言葉の先にある想いをくむ、通訳という営み

田中 慶子

同時通訳者、Art of Communication代表

2026年3月26日 11:00 Vol.95
   
田中 慶子
同時通訳者、Art of Communication代表
Keiko Tanaka
愛知県の県立高校を卒業後、NPO活動を経て、アメリカのアイダホ州のプライベートスクールに留学。1996年、米マウント・ホリヨーク大学(国際関係論専攻)卒業。衛星放送番組制作会社、外資系通信社、米NPO東京オフィスに勤務したのち、放送通訳者養成スクールで通訳技術を学ぶ。2002年、放送通訳者デビュー。天皇皇后両陛下(当時)、デビッド・ベッカム、オードリー・タン台湾初代デジタル担当大臣、ビル・ゲイツなどの通訳を経験。2010年、コロンビア大学にてコロンビア大学コーチングプログラム認定コーチ資格を取得。2023年、倉敷市の大原美術館理事に就任。

SNSを始めとするデジタルコミュニケーションの目覚ましい進歩と、情報量の拡大が続く時代、意志疎通の難しさを抱えている人は少なくない。また、インバウンド需要の高まりや海外投資の増加を背景に、翻訳・通訳のニーズは増加すると同時に、日々進化するAIに仕事を奪われる職業の上位にも挙げられる。私たちは異言語コミュニケーションから何を得ているのか。第一線で活躍する同時通訳者とともに考える。
text: Masashi Kubota photo: Masahiro Heguri

不登校の高校生から同時通訳者の道へ

— 田中さんは十代の頃、不登校の時代があったと伺っています。

田中 高校時代に不登校を経験しましたが、振り返ると、保育園の頃から集団行動が苦手で、学校という場に違和感を抱いていました。日本の学校では「なぜそうするのか」という説明がないまま、「みんながそうしているから」「規則だから」といった理由で行動を求められることが少なくありません。私は幼い頃から、納得できないと前に進めないタイプ。理由がわからないまま何かをすることに強い抵抗がありました。反対に、理由さえ腑に落ちれば、人から大変だと思われることでも踏ん張れるんですけどね。周りから見たら、きっと面倒な子どもだったと思いますし、その性質は今も変わっていないと感じています。

進学した高校はいわゆる進学校で、受験に向けてひたすら勉強する日々でした。ところが、私はつい「これはなぜなのか」と立ち止まって考えてしまう。そうしていると手が止まり、勉強が進みません。高校時代、世界史を物語として描いた本を見つけて「歴史ってこんなに面白いのか」と夢中で読んでいたら、友人に「そんなことをしていたら受験には間に合わないでしょう」と言われたことがあります。

要領のいい人は、疑問を寄り道にせず、必要なことを効率よく積み上げていけるのでしょう。私はその逆で、些細な疑問にも引っかかってしまう。自分でも、効率の悪い人間だと感じています。

— 高校卒業後は、アメリカに留学されました。

田中 留学したのは、高校をぎりぎりの出席日数で卒業した後です。大学進学も就職もせず、ブラブラしていた時期でした。さすがに心配したのであろう母が「どうするつもりなの?」と聞いてきたので、特に深く考えもせず「これからは英語が必要だと思う。留学したい」と口にしたところ、翌日、母が改めて「あの話を真剣に考えてみたら?」と切り出してきたのです。こちらは前日の発言を半ば忘れていたほどでしたが、その言葉に背中を押されるように、「そうそう、留学したい」と話が一気に進みました。日本の社会にうまくなじめず、「違う世界を見てみたい」という気持ちが、どこかにあったのだと思います。

そんなきっかけで語学留学から始まり、海外でのNPO活動などを経て、お世話になったホストファミリーの勧めで現地の高校に入学することになりました。高校はすでに日本で卒業していたのですが、当時は英語力も十分ではなく、進学先について事前に細かく確認できていなかったので、大学に進学するつもりが、もう一度高校に通うことになったのです。

アメリカでは、言葉ができないというフラストレーションはありましたが、帰りたいとは思いませんでした。私は日本では「あの人、変わっている」と言われ続け、同調圧力の中で苦しくなり、不登校になることもありました。けれどアメリカでは、外国人だということもあって「違っていて当たり前」と受け止められる。日本なら否定的に見られがちな点も、「個性的」「面白い」とポジティブに評価されることが多く、なんて自由で楽なんだろうと感じましたね。

授業そのものも刺激的でした。例えば日本での歴史の授業は、試験のための暗記科目として、何年に何が起きたかを正確に覚えることが重視されていました。一方、アメリカでは年号や出来事を丸暗記するのではなく、問われるのは「それによって社会がどう変わったのか」、そして「その出来事から、私たちは何を学べるのか」を考えること。大事なのは知識を暗記することではなく、知識を得た上で、自分はどう考えるのか、という姿勢なのだと実感しました。知識は考えるための土台でしかありません。

その学び方が私にはよく合っていたように思います。そのままアメリカの大学へ進学し、卒業することになります。

   
日本の高校を卒業後、アメリカへの語学留学、海外NPOプログラムへの参加などを経て、アメリカ最古の女子大であるマウント・ホリヨーク大学を卒業

— 田中さんは、アメリカのマウント・ホリヨーク大学を卒業後、企業や国際NPOなどでの勤務を経て、通訳の仕事に就かれました。どのような出会いや体験が通訳の仕事につながっていったと思われますか。

田中 紆余曲折を経て、今振り返ると不思議な縁だったと感じます。NPOに勤めていた頃、ここでの仕事は天職だと思っていました。通訳になるつもりなどまったくなく、考えたこともありませんでした。

あるとき、出張で訪れたドイツの駅で、空港行きの列車がわからず途方に暮れていたところ、「僕もこれから空港に行くから」と声を掛けてくれ、一緒に連れていってくれた年配の男性がいました。その人は英語とドイツ語の通訳者で、空港までの約1時間、二人で「世の中はどんどん変わっていくよね」といった話をしながら意気投合しました。別れ際、その方が「君は通訳者になりなさい。私たちは君のような人を求めているんだ(We need people like you.)」と言ってくれたのです。通訳という選択肢を考えたことすらなかったのに、その言葉だけはなぜか心に残りました。

それから半年後、勤めていたNPOが財政難で解散し、私は失業します。給料は高くなかったものの、志を持って取り組んできた仕事が突然なくなったショックが大きく、とてもすぐに次の仕事を探せるような状態ではありませんでした。

当初は、朝起きても一日中ぼんやり過ごしていましたが、少しずつ気力が戻るにつれ、「できることを、とにかく一つずつやろう」と考えるようになりました。今日は部屋を掃除できた、今日は映画を1本観られた─そんな小さな達成を積み重ねていく。その「試しにやってみること」の一つとして浮かんだのが、通訳学校に通うことでした。

— やはり、ドイツで出会った方の言葉が気になっていたのでしょうか。

田中 留学後、社会人として働いた経験も大きかったのかもしれません。アメリカの大学を卒業して日本で就職してみると、英語で身に付けた知識が日本語として出てこない。頭の中で日本語と英語がうまくつながらない感覚がありました。「同時通訳の人は一体、どうやってその回路をつないでいるのだろう」。そんな素朴な疑問が湧き、純粋な好奇心から通訳学校に通ってみたのです。

通訳は私にとって未知の世界でした。初めて同時通訳を目の当たりにしたのは、学校の先生が手本を見せてくれたときです。「人間にはこんなことができるのか!」と、驚きました。ところが、いったん足を踏み入れると、それがたまらなく面白い。私は朝から晩まで通訳の勉強に没頭するようになりました。天職だと思っていた仕事を失ったショックから立ち直っていなかったので、学ぶことそのものが、私にとって癒やしでもあったのです。

通った通訳学校は、もともとニュース専門チャンネルであるCNNの通訳者養成を目的に設立された学校でした。癒やされるし楽しいから勉強に没頭していたのですが、その姿を見た先生から、「CNNのオーディションを受けてみないか」と声を掛けられ、試しに受けてみたところ、幸運にも合格し、そこから通訳として働き始めました。

振り返れば、私は運が良かったのだと思います。失業していたからこそ時間があり、一日中勉強に打ち込むことができました。社会人として働きながらでは、そこまでまとまった学習時間を確保するのは簡単ではありません。失業し、家にこもっていた時期だったからこそ、あの集中が可能でした。




応援団として現場に立つ

— 田中さんはこれまで、あらゆる業界の第一人者の方から、通訳の依頼を受けていらっしゃいます。

田中 ありがたいことに、さまざまな分野の方から依頼をいただきます。その理由を聞かれることも多いのですが、自分ではよくわかりません。ただ、「この人が活躍したら世の中が良くなる」と思える人の仕事をしたい、という気持ちはあります。私自身が、より良い世の中で暮らしたい。だからこそ、そうした人を支えられるときにはやり甲斐を感じる。そして、一生懸命になれるのかもしれません。

通訳になりたての頃は、「断ったら次の仕事が来なくなるのでは」と不安で、依頼は基本的に何でも引き受けていました。でも、あるときから仕事の引き受け方を変え、「応援したい」と思える方の仕事に力を注ぐことにしたのです。その結果、スケジュールにも気持ちにも余白が生まれ、その余白を使って本当にやりたい仕事に向き合えるようになる。そんな前向きな変化も起きました。

— 現場に出る前の準備も、徹底しておられますね。

田中 通訳の仕事は、事前の準備がとても大変です。毎回強いプレッシャーを感じながら必死に準備をしていますが、それでも「依頼をくれた人がそれによってより活躍できる」と思えば、不思議と苦ではないんです。「やりたい」と思える仕事を選ぶことで、準備にも全力を注げる。そうして積み上げたものが、当日の現場で相手の力になれる。その実感があるから続けられています。

通訳の仕事では、私たちは影の存在で、その場の主役はクライアントであり、スピーカーです。クライアントがどういう立ち位置で、どんなニュアンスで意図が伝われば良いのかなど、いつも真剣に考えてしまいます。通訳というより、応援団長のような気持ちで現場に立っているのかもしれません。

— 田中さんの通訳において、「話者自身も気付かないような想いをくみ取る」という配慮がメディアで紹介されていました。それは、機械には代替できない仕事だと思います。

田中 まだ駆け出しの頃、尊敬している先輩が、「悪魔に心を売り払ってもいいから、人の心がわかるようになりたい」と言っているのを聞いたことがあります。こんなすごい通訳者でも、そんなふうに感じるのかと驚きましたが、そもそも人が何を考えているのかを理解するなんて不可能です。本人でさえ、言語化できていない想いがあるでしょう。言葉が意味することをくみ取って訳す通訳者としては、「それを知りたい」と切実に思うのです。

同時通訳の現場では、「今の言葉でおっしゃりたいのは、こういう意味ですよね」と逐一確認することはできません。事前に時間を掛けて、その人の過去の発言を調べ、本を読み、関連資料に目を通して、言葉の背景にある意図や論理をできる限り理解しておきます。そうした準備を重ねた上で、現場では「この発言は、こういうことを伝えたいのだろう」とくみ取り、別の言語で過不足なく表現していく。通訳に求められるのは、単なる置き換えではなく、意図をくみ取って橋をかける役割なのだと感じています。

「通訳の仕事とは何か」は、多くの通訳者が本気で悩む問いですし、私自身もずっと考え続けています。言葉は、文化や生活習慣と切り離せません。本来、単純に“訳せる”ものではないはずなのです。それでもなお「訳す」とは、どういう行為なのか。

ある先輩通訳者が論文で書いていた言葉が、その問いを整理してくれました。通訳者は「機械のように訳す存在」であると同時に、「文化のファシリテーター」でもある、というのです。ファシリテーターとは、会議などで会話を交通整理し、問題解決や意思決定へ導く進行役のこと。通訳の現場では、直訳が最適解になる場面もあれば、通訳者が介入して補足したり意訳したりしないとコミュニケーション自体が成立しない場面もあります。

「通訳マシン」と「文化のファシリテーター」はまったく性質が異なるものです。けれど実際の現場では、そのどちらが求められているのかをいちいち確認することはできませんし、指示されることもありません。出てきた言葉や話の流れから、それを瞬時に見極め、適切に切り替える必要があります。その判断が正確にできて「通訳マシン」と「文化のファシリテーター」の間の、必要な役割を果たせる人こそがプロの通訳者だと、その論文にはありました。

—「聞いたまま訳せばいい」というものではないんですね。

田中 意図が伝わっておらず「そのまま訳したら喧嘩になる」というとき、通訳者はどうしたらいいのか。お互いの話がすれ違ってしまっているようなときに、どうやって交通整理をすればいいのか。あるいは「意訳はどこまで許されるのか」という問題もあります。「通訳は自分の意見を入れてはならず、中立でなければならない」というのは当然のことですが、実際は意訳しないと通じないことがほとんどなのです。自分の意見を入れることはないにしても、言葉のニュアンスには幅があり、その幅の中のどこを採るかという問題は、必ず出てきます。

これも先輩がおっしゃっていたことですが、通訳者というのは因果な職業で、「いることに気付かなかった」と言われるのが最高の褒め言葉だと。その先輩が言うには、かなり複雑なことをしているのに「できて当たり前」だし、通訳がもたつけば、その瞬間に通訳者の存在が悪目立ちして責められる。逆に、場が自然に回っているときは、通訳はいるのに意識されない状態になる。「いることに気付かなかった」と言われると、「今日はうまくいったんだな」と思うくらいで丁度いい、と。評価のされ方も特殊な分、「なかなか理解されにくい仕事だな」と感じることはあります。




英語は「使う」ためのもの

— 田中さんはアメリカに行ったばかりの頃、英語があまり話せなかったとのことですが、何をモチベーションとして英語を学んだのですか。

田中 よく「どうしたら英語ができるようになりますか」と聞かれますが、人間は切羽詰まれば本気が出せるものと思っています。モチベーションというより、追い込まれたらやる。私の場合は、留学先で、言葉ができないと日常生活が成り立たない場面が多くありました。

その後、アメリカの大学へ進学すると決めましたが、大学で学ぶ以上、授業も課題ももちろん英語です。内容についていくには、勉強量を増やすしかなく、私も必死に取り組みました。

アメリカの授業は、話し合いやディスカッションが中心で、学びはその場のやり取りから深まっていきます。宿題も「提出するため」というより、授業に参加するための準備として課されるものです。指定された本を事前に読んでいなければ、何がテーマなのかもわからず、肝心のディスカッションに加われない。日本の宿題とは位置付けがまったく違います。その授業スタイルが私にはとても面白く、何よりディスカッションに加わりたいと思っていました。だから、時には徹夜してでも課題を終え、準備を整えて授業に臨むようになりました。

— 日本とアメリカのコミュニケーションの違いについて、カルチャーショックを受けたことはありますか。

田中 日本には、相手の意図を「察する」文化があります。一方、アメリカでは、表現されたことがすべてで、「言わないことは存在しない」という感覚に近い。私は日本では「空気が読めない」と言われるほうでしたが、それでも日本人として「察する文化」が染み付いていたのだと思います。ところが留学したばかりの頃、アメリカでは「察する」という文化がありません。例えばホームステイ先でホストマザーに「これ食べる?」と聞かれて、遠慮して「いいです」と言うと、「ああ、そうなの」と本当に引っ込められてしまうんです。日本だと、「遠慮しないで、よかったら食べて」とやり取りが続いたりしますよね。

アメリカの大学で受けたコミュニケーションの授業でも、印象的な話がありました。テーマは「東洋と西洋の物事の認知の仕方」。西洋では「『ここに木がある』と誰かが言わない限り、その木は存在していないのと同じ」と捉えるのに対して、東洋では「『ここに木がある』と言った瞬間に、本来の存在が言葉によって歪められてしまう」と考える、という説明でした。その話を聞いて、なるほど、と思った覚えがあります。

アメリカの人は、「そんなの見ればわかるでしょう」ということまで、いちいち言葉にします。例えば「ここに木がある」というようなことも、日本人なら「各自が感じていればいい」と考えがちです。でもアメリカでは、それを一つひとつ表現する。だからよくしゃべる。逆に日本人はしゃべらない、と言われる所以です。

国際会議の仕事をしていると、よく外国の人から尋ねられるのが、「なぜ発言しない人が会議に出ているのか」ということです。日本の場合、会議にはずらっと大勢の人が並んでいますが、一言も発言しない人がいるのは珍しくありません。欧米の感覚だと、会議に出席するのは、発言して自分の考え方を提供するためであって、「発言して会議にコントリビューション(貢献、寄与)しないのなら、出席している意味はない」と考えるのです。

   
不登校、フリーターを経て、世界のトップリーダーたちから信頼される通訳者へ―。自身のこれまでの経験から、語学学習のみならず、新しいことへチャレンジする人の背中を押す『不登校の女子高生が日本トップクラスの同時通訳者になれた理由』(祥伝社)

— 日本人は、他のアジアの国々の人々と比較しても、国際的な場において、英語で発言することにハードルの高さを感じている人が多いと聞きます。

田中 「どうしたら英語ができるようになりますか?」という問いに答えるために、『新しい英語力の教室』という本を書いたのですが、そこでお伝えしたかったのは、英語は「学ぶもの」ではなく、「使うもの」だということです。

私は、日本人は英語の基礎力自体は高いと感じています。文法や語彙など、知識としてはしっかり身に付いている。けれど、その知識が「使える英語」になっていない。理由はシンプルで、使っていないからです。英語を「使える」ようになるには、結局のところ、場数を踏んで「使うこと」に慣れるしかありません。TOEICで高得点を取っているのに「話せる自信がない」という方は多いですよね。そういう方に「では、どうしたら自信がつくと思いますか」と聞くと、「もっと勉強して、TOEICの点を上げれば……」とおっしゃることがあります。でも、高得点をとっているのに自信が持てない人が、さらに点数を上げることで自信がつくとは、私には思えません。

日本人に足りないのは、英語を「使うこと」、さらに言えば「使い倒すこと」です。「英語の会議で全然通じなかった」と落ち込む人がいますが、ぶっつけ本番で話して「できなかった」とトラウマになるのは戦略として間違っています。まずは失敗してもいい場所でとことん練習し、恥をかきながら「どうしたら伝わるのか」を工夫して「使い方」を身に付けていくほうがいい。そうやって経験を積んだ分だけ、英語は「使えるスキル」に変わっていきます。

ただ、これまでの日本には、そうした場が十分にありませんでした。週に1回英会話学校に通うだけでは、場数を踏んだとは言いにくい。でも今は、SNSやメタバースなど、国籍もわからない相手と自然に交流できる時代です。練習の機会そのものは、以前より確実に増えています。AIに英語で話しかけて、聞き取ってもらえるかチェックしてもいいでしょう。

私は、愛知県出身で訛りもあり、滑舌にも自信がなかったので、通訳になったばかりの頃に「聞きやすい日本語を話せるようになりたい」とアナウンス学校に通ったことがあります。同音異義語は、抑揚一つで伝わり方が変わってしまうこともありますから。

ただ、通ってみるとこれが全然うまくいかない。練習しても上手くならず、涙目で「できない」とこぼしていたら、先生にこんなふうに言われました。「何かを身に付けるには、やり続けることが必要。でも、続けるには楽しくないと無理。だからまず、眉間にしわを寄せるのをやめなさい」—この言葉は、今でも大事な教えとして心に残っています。

昨今は、効率やコストパフォーマンスが重視されがちですが、楽にすぐ身に付くものは、それなりでしかない。時間をかけて努力し続けて身に付けたものこそが力になります。そのためには、楽しむことも大切。楽しくないと嫌になって続かないし、楽しいとエネルギーが湧いてきます……とはいえ、私も実際は泣きそうになりながらやっているんですけどね(笑)。




誰もが想いを手渡す「通訳者」である

— 翻訳・通訳ソフトが普及している現在において、人が通訳することの意味はどこにあるとお考えですか。

田中 私の場合、例えばコーチングなどで日頃から対話している方だと、「この人が本当に言いたいこと」が深く理解できていることがあります。そういうときは、言葉を補うなど、踏み込んだ意訳をすることもあります。そこまで意図をくみ取って介入する「通訳」は、少なくとも当面はAIには難しく、人が担う領域なのではないかと思います。ただ、それを「通訳」と呼ぶべきかどうかはわかりません。近い将来、違う職業名で呼ばれることになるのかもしれませんね。

また、スピーカーがうっかり撤回したい言葉を言ってしまったときなどに、「通訳を介して話をしたので、ちょっと誤解があったようです」と言われることがあります。そうやって緩衝材としての役割を受け止めることも、通訳の一つのあり方だと捉えています。こちらとしては「ちゃんと訳しているのに」と悔しく思うこともありますが、大事なのは通訳が素晴らしいと評価されることではなく、そこでなされるべきコミュニケーションがなされることです。

通訳の役割は、AIの翻訳能力が高くなったことで大きく変わってきています。人間とAIを比べると、機械の情報量とスピードにはとてもかなわない。私たちが一生懸命勉強して学ぶことを、AIは一瞬で処理してしまいますから。ただ、相手の意図をくみ取り、それを伝えていく努力を仕事によって経験すると、必ずどこかでそれが役に立つことがあるように思います。意外に理解されていないところでもありますが、通訳の仕事の「想いをくみ取る」「想いを伝える」という要素は、AI時代においてこそ大切なスキルだと感じます。

   

— 田中さんはコーチングの資格もお持ちで、現在はコミュニケーションアドバイザーとしても活躍されています。

田中 同時通訳者とエグゼクティブコーチは、職業としてはまったく別物です。ただ、どちらも「人を支える」仕事で、実は共通点がとても多いと感じています。

通訳では、言葉そのものだけでなく、話し方や態度、表情や文脈から「言いたいこと」を読み取り、別の言語で過不足なく表現する必要があります。一方、コーチングでも「答えはクライアントの中にあるのに、まだ見つけられていない」という前提で話を聴き、その人自身が気付けるように言語化したり伴走したりします。「思考」を「言語」に通訳しているというような感じでしょうか。

私がコーチングを学び始めたのは、とにかく人の話を聞くのが好きだったことが大きいですね。通訳の現場でも、移動中の雑談などで、クライアントが悩み事をふとこぼされることがあります。そういう話を聞いているうちに「せっかく悩みを打ち明けてくれるのだから、もっと力になりたい」と思うようになりましたが、自分にはできることもありません。そんなもどかしさを感じているときに、NPO時代の後輩から「アドバイスなどはせず、ひたすら話を聞いて、本人が自分で解決するのを助けるコーチングという仕事がある」と教わり、「これだ」と思ったんです。学ぶなら本場で、と勧められ、コロンビア大学の社会人向けプログラムでコーチング資格を取得しました。

コーチングを受けに来られる方は、悩みの渦中にいることが多く、話も支離滅裂になりがちです。そこで言葉を言い換えたり、整理したりしながら、「つまり、こういうことを言いたいんですよね」と言語化を手伝っていく。ご本人が気付きを得て「ああ、そうだ」と腑に落ちる瞬間は、通訳にも近い感覚があります。

— コーチングと通訳、両方のお仕事を続けていらっしゃいます。今後の活動について、展望をお聞かせください。

田中 私は20年以上、人の言葉を伝える仕事をしてきましたが「あらゆる仕事は、『人と人がつながる』『交流する』ということなんだ」と、最近ようやくわかってきた感覚があります。合氣道を習っているのですが、先日、その先生と対談する機会がありました。そこで先生が、「私は、先代の言葉の意味を考え続けています」とおっしゃったのです。

先代はすでに亡くなられていますが、それでも先生は、その言葉を若い世代にどう伝えていくべきか、今も考え続けているというのです。私はそれを聞いて衝撃を受けました。亡くなった方の言葉の意味を考え続けるということは、もし解釈を誤っても、誰かが正してくれるわけではないということ。その重さを想像したとき、「誰もがみな、人の想いをくみ取って伝えているんだ」と気が付きました。通訳だけではなく、技術者、物をつくる人、売る人、どんな仕事でも、人の望みや意図をくみ取り、相手に届く形にして手渡している。その気付きによって、仕事への向き合い方も少し変わってきました。

   
「Ideserveit」「It’sover」など、同時通訳の現場で心に残った英語のフレーズを、エピソードや文化的な背景とともに紹介した『言葉にすれば願いは叶う私に勇気をくれる英語フレーズ』(婦人之友社)。何げなく使われるフレーズの意味や、話者が込めた想いに触れられる

— どんな仕事にも、「通訳」をする一面があると。

田中 想いを伝えるという意味では、どんな仕事も「通訳」のような一面がありますよね。想いを伝える表現者と言ってもいいかもしれません。通訳の仕事は基本的には舞台裏の役割で、表に出ることはありませんし、何より守秘義務があります。だからこれまで、通訳の仕事で知ったことや学んだことは「頑なに語らない」という姿勢を通していたのですが、あるとき、通訳をしていなければ出会えなかった素晴らしい仕事をしている人や世の中の面白いことを自分の学びだけでとどめておいて良いのか、という疑問も出てきてしまったのです。

そんな私の視点を変えてくれたのが、私が尊敬するオードリー・タンさん(台湾の初代デジタル担当大臣)です。透明性をとても大切にされる方で、講演で通訳を担当した際も「私が話したことは、すべてオープンにしてインターネットで公開してください」とおっしゃいました。「語らないこと」を前提にしている私にとって、その言葉は新鮮で、「時代は変わってきているのかもしれない」と感じたのです。

オードリーさんと出会ってから、守秘義務に対する自分の頑なな姿勢を見直すようになりました。語れないことはもちろんあります。通訳の仕事は守秘義務を絶対に守らなくてはならないことは大前提ですが、それでも通訳で触れる内容の中には、オープンな場での講演会やメディアの取材など、すでに公開情報になっているものはありますし、ご本人の了解を得て話せることもある。そうした経験を、ラジオや講演などで言葉にして伝えていくことはできるし、むしろ貴重な経験をさせてもらった者の役割なのかもしれない。そんなふうに考えるようになりました。

福祉を起点に新たな文化を創ろうとしているヘラルボニーという日本企業があります。今日着用しているワンピースも、ヘラルボニーが知的障害のある作家さんとともに生み出したプロダクトです。ヘラルボニーのDEI研修(Diversity=多様性、Equity=公平性、Inclusion=包摂性)で通訳を担当したときには、通訳をしながら「なぜDEIが必要なのか」を深く学ばせてもらいました。人は一人ひとりが違うもの。程度の差はあれ、家庭環境だったり苦手なものだったり、誰もが何らかのマイノリティ性を持っている。弱さや特性は誰にでもあるけれど、それが社会の側で受け止められなかったときに、「障害」という扱いになってしまうのだ、と。

もし誰もが、自分のマイノリティ性を隠さずに出していい社会になったら、とても素敵だと思いませんか。私自身、これまで「自分の弱さや違いは隠したり抑えたりしなければいけない」と思って生きてきました。でも、みんなが自由にそれを表現できる社会になったらいい。今は、心からそう思います。

だからこれからは、クライアントの応援団として現場に立つだけでなく、仕事を通じて出会った「この人が活躍したら世の中が良くなる」と思える人や活動を、関わった後も引き続き応援し、伝えていきたい。「こんなに素敵な人がいる」「こんな活動がある」と届け続けること—それが、これから私が取り組んでいきたいことです。

特集記事
PDFで見る
特集記事
PDFで見る
助成申込みをご検討の方へ