前は、それを名付けられた男の子に対する意味ではなく、彼の父親が遠くにいる、ということに意味を持つとか、あまりに楽しくて読み終わるのが本当に惜しかったです。この本をきっかけに、文字ということを考えてみたいと、具体的に思うようになりました。
— その他に、古代ギリシャの文字について、興味深い事例はありましたか。
出口 ギリシャにおいて、音読が当たり前だったということですね。プラトンの『パイドロス』の中に「私は青銅の乙女。ミダスの墓の上で眠る……道行く人に私は告げるミダスここに眠る」という墓碑銘が紹介されています。紀元前6世紀半ば、青銅でつくられた乙女の碑は、墓碑銘そのものの「私」として、道行く人に語り掛けているのです。これに似た例を『Phrasikleia』では紹介していて、人々がそれを声に出して読むことによって、文字に生きる糧を与えることになるという、今とは全く異なる文字の読み方があったことを、この本によって教えられました。また、故人と文字に関する他の事例として、法や規範などの作成に関わった人が亡くなった際、その体に法の文字を刻ませる、あるいは自分が作った法律が刻まれていた石碑を自分の棺の傍らに埋めた、というエピソードもありました。法のつくり手とその文字が深くつながっていたのですね。
身体に刻まれた文字
— 身体と文字とのつながりは面白いですね。
出口 文字を身体に記すことに関していうと、小泉八雲の『耳なし芳一』が有名ですよね。「芳一」と呼びかける亡霊の深い声に導かれて、芳一は夜ごと墓場に行って平家の滅亡を語る。そのような芳一を、和尚が心配してその身体にお経を書いた。ただ、耳だけには書かなかった。亡霊がまたやってくると、お経が書かれていない耳だけが見えていたので、それを引きちぎっていった。聴覚的な表現が多く用いられたこの物語で、身体に文字を書くということは視覚と同時に触覚的なことにもつながっている、そのことが鮮やかに示されているように思いました。
— 身体に文字を記す行為は、時空を超えて存在したのですね。
出口 カフカの『流刑地にて』という短編小説の中に、主人公の調査旅行者が、流刑地での処刑に立ち合うシーンが登場します。「機械」という自動処刑装置があり、受刑者の身体に罪状がゆっくり刻み込まれ、それが終わったら罪人は死んでしまいます。そのシステムは古くて廃れてしまうのですが、この機械を手放したくない案内の将校は、最終的に自分の身体に文字を刻ませることにより、処刑機械が有効だということを示そうとします。しかし、結局機械がうまく作動せず将校は死んでしまうという結末です。
この例はフィクションですが、古代中国には、実際に自分の罪を入れ墨のような形で皮膚にしみ込ませる「墨刑」というものがありました。またどれだけ史実通りかはわかりませんが、韓国ドラマの時代劇にも、入れ墨が入った奴婢(ぬひ)が登場しますね。
— 文字と身体が分かちがたい事例は、どこか遠くの話のようにも感じますが。
出口 意外に身近なところにありますよ。私たちが下敷きを使ってノートに文字を書くときに、ボールペンなどが滑らないように工夫を要するので、それは身体的なものといえます。特に習字は、身体的なものとの結び付きが強いですね。墨の匂い、失敗すると墨が飛び散って、なかなか洗い流せない。また机がデコボコだと、うまく書けない。きれいな字を書くための筆先や筆の選び方も十分意識する必要があります。さらには、和紙の手触り感も重要です。
『舟を編む』という有名な小説のテレビドラマの中で、辞書のページをめくる、「ぬめり感」という言葉が出ていました。それもとても大切です。紙の手触りによって読むスピードが変わり、読書への集中度合いも変わってきます。この話に関しては、以前編集者の知り合いが、「紙のぬめり感といえば、自分にとって一番印象に残る本は、新潮文庫の井上ひさしの『ブンとフン』という小説だ」と言っていました。「あの手触りや感触、それによって引き出される読み応えは最高だった」と(笑)。
デジタルツールが省いた「相手を思いやる時間」
— デジタルツールの登場によって、言葉を使う環境はどう変わったのでしょうか。
出口 大きく変わったのは、待ち合わせの仕方ではないでしょうか。以前は相手との待ち合わせの時間に、交通トラブルなどの理由で間に合わなくなったとしても、すぐに相手に知らせる手段がありませんでした。ですので、そのような事情も見据えて、「何分待って来なかったら、伝言板にメッセージを残して去る」「電話を取り次いでくれる喫茶店で待ち合わせる」など、お互いに取り決めをしていました。
また、手紙のやりとりも減りましたね。誰かに手紙を送った場合、それが届くまで時間がかかります。手紙が届いて返事が来るのを待つ時間は、相手と自分との関わりというものを見つめ直す時間でもあったのです。
— 手紙のやりとりは、相手と自分との関わりの時間も含まれているのですね。
出口 アラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい』という映画の中で、主人公が友人を殺害し、友人になりすまして、彼の恋人に「もう会えない」という別れの手紙を送る場面があります。手紙の文章自体はタイピングで打ったものですが、最後のサインは、友人本人のものだと印象付けるために、主人公が友人の筆跡をうまく真似して手で書いていました。でも、本当に親しい人とのやりとりなら、本文も手書きの手紙を送りますよね。署名で友人になりすまし、タイプライターで本文を書くことで気持ちが離れたことを示して見せたのです。
意中の人に手紙(ラブレター)を書くとき手紙で相手に印象付けるために、どういう便箋がいいのか、縦書きがいいのか、横書きがいいのかなど、当時人はいろいろと考えたものです。さらに、相手から返事が届くまでにも時間がかかるし、届かないこともあり得るという、緊張関係もありました。
神話にまつわることば
出口先生のご出身である島根県出雲地域では、神話にちなんだ言葉が人々の生活の中にあるという。それらの言葉からは、古代と現代とのつながりを感じることができる。
●国引き神話
『出雲国風土記』の冒頭に記されている神話。八束水臣津野命(やつかおみつぬのみこと)が出雲の国を大きくするために、朝鮮半島や北陸から土地を引き寄せてつなぎ合わせたという話。引き綱が弓ヶ浜、杭となった山が佐比賣山(さひめやま)(現在の三瓶山(さんべさん))や大山(だいせん)であるとされている。
島根県出雲市には、「くにびき海岸大橋」「くにびき海岸道路」がつくられ、島根県立産業交流会館は「くにびきメッセ」と呼ばれている。昭和57年に島根県で開催された国民体育大会は「くにびき国体」と名付けられた。
●八岐大蛇(ヤマタノオロチ)伝説
『古事記』の出雲神話に登場する八岐大蛇。美しい娘である奇稲田姫(くしなだひめ)を食べようとしていた八岐大蛇は、1つの胴体に、8つの頭と尾を持つ恐ろしい姿で、須佐之男命(すさのおのみこと)によって退治される。島根のバスケットボールチームも、「島根スサノオマジック」と命名されている。また奥出雲のなだらかなループ状の道路は、「奥出雲おろちループ」と名付けられている。
— 特別な人に想いを伝えたいときには、どうしていたのでしょうか。
出口 携帯電話がなかった時代、意中の人と連絡を取りたければ、家の固定電話にかけるしかなかったのです。その場合、たいてい相手の家族が出て、こちらはまず自己紹介をし、要件を伝えて取り次いでもらいます。その際、相手の家族に良い印象を持ってもらえなければ、交際を許してもらえない可能性だってありました。「将を射んと欲すれば、まず馬から」じゃないですが(笑)、丁寧な言葉への配慮が必要でしたね。その緊張感とドキドキは、現在ではなかなか味わうことができないのではないでしょうか。
— 当時は、言葉を伝える前に、考える時間を要しましたね。
出口 書くという行為を行う前にも、私たちは、無意識に多くの時間を使っているのですよ。フランスの哲学者ジル・ドゥルーズは、「書くという行為は、白紙にいきなり字を書くのではなく、それまでに考えたさまざまなものが頭の中にあり、その思考中の文字を少しずつ消していき、その結果を紙に落としている」と述べています。同様の行為を、AIが答えを探すときに行っているのではないでしょうか。AIの答えをコピペして提出する学生は、AIが試行錯誤して削り落とした結果をそのまま写しているので、白紙のまま答えを出しているようなものといえます。
— 目的や状況に応じて正しいデジタルコミュニケーションを選択できるといいのですが。
出口 学生同士のLINEでは、「了解」が「り」、「笑い」が「草」といった「打ち言葉」が頻繁に使われています。しかし教師もメンバーに入ったグループLINEでは、学生も多少は丁寧な言葉を使うでしょう。ですが、中には「目上の人に対してきちんとした言葉遣いができなくて戸惑う」という旨をレポートで書いてきた学生もいました。
目上の人に対して正しい言葉遣いができなくなっている、ということは、フォーマルなレポートを書く際にも困ってしまっているということです。一方教師が学生に連絡を取ろうとメールを送っても返事がこないことが多く、教師側が、学生がちゃんと読んでいることを確認できる既読が付くチャットをつい使ってしまう、という実態もありますね。
いずれ就活の時期になると、必要に迫られて、学生はフォーマルな言葉を学んでいかざるを得ません。それが一種のイニシエーションだと考える文化人類学者もいるようです。
AI時代に求める「自分のことば」
— 丁寧な言葉遣いは、AIのほうが上手ということでしょうか。
出口 AIは丁寧な言葉を使うことができますが、現段階では、まだ答え方が一般的で、個性がない印象を持ちますね。一方、人が「自分らしさを言葉で表したい」と思ったときの「自分らしさ」とは、誰かとの関係性の中で決まってくるものです。相手によって変化する個別特殊的なものですね。おそらく現在のAIは、そこまでわかってはくれない。
ですから、大切な人にメッセージを送りたいときに、それこそ場合によっては手書きの手紙を送ることが効果的かもしれません。自分の個性も伝わるし、相手と自分との関係が特別なものであることを印象付けることもできる。実際にそのような理由から、手書きを重視するようになった学生もいます。
自分が関わった世界を表現したいという場合、短歌や俳句に目を向ける人も少なくないでしょう。世間ではAIに短歌や俳句に挑戦させている事例もあり、私も先日、AIに俳句をつくってもらいました。しかし「“冬の朝”という題で詠んで」、とAIに頼んだら、単純に上五句に「冬の朝」と入れてきただけで、がっかりしました(笑)。あまりにもつまらないので、次に、「“冬の朝”という言葉を入れないで」、とお願いしたのですが、やっぱり違和感がぬぐえない。それは自分の中で「こういう表現がふさわしい」という漠然としたイメージがどこかにあるからです。だから、自分自身で違和感の正体を解き明かしていくことが大切で、その部分はAIに頼れないのではないでしょうか。
— AIに伝えるには、自分の中のイメージを明確にしないといけないですからね。
出口 私たちは、言葉を誰かとの関わりの中で獲得してきました。今、発している言葉は、周囲の人々とのやりとりや、これまで読んだ本など、自分の歴史を背負っているのです。現在のAIは、そのような背景をそぎ落して文章を作成するので、文章を受け取る側の人間は、その思い入れのなさが心にひっかかっているかもしれないですね。
思い入れ、という点でいえば、以前、私が書いた文章が入試問題で出題され、「この傍線を引いたところで著者は何を言いたいのか、最も近いと思われるものを選びなさい」という問いがありました。しかし私でも、正解を選ぶのが難しかった(笑)。「これが一番正解に近いかもしれない」という選択肢はありますが、自分としては、そのような言葉遣いをしたくないので、こういう表現にしているのであって、それを無視してこれを正解にしてほしくないな、と思ってしまいました。もちろん問題作成者側は、私がその言葉を選んだ背景を知らないわけですよね。そこにどうしても違和感が生まれてしまいます(笑)。
ですから、文章の制作者は、言葉の背景にあるものを改めて考え、AIの文章を修正していかなくてはならないかな、と思っています。
— AIによって、自分のことばで表現する大切さに気付いた人も少なくないですよね。
出口 そうですね。多くの人がAIの文章を読んで「これに頼ってはいけないな」と考えるようになったと思います。もっと面白く、違った表現を模索することが、自分の言葉を見つけていくきっかけになるのではないでしょうか。
安易にAIの言葉を信じることも危ないです。私は韓国の時代劇ドラマで、本を黙読しているシーンがどうしても引っかかっていました。そこでAIに質問したところ、普通に「当時の韓国では黙読をしていました」という返事がきました。しかし、その時代の日本では音読が普通だったので、やっぱりおかしいと思い、先日、韓国人の先生に質問したところ「当然、その時代は音読ですよ」という返事がかえってきました(笑)。
小泉八雲氏の民俗学的視点
日本の妖怪話や文化を西洋に紹介したことで有名な小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)氏は、『古事記』を読んで、日本文化に魅せられた。当時、西洋人による日本への理解は、書物を通してのみであり、それに対し八雲氏は苦言を呈している。その土地での体験を重要視する姿勢は、民俗学的にも先駆的だったといえるのではないか。とりわけ出雲神話に魅せられた八雲は、杵築(きづき)大社(出雲大社)を何度も訪れている。それは、「神道の中心地を見ることであり、古代信仰の脈拍を肌身で感じ取ることである」と、記している。(『知られぬ日本の面影』~杵築より)
無文字社会を突き詰める
— 今後はどのようなテーマを研究されるご予定ですか。
出口 文字を持たない社会でも「読む」ということはあるのではないか、「読む以前の読む」ということを考えられたらと思いますね。無文字社会の中には、話しながら手を動かして抽象的なグラフィックを描く先住民社会がありますが、手を動かして「かく」(書く=描く)という点では文字と共通するグラフィックな模様をどのように解釈するのか、どのように「読み解く」のか。また例えば動物を殺してとり出した腸に見られる模様や、投げた石が落ちてきた形などから、さまざまなことを占っている社会があります。腸や石の「描く」模様をどう「読み解くのか」、それを突き詰めてみたいと思います。以前、アフリカのザンビアという国で、占いのフィールドワークを行った際に、占い師にいろいろと占ってもらったので、その調査に関連することも含めて、文献を通して探究していきたいですね。






















