動画配信で、日常にクラシックを招く

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「厳選クラシックちゃんねる」

2025年12月26日 11:00 Vol.94
   
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「厳選クラシックちゃんねる」
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登録者30万人を超えるYouTubeチャンネル「厳選クラシックちゃんねる」でクラシック音楽を紹介するYouTuber。ヤマハ音楽教室ジュニア専門コースでピアノとエレクトーン、作曲等を学ぶ。2020年4月よりYouTubeでの発信を開始。現在は、クラシックコンサートの企画・主催、TV・ラジオ番組への出演なども行う。2025年11月に初の著書『作曲家から知る「教養」としてのクラシック音楽』(KADOKAWA)を出版。

クラシック音楽は身近に流れているにもかかわらず、「ハードルが高い」と敬遠されがちだ。コンサート会場では熱心なリピーターが客席の多くを占め、新しい聴き手が入りづらいという指摘も少なくない。YouTubeチャンネル「厳選クラシックちゃんねる」を運営するnaco氏は、作曲家の人物像をひも解きながら、クラシック音楽への入り口を広げている。その試みと、音楽とともに暮らす日常への思いについてうかがった。
text: Makoto Tanoue photo: Masahiro Heguri




「プロ」と異なる視点で、フラットな発信を

— YouTube「厳選クラシックちゃんねる」はクラシック関係のチャンネルとしては異例の登録者数32万人を超えています。チャンネルを立ち上げた経緯から教えていただけますか。

naco チャンネルを始めたのは2020年4月です。ちょうどコロナ禍が本格化し、当時勤めていた会社もフルリモート体制に切り替わったタイミングでした。お酒を提供する飲食店なども次々と休業し、仕事以外の時間がぽっかり空いてしまったんです。「この時間を有意義に使えないか」と考えるなかで、自分の勉強にもなって、なおかつ誰かの役に立つことができないかと思い至りました。そこで、「YouTubeを使って何か発信してみよう」と考えたのが最初のきっかけです。動画編集のスキルが身に付けばいいな、という気持ちもありました。

どんな内容なら自分が発信できそうか、友人たちにも相談をする中で、候補の一つとして挙がったのがクラシック音楽でした。私自身、クラシックに特別詳しいわけでもなければ、プロの演奏家でもありません。ただ、クラシックのことを勉強していくプロセス自体が、自分の成長にもつながるのではないかと感じましたし、その学びを共有することで、リスナーの方にも気付きや楽しさを届けられるのではないかと思ったんです。私自身は、小学生の頃までピアノを習っていて、学生時代には合唱もやっていたため、クラシックの魅力を少しは自分の言葉で伝えられるのではないか、という思いもありました。

もともと私はクラシックに限らず音楽全般が好きで、ジャズ、ロック、日本のポップス、K-POPなどもよく聴きます。どのジャンルにも関心はあるのですが、発信をする上で、クラシック音楽には大きな利点があります。それは、著作権が切れている作品が多く、動画の中で実際に音楽を流しながら解説できるという点です。ロックやポップスだと権利の問題があり、なかなか同じようにはいきません。音楽の話をする以上、やはり価値の中心にあるのは「音そのもの」ですから、本当の魅力を十分にお伝えするためには、リスナーの方に実際に聴いてもらいたい。その意味でも、クラシックはYouTubeとの相性がよいと感じました。

—もともと、クラシック音楽に造詣が深いのかと思っていました。

naco チャンネルを始めた当初、私が曲名までちゃんと知っていたのは、誰もが知っているようなベートーヴェンの「月光」や「エリーゼのために」、ドヴォルザークの「新世界より」あたりだったかと思います。幼い頃からクラシック音楽もよく聴いてはいたのですが、好きな曲をBGMとして流しているだけで、作曲の背景や作品が生まれた歴史について、特別詳しかったわけではありません。だからこそ、YouTubeでクラシックをテーマに発信しようと決めてからは、真剣に勉強しました。

もともとの目標は、自分が勉強した内容を、堅くなり過ぎないよう噛み砕いて解説することでした。自分自身、「こういう動画があったら、もっと早くクラシックを楽しめたかもしれない」と感じていたからです。楽曲そのものの細かい分析というよりは、「ベートーヴェンという名前は知っているけれど、具体的に何がすごい人なんだろう」「モーツァルトは、なぜ天才と呼ばれているのか」「最近よく聞くリストという作曲家は、どんな曲を書いた人なのか」……そんな素朴な疑問から入って、その問いに答えるような動画をつくる、というイメージです。

私はプロの音楽家ではないので、自然とそうした人物伝に近い内容になっていったのだと思います。専門家の方であれば、曲の構造や技術的なポイントなど、音楽そのものを深く語れる強みがありますが、私にはそこまでの専門性はありません。その代わりに、作曲家の人となりや時代背景、エピソードを中心にお話しすることで、「この人の曲、ちょっと聴いてみようかな」と思ってもらえるきっかけづくりができればいいなと考えています。

逆に、演奏家ではないからこそ、ある意味では自由に発言できる部分があるかもしれません。特定の流派やスタイルを持つわけではないため、クラシック音楽全体をフラットに見て、「これもいいですよね」「あれも素敵ですよね」「どれもそれぞれの楽しさがありますよね」と横断的に紹介していける感覚があります。動画のコメント欄では「この作曲家なら、この曲もおすすめです」「このCDが名盤です」といった情報をたくさんいただきます。そうしたコメントを拝見しながら、こちらも勉強させていただいている、というのが正直なところです。

   
「厳選クラシックちゃんねる」
クラシック音楽好きのnacoが、クラシック音楽の情報や愉しみ方を発信するYouTubeチャンネル。作曲家の人生や代表作の紹介、名曲や音楽史の解説、アーティストとの対談動画などを公開している。2020年4月に開設し、現在はチャンネル登録者数32.1万人超(2025年11月時点)と、日本最大のクラシック解説チャンネルに成長。2025年11月に書籍『作曲家から知る「教養」としてのクラシック音楽』(KADOKAWA)を出版したほか、2025年秋までに4回主催しているコンサート『絶対知ってる!厳選クラシックコンサート』(直近はサントリーホールで開催)は、いずれも満員御礼の人気を誇る。

—クラシック音楽の専門家の意見を聞きたいわけではないとすると、リスナーはどのような層の方たちなのですか。

naco リスナーの方々は大きく2つのタイプに分けられると感じています。1つは、クラシック初心者の方々。かつての私と同じように、クラシックは好きだけれど詳しいわけではない、という人たちです。いわゆるサイレントマジョリティで、コメントは書かず、ただシンプルに動画を見て楽しんでくださっている。一般的なYouTubeとの付き合い方をされている層ですね。

もう1つは、よりエンゲージメントが高く、コメントを書き込んだり、毎回欠かさず見てくださったりしている方々です。クラシックに関する知識も豊富で、むしろ私より断然詳しい方も多い印象です。クラシック音楽について語り合える場を求めていらっしゃるように感じます。作曲家や作品について話したくても、身近に語り合える相手がなかなかいない—そんな方たちが、このチャンネルに集まってくださっているイメージです。私は話題を提供する人として、池に石を投げ込む役割を担っていて、リスナーさんが、そのあとの波紋を大きく広げてくださっている感覚です。

私自身の経験からも、知識がないまま音楽を聴いていると、「何となくこの曲は好き」「この曲はあまり刺さらない」といった、感覚的な好き嫌いだけで終わってしまいがちです。そうなると、どうしても自分の好きな曲ばかりをリピートしてしまい、世界がなかなか広がりません。でも、作曲家の人生や時代背景を知ることで、これまではあまりピンとこなかった曲が、急にとても魅力的に感じられることがあります。

また、「曲はCMなどでよく耳にして知っているのに、作曲家の名前までは知らない」というケースも少なくありません。身近にそういう話題を共有できる人がいないと、名前や背景まで意識が向きづらいんですよね。少なくとも、私自身はずっとそうでした。だからこそ、「厳選クラシックちゃんねる」に来れば、同じようにクラシックが好きな人たちがいて、思う存分その話ができる。そんな語り合える場所であることも、このチャンネルの価値かもしれません。

   
著名な作曲家の人となりやエピソードを紹介する解説動画や、演奏家などプロフェッショナルとの豪華対談、コンサートのレビューなど、幅広い切り口からの発信に挑戦している
   

—これまで、著名な演奏家の方たちとも対談をされています。チャンネルが大きくなるにつれて、そういったことも可能になったのでしょうか。

naco 多くはご縁から広がったお話です。大きなきっかけになったのは、チャンネル登録者数がまだ4,000人ほどの頃、アニメソングを中心に、数多くの名曲を世に出された田中公平先生から「見ています」とメールをいただいたことでした。その先生からのご紹介を通じて指揮者や演奏家の方々とのつながりが一気に広がりました。専門家や演奏家の方でチャンネルをご覧くださっている方もいらっしゃって、お会いした際、「実は見ています」と声を掛けていただくことがあります。そのたびに驚くと同時に、とても励まされています。




クラシックの「扉」を開く

—一定ペースで動画を更新し続けるというのは大変かと思いますが、どのような発信体制なのでしょうか。

naco 分業体制になっています。原稿作成から撮影までは私が担当し、その後の編集作業をスタッフにお願いしています。すべて一人でつくっていた頃と比べると、映像表現の幅も広がり、レベルが一段上がりました。

台本は、今でも一言一句すべて自分で書いています。作曲家を紹介する動画の場合は、1本あたり1万字を超えることも珍しくありません。その原稿を書くために、必要な書籍や文献を集めて読み込んでいます。

—チャンネルを継続的に運営するために特に留意されていることはありますか。

naco クラシック音楽をより多くの方に楽しんでいただくために、私は「攻撃的なコメントはブロックします」という方針を公言しています。さまざまなご意見やお考えがあるのは当然ですし、業界の発展のためには、健全な批判や議論が大切だと考える方もいらっしゃると思います。クラシック業界をよくしたいというお気持ちから、厳しめのコメントを書かれる方もおそらくおられるでしょう。

ただ、それは私のチャンネルの目的とは少し方向性が異なります。このチャンネルでは、視聴される方にできるだけ安心して楽しんでいただきたいので、否定的な強い言葉のコメントがはびこる場にはしたくない、というのが正直な思いです。そのやり方を「潔くない」と感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが、あくまで「クラシックを楽しむ場」であることを大切にしたいので、その点はご理解いただければと思っています。

私自身、クラシック業界を大きく変えたいといった大それた野望を抱いているわけではありません。ただ、自分の活動が少しでも業界にプラスに働くのであれば、とてもうれしいなとは思っています。

何より、クラシック音楽の価値は「自分が楽しいと感じること」「自分の人生が少し豊かになること」にあると、私は考えています。必ずしもクラシックにどっぷりとハマっていただかなくてかまいません。通勤電車の中ではいつもはポップスやダンスミュージックを聴いているけれど、たまにはクラシックを流してみようかなとか、寝る前のひとときにクラシックをかけてみようかなとか。どんなシチュエーションでもよいので、日常のどこかにクラシック音楽がそっと入り込む。そのきっかけづくりをすることが、私のチャンネルの役割だと考えています。

また、現在は毎週、有料メンバーシップ向けに限定ライブ配信も行っています。月に1回は、テーマを決めてZoomで座談会も開いています。この座談会には、私はあえて参加せず、別のスタッフにファシリテーションを任せています。私を中心に話す場にするのではなく、メンバー同士が横のつながりで自由に語り合える場にしたい、という意図からです。

—動画で紹介する音楽の音源は、すべて日本コロムビアさんから提供されているそうですね。どういった経緯があったのでしょうか。

naco 日本コロムビアさんには、本当に感謝しています。実は、YouTubeの著作権検知システムは非常に複雑で、著作権上の問題がない場合でも、動画がブロックされたり削除されたりしてしまうことがあります。パブリックドメインの音源のみを使っているにもかかわらず、開設当初はそうしたトラブルが何度か続き、「この状況があまりに頻発するようであれば、チャンネルの継続は難しいかもしれない」とライブ配信で率直にお話ししたことがありました。

その配信をご覧になっていた日本コロムビアのクラシック部門の方が、「このチャンネルがなくなるのは惜しいので、ぜひ当社の音源を使ってください」とご連絡をくださったんです。クラシック音楽を広めたいという思いを共有してくださる、誠実で温かいご対応だったと感謝しております。チャンネル登録者がまだ数万人くらいの頃です。その段階でこのチャンネルを見つけてくださったこと自体、とても驚きでした。

短期的な利益につながることではないにせよ、クラシック業界全体が活性化し発展していくことが、長い目で見れば自社の価値向上にもつながる、というお考えをお持ちなのだと思います。そうしたご厚意に支えられて成り立っているチャンネルでもあり、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

—クラシックは難しい、ハードルが高いと感じている人は多いと思います。クラシックの歴史をたどれば、その舞台の多くは欧州ですが、日本と違ってもっと身近に楽しんでいたりするのでしょうか。

naco 世界的に活躍されている日本人指揮者の方とお話しした際に、「クラシックに対するスタンスは、日本と海外でそれほど大きな差はない」とおっしゃっていたのが印象に残っています。国や地域ごとというよりも、楽団や指揮者、演奏家ごとにカラーが異なります。例えば、NHK交響楽団の演奏会では、全体として年齢層は高めで、落ち着いた装いの方が多く見られます。一方で、角野隼斗さん(YouTubeチャンネルの登録者数は150万人を超え、国内外から注目を浴びるピアニスト・作曲家)のコンサートに行くと、30~50代くらいの女性が多く、華やかな装いの方や女性も多く、客席の雰囲気はまったく違います。

私自身、一昨年に欧州、昨年は米国と英国を訪れ、現地でオーケストラの演奏を聴く機会がありましたが、むしろ日本以上に聴衆の平均年齢が高い印象を受けました。クラシックの聴衆が高齢化しているのは日本だけではなく、世界的な傾向なのだろうと感じています。この点については、海外で指揮をされている日本人指揮者の方も同じようなお話をされていましたので、おそらく実情に近いのではないかと思います。

一方で、まったく違う光景もあります。パリを本拠地とするパリ管弦楽団で、クラウス・マケラが指揮をした公演では、若い世代の聴衆がカジュアルな服装で思い思いに音楽を楽しんでいました。クラウス・マケラは端正なルックスでも知られていますが、そうした「ビジュアルの魅力」も、クラシックに親しむための入り口になっていると思います。音楽そのものはもちろんですが、そうした要素も含めて新しいファンを惹きつけることにつながります。

—「厳選クラシックちゃんねる」も、そうした入り口の一つですね。

naco おこがましい言い方かもしれませんが、いずれはそのような存在になれたらうれしいです。クラシックの世界には、演奏家、指揮者、オーケストラなど、いろいろな扉があってよいと思っています。実際、角野さんのファンの方も、最初は角野さんのピアノだけを聴きに来ていたのが、オーケストラとの共演をきっかけにそのオーケストラのファンになったり、ある指揮者とのやり取りをきっかけにその指揮者の演奏会に足を運ぶようになったりするケースが少なくありません。そうした広がりが生まれるように、さまざまな扉を開けておくことが大事だと感じています。




発信の工夫が効く時代

—演奏家側について、おたずねします。クラシックファンを増やす一方で、アート全般にいえることですが、アーティスト(演奏家)が職業として成り立ちにくいという課題もあるかと思います。

naco アーティストの方々に取材をさせていただく中で、音楽業界の厳しい現実についても率直に教えていただく機会が多くあります。本当に音楽だけで生活できる人は一部に限られているのだと、現場の声を聞くほど実感します。演奏家の一般的なキャリアパスは、いずれかのオーケストラや楽団に所属することです。しかし募集枠は決して多くなく、自分の担当する楽器のポジションが毎年募集されるとは限りません。

「演奏家は食べていくのが大変だ」と言われる状況にありながらも、音楽が好きな人、音楽家になりたい人、クラシックに取り組みたいと考える人は依然として多いと感じます。実際、「フリーランスとして活動していきたい」という若い演奏家の方が、ここ数年で増えている印象もあります。今はYouTubeのような発信の場もありますから、従来のようにコンクールで実績を上げなければそもそも自分の演奏を聴いてもらえなかった時代とは違い、コンクールに挑戦しなくても、自ら演奏動画を発信し、ファンを獲得し、そこからコンサート開催につなげていくケースも出てきています。

私自身の経験からも、YouTubeやSNSなどを通じて、セルフプロデュースが可能な時代になったと感じています。演奏そのもののクオリティに加えて、「どのように自分を魅力的に見せるか」「どうすれば人を惹きつけられるか」といった発信の工夫が、これまで以上に求められるようになりました。逆にいえば、そうした発信をしなければ、なかなか存在自体が伝わりにくい時代でもあります。素晴らしい演奏ができるだけでは生き残りが難しいという意味では、かつてより厳しくなっているともいえますが、その一方で、工夫次第で活躍の場を切り拓ける可能性は確実に広がっているとも思います。

ですから、私はクラシック業界の将来について、そこまでネガティブなイメージは持っていません。業界全体としては、数字の上では縮小傾向にあるのかもしれませんが、決して希望がないわけではない。少なくとも「厳選クラシックちゃんねる」には32万人の方が登録してくださっています。「クラシックに興味を持っている人が32万人いる」と考えると、むしろ心強く感じるほどです。実際、1日でチケットが完売するようなコンサートもありますし、まだまだ可能性は大きいと捉えています。

—コロナ禍で空いた時間を有効活用するために始めたチャンネルというお話でしたが、約6年間の活動で、クラシックに対する思いや関心など心境に変化はありますか。

naco 自分自身、クラシックへの興味・関心が年々深まっていると実感しています。「どんどん好きになっているな」と思います。感性のままに聴いていた頃は、自分の感性の枠の中で「これは何となく好き」「あまり響かない」で止まってしまうことが多かったのですが、知識が増えるほど、音楽の理解が立体的になっていく感覚があります。

イメージとしては、美術館で絵画のキャプションを読むときに近いです。ただ「色がきれいだな」と眺めていた絵でも、説明文を読んで構図の工夫や背景にあるストーリーを知ることで、「こんな意図があったのか」と見え方が変わってくる。クラシック音楽も同じで、作曲家や時代背景、作品に込められた思いといった知識が増えるほど、音の奥にあるものが感じ取れるようになり、より深く楽しめるようになりました。そこは、以前の自分から大きく変化した点だと思います。




ハードルをなくし、入り口を開きたい

—今後の活動の方向性、展望をお聞かせください。コンサートの企画なども積極的にされていますね。

naco クラシックについて、「食わず嫌い」の方を減らしたいんです。食べてみて合わなければ、嫌いなものを無理に勧めることはできませんから、それは仕方のないことです。でも、一度も口にしたことがないのであれば、せめてひと口は試してほしい。そのために、クラシックへの入り口はできるだけ開けておきたいと考えています。

つまり、「ちょっと一歩入ってみようかな」と思ったときに、「クラシックは難しそう」「堅苦しそう」と感じて、ドアの前で引き返してしまわないようにしたいんです。ポップスの場合、「知らないアーティストだから」「難しすぎて聴けない」と敬遠する人はほとんどいないと思います。好き嫌いはあっても、とりあえず聴いてみよう、という感覚が一般的ですよね。

ところがクラシックになると、なぜかそうはいかない。「ブラボー」問題(演奏が終わった瞬間に「ブラボー」と叫ぶのはアリなのか、ナシなのか。どの程度なら歓迎されるのかといった議論)に代表されるようなマナーの話や、服装はどうあるべきかといったイメージが先行して、「ハードルが高そう」と思われがちです。実際には、ジーンズとTシャツでもほとんどのクラシックコンサートには行けますし、もっと自由でいいはずなので、そのイメージを払拭したいという思いがあります。

また、「クラシックは長くて退屈」「最後まで聴き通せない」と感じる方もいると思いますが、短い曲や親しみやすい小品もたくさんあります。

これまではYouTubeで動画を発信することが主な入り口でしたが、今はコンサートを企画して「リアルな入り口」もつくるようにしています。実際、生の演奏にはすごく大きなパワーがあります。ロックやポップスと同じで、ライブに行くことでアーティストへの愛着が一段と深まったり、その日の演奏が特別な思い出になったりしますよね。クラシックの場合はマイクやPA(音響機器)を使わないことが多く、楽器そのものの音とホールの響きだけがダイレクトに体に届きます。その振動やエネルギーを全身で感じられるのは、生音ならではの体験だと思います。できるだけ多くの方に、その生音の感覚を味わってほしいです。

   
サントリーホールで開催された、司会としてnaco氏が出演する「絶対知ってる! 厳選クラシックコンサート Vol.4」の様子。広上淳一氏が指揮を務め、タクティカートオーケストラが演奏。プレトークも行われた 
©junichiro matsuo
   
作曲家の人生や名曲の裏話などが掘り下げて紹介され、クラシック音楽の入門書として楽しむことができる『作曲家から知る「教養」としてのクラシック音楽』(KADOKAWA)。掲載のQRコードから、紹介されている音楽を聴くことができるユニークな構成だ

—初めてのご著書『作曲家から知る「教養」としてのクラシック音楽』も上梓されましたね。

naco ありがとうございます。バッハやモーツァルト、ベートーヴェン、ショパンら誰もが知っている有名な作曲家から、20世紀以降の作曲家であるショスタコーヴィチやクセナキスまで、42人の大作曲家の生き様や、名曲の裏話を紹介しています。ページをめくりながら名曲を聴くことで、これまで何気なく耳にしていた音楽が新たな響きに感じられると思います。クラシックをより身近に、もっと楽しんでいただけるきっかけになればうれしいです。

実は、私たちの生活のごく身近なところにもクラシック音楽はたくさん流れています。例えば、中華食材のテレビCMでエルガーの「威風堂々」が使われていたり、自治体の夕方のチャイムとしてドヴォルザーク「新世界より」第2楽章〈家路〉が流れていたりします。多くの人がメロディーを聴けば「ああ、聞いたことがある」とわかるのに、芸術作品としてじっくり鑑賞したことはない、というケースがほとんどではないでしょうか。長く世界中で聴かれてきて、今もさまざまなシーンで使われているということは、それだけ人の感情を動かす力があるということ。親しみやすさや抒情性、人のエモーションを引き出すために活用されているのに、BGMとして聞き流してしまうのは、個人的には少しもったいないと感じています。

だからこそ、「この曲、聞き覚えがある」というところから入ってきてほしいという思いで、私が主催するコンサートでは「誰もが一度は耳にしたことのあるフレーズが登場する曲」だけをプログラムに組むことをコンセプトにしています。クラシックファン向けの「通好み」な作品よりも、「まずは知っているメロディーから、一歩だけ中に入ってみる」。そんな入り口を用意することを大事にしています。オンラインとオフライン、両方の扉を増やしていくことに、これからも取り組んでいきたいです。

   

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