古典文学への関心から「心の実証科学」へ
— 内田先生はご専門である「文化心理学」の視点からウェルビーイングを研究されています。最初に、文化心理学とはどのような学問なのかを教えていただけますでしょうか。
内田 文化心理学とは、私たちの生きている文化や社会の制度や環境と、私たちの心がどう関わり合っているかを実証的に研究する学問です。文化と心には関係があるということは、誰もが直感的に感じることだと思います。例えば海外旅行などでさまざまな場所を訪れた際、現地の人々や習慣に対して「私たちとは考え方が違うな」と感じることもあれば、「人はどこでも同じだな」と思うこともあるでしょう。実証研究として大切なのは、そうした直感にとどまらず「何がどこまで同じで、何がどこまで違うのか」、そして「なぜそうなったのか」をデータに基づいて明らかにすることです。
文化心理学は、間口が広くふわっとした言葉を扱っているように思われがちですが、実際にはデータを取って統計的に解析するという、基礎研究的な方法を取るのが特徴です。ウェルビーイングの研究には経済学や哲学などさまざまなアプローチがありますが、国際比較のデータを重視しているのが、文化心理学という分野だともいえます。
— どのようにして今のご専門に至ったのでしょうか?
内田 高校時代、『平家物語』や『今昔物語集』といった古典文学に深く惹かれ、京都大学の文学部に入学したのですが、大学の授業では時代考証を通じた作品解釈によるアプローチが多く、少し戸惑いを覚えました。私が知りたかったのは、古典に描かれた何百年も前の人々の心境に対して、なぜ現代の人が共感できたり、ときには理解できなかったりするのかということだったと気が付いたのです。しかしそのためにはどの分野で学べばよいのかわからなくなってしまいました。
何とか問いに答えてくれる分野を見つけたいと模索し、ひたすら読書をする中で、遠藤周作さんの『深い河』に出会い、衝撃を受けました。キリスト教徒がガンジス川に行き、そこで出会う人の生死について、宗教や文化の違いを乗り越えて理解しようとする。しかし、どれだけ親しくなっても完全にはわかり合うことはできないのかもしれない、といった葛藤も描かれていました。これは私が持っていた問題意識に似ているかもしれないと、文化や宗教などに関心を抱くことになりました。そして本作を読み解く対談本のシリーズを介して、ユング心理学を日本に導入した大家であり当時京都大学名誉教授でもあった河合隼雄先生のお考えに触れることができました。
河合先生のご著書には『昔話と日本人の心』があることを知り、まさに私が研究したかったテーマそのものの内容ではないかと感激しました。先生は既に京大を退官されていたのですが、近くで行われていた講演会を見つけて参加し、本にサインをいただき、「心理学を専攻しよう」と、河合先生がおられた教育学部教育心理学科に転学部したのです。一方で河合先生のような臨床心理学の方法論ではなく、データを用いた研究をしたいという思いを持つことにもなりました。心理学科では他学部の授業も受講することができたため、当時総合人間学部におられた北山忍先生の授業に出会うことができました。北山先生の授業では日米比較の文化心理学の実証的方法論について最先端の知見が述べられていました。時代という文化の違いを調べるのは難しくても、地理的な文化の違いをデータで示す方法論に大きな魅力を感じ、北山先生に指導をお願いし、文化心理学を専攻することに決めたのです。
— そこから「幸せ」の研究へとどのようにつながっていったのでしょうか。
内田 学部生から修士の学生の間は、対人関係や思いやりといった感情の研究をしていたのですが、その頃幸福についての心理学の論文が発表され始めていました。幸福研究の第一人者であったエド・ディーナー先生が、約50カ国の比較による幸福感の研究を発表しており、「幸福感は文化による違いが大きいのだ」と知って、強く興味を引かれたのです。
多くの研究では、個人主義的な傾向と人生に対する満足度が相関しているとされており、日本ではあまり幸福は高くないという結果になりがちです。しかし私は、「日本人の幸福は欧米で作成された指標ではうまく把握しきれないのではないか」と感じました。そこから幸福やウェルビーイングが私の研究における主要テーマの1つになったのです。その頃は日本でウェルビーイングや幸福を研究している人はあまりおらず、「幸せになりたいのは当たり前なので研究する余地はないのでは」「あいまいな概念なのに、どうやって研究するのか」と聞かれたものです。こんなふうに注目を集めて特集のテーマになる日が来るとは思ってもみませんでした。
「獲得する欧米の幸せ」と「関係性の中にある日本の幸せ」
— 日本と欧米で、幸福感はどのように異なるのでしょうか。
内田 前提として、幸福感を国際比較するためには「何をもって『幸せ』とするのか」を定義し、指標をつくる必要があります。これまでは北米やヨーロッパが中心となってウェルビーイングについての指標をつくってきました。
複数の国々を横断する文化心理学の比較研究には、莫大な手間とコストが必要となりますが、調査費用や人材を確保できるのは、必然的に経済力のある研究大国に限られます。そのため、アメリカやヨーロッパの一部で研究がリードされ、世界基準の指標が発信されてきたのです。国際標準とされているOECDの幸福度調査も欧米的な尺度に基づく調査のため、日本や韓国などのアジア諸国は、経済水準の割に幸福度が低く出る傾向があります。
— 具体的にはどのようなズレがあるのでしょうか。
内田 欧米の指標は「人生にどれくらい満足しているか」を重視する傾向があります。これは経済指標と相関しやすく、GDPが高い国ほど、ある程度までは満足度が高くなる傾向にあります。また、特にアメリカのような流動性と競争性が高い社会での幸せは、自己のスキルを磨き、キャリアや持ち物をより良いものにして「獲得」していく感覚が強いのです。一方、日本では「私の人生がどれだけ素晴らしいか」という個人の成功よりも、周りの人との関係性や、人生が山あり谷ありでも最終的に納得できる穏やかな日々を送ることが大事だという考えを持つ人が多くいます。
特に日本人の場合、今ある状態を受け止めて「足るを知る」という点を大切にする傾向があります。また、自分だけが突出して良すぎるよりも周囲とのバランスのある「ほどほど感」を好みます。すごく良いことがたくさんあることよりも、なるべく嫌なことがない状態を願い、精神的な安らぎを得ようとするのです。
そこで私たちは、欧米の指標だけでは不十分だと考え、「協調的幸福感」という尺度をつくりました。「大切な人を幸せにできていますか」「毎日穏やかな日々を過ごせていますか」「人並みの十分な幸せを得られていると思いますか」といった項目からなります。「欲しいものはすべて得られていますか」という獲得的な聞き方とは全く異なります。文化心理学者としては、国際比較をする際に1つの指標だけで判断するのは危険であり、多様な指標をとって関係性を見ていくことが重要だと提案しています。
調和的文化の「微調整」と、システムに守られる日本
— そうした日本の調和的文化は「評価懸念や他者視点などを微調整しながら成り立っている」と指摘されていますね。具体的にはどういうことでしょうか。
内田 日本人の幸福・ウェルビーイングの特徴は、人との関係性を重視することです。「協調的なウェルビーイング」というと、みんなでワイワイ仲良くしているイメージがあるかもしれませんが、実は日本人は純粋に仲良くするのはあまり上手ではありません。例えば、農業地域で調査を行うと、農村地域に住んでいる人は「周りからどう思われるか」を気にする「評価懸念」が非常に高いことがわかっています。田畑があるので簡単に引っ越しもできず、水の管理から行事まで共同作業も多いのです。そのため、ネガティブな評価を避けるための微細な調整がとても大事になります。その意味で、気の合った人たちを自分で選んで仲良くするというよりは、与えられた関係性に対して常に細心の注意を払う負荷がかかっているといえます。
ただ、そうした負荷は必ずしも悪いことをもたらすばかりではありません。ある大企業において、生理学的な炎症反応を計測しつつ行った調査では非常に興味深い結果が出ました。「あなたはどれくらい上下関係や周囲のことを気にしていますか」という質問で周囲へ多くの注意を払っている人かどうかを尋ねたところ、一見面倒そうな気遣いをしている人のほうが炎症反応が低く、健康的には良い状態にあることがわかったのです。
人に気を遣うのはコストがかかり面倒なことですが、長期的に見ると、そのコミュニティの中での居心地の良さや守られることにつながる「保険」として機能しているのかもしれません。言いたいことを遠慮なく言う人は、その場では気持ちよくても、関係性自体を変えることが難しいならば、長期で見ると周囲との軋轢が蓄積して、ますます不満が募るという悪循環に入ってしまうこともあるかもしれません。長く付き合う関係性が多い日本社会では、気遣いがもたらすメリットがあるということです。
— 他のアジアの国などでは事情が違うのでしょうか。
内田 コクヨのヨコク研究所との共同研究によるアジアを含めた海外のオフィスワーカーの比較調査で見えてきたのですが、日本のオフィスワーカーは比較した国の中で一番同僚からのサポートや、職場での親しい関係性に関する経験が少ないようです。アメリカで出会った台湾の研究者が、「日本人は本当に他人に頼らないし、頼まないよね。台湾ではみんなが協力して何かをするのが当たり前なのに、日本人は人に相談することにすごく気を遣う」と言っていたことを思い出しました。
— 助け合いの文化があるはずの日本で、それは少し意外な結果ですね。
内田 実は、日本では自発的な手助けよりも、「システム」による「面」で支え合っているのではないかと考えています。私がアメリカに留学していたとき、自分から「助けて」と主張しないと誰もサポートしてくれませんでしたが、求めればしっかりケアしてもらえる。要するに個人の主体的なやり取りで助け合っている。
しかし日本の場合は、自分が言わなくても、「仕組みの中」で誰かが助けてくれます。「部下が困っていたら助ける」のは上司の仕事・責任であり、上司が自発的に人助けをしたいかどうかという側面は小さい。助け合いは社会的な責任としてシステムに組み込まれているのではないでしょうか。ですから、助けた側も「親切で助けた」というよりは「上司としての責任を果たした」と捉えており、質問紙では「人を助けた」と回答しにくい面があるように思います。
日本の職場では「島(シマ)」で作業を回すという意識が強く、自分の業務範囲外でも、必要に応じてうまくカバーし合うことで職場の雰囲気が良くなります。逆に「これは私の仕事ではない」と押し付け合いになると途端に雰囲気が悪くなります。何がどこまで誰の責任と役割なのか。そうした状況判断も、日本的な「微調整」に含まれているといえます。
個人の心から「場」へ。包括的なウェルビーイングと社会実装
— 新著『日本人の幸せ―ウェルビーイングの国際比較』では、「場のウェルビーイング」という概念を提唱されました。
内田 最近のウェルビーイングブームで、省庁などの行政や企業、学校から、多くの相談が来るようになりました。しかし、皆さん一様に困っているのです。「行政として数値目標にしづらい」「会社で仕事はしんどいこともあるのに、ウェルビーイングにどう落とし込めばいいかわからない」「教育現場でもしんどさがつきものだ」と。多くの方が、ウェルビーイングを「個人のもの」であり「その瞬間に楽しいこと」だと誤解しているため、施策として何ができるのか、明確につかみ取れないのです。
私は「ウェルビーイングは決してその瞬間に楽しいということだけではありません。もっと未来志向で、しんどい思いをしてでも仕事で成し遂げることや、できなかったことができるようになる学習プロセス自体もウェルビーイングなのです」と説明しています。
ただ、そうしたプロセスを歩んで幸せを感じようと思っても、一人の力ではままならないことが多いものです。職場の環境が悪ければ、今の苦労が将来につながっていると思えません。だからこそ「個人で努力してください」で終わらせず、そこにいる人の背中を押すような「ウェルビーイングが生まれる場をどうやってつくるか」を、制度設計の問題として自分事にしてほしいと考えています。そこで新著では「地域の幸福」「職場の幸福」「教育現場の幸福」という3つの「場」を取り上げて論じました。
— どうすれば人がウェルビーイングを得られる「場」が構築できるのでしょう。
内田 調査を続けるうち、「人と人との信頼関係」が重要だということが見えてきました。企業なら管理職と部下の関係ですが、学校などの教育現場ならば、先生と生徒の関係がとても重要です。文部科学省が実施している全国学力・学習状況調査のデータからも、子どもたちのウェルビーイングは「先生が自分をちゃんと見てくれているか」「いつでも相談できるか」という関係に大きく左右されることがわかっています。しかし、そのためには先生側にも心と時間の余裕が必要です。
京都市の教育委員会と共同で行った調査では、非常に示唆に富む結果が出ました。先生方のウェルビーイング自体は基本的には高く、やりがいを感じているのですが、中間管理職の先生はクレーム対応や事務的仕事などでしんどい思いをしています。そこで私たちは、「こうした問題を個々の先生に一任して処理させるのではなく、地域全体の問題としてシステムで考えていきましょう」というフィードバックを行いました。データを積み重ねることで、個人の努力論ではなく、包括的な「場」の改善に向けた説得力のある議論ができるのではないかと期待しています。
— 心理学の知見を社会につなげる、社会実装の可能性についてはどのようにお考えですか。
内田 これまでは、国のマクロな政策を考える際、経済学や政治学の専門家が呼ばれることが多く、ミクロな視点を持つ心理学者が関わる場面は多くはなかったかもしれません。しかし、政策においてKPI(目標達成に向けた進捗度を評価する指標)をつくる際、指標に対する捉え方や測定方法において、心理学が貢献できることは非常に多いと実感しています。
私自身、2010年頃に内閣府の幸福度に関する研究会の委員になったのをきっかけとして、継続的に行政と関わる機会をいただいてきました。特に大きかったのは、文部科学省の中央教育審議会(中教審)の委員として活動してきたことです。第4期の教育振興基本計画の中に「獲得的ウェルビーイング」と「協調的ウェルビーイング」の2つの両輪を回していくという考え方が明記され、その結果、令和5年度からの全国学力・学習状況調査の中にはウェルビーイングの項目が入っていきました。
また、地域の幸福度指標を策定する研究をしていたことから、デジタル庁が公開している地域ウェルビーイング指標のダッシュボードの中に、私たちが提唱した指標が複数組み込まれることになりました。行政の指標づくりと心理学が重なる分野は、これからの伸びしろが非常に大きいと感じており、若い研究者にもぜひさまざまな機会に関わってほしいと思っています。
空間・集団とフィールドワークの重要性
— 「人と人とのつながり」のほかに、「場」のウェルビーイングに影響するものはなんでしょうか。
内田 人間関係だけでなく、私たちをとりまく建築、緑地や森林、都市計画といった「空間」も「場のウェルビーイング」に大きく関係します。京都市内では鴨川がゆったりと流れ、河川敷の緑も自然と目に入ってきます。これらはここで働く人たちのウェルビーイングに間違いなく良い影響を与えています。
景観や空間がもたらすウェルビーイングの向上は、大きな付加価値を生み、ビジネスにも直結します。しかし、単なる価格競争になってしまうと、一部の人しかアクセスできないものになってしまいます。行政の視点としては、鴨川のような自然や公園のように、「広くあまねく、誰もが自由にアクセスできること」を確保する政策も大切です。ウェルビーイングの指標を街づくりに組み込むことには、そうした意味合いもあります。
— 最近は建築など異分野の先生たちと共同研究をされる機会も多いと伺っています。
内田 現在アートの島として有名な香川県の直島町では、都市工学や建築の研究者とも一緒に「場のウェルビーイング」について研究を続けています。アンケートで住民の方のウェルビーイングを調査し、アートの存在がどう影響しているかを探ると同時に、センシング技術を用いて観光客の人流なども調べています。
人がいなさすぎても寂しいですが、集まりすぎてもストレスになります。集団としての人の行動や滞留の仕方を解析することで、過密や過疎の最適値はどのあたりなのか、その人自身が気付いていない無意識の行動やコミュニティの慣習、「場の状態」が見えてくるのではないかと考えています。ほかにも、オンライン上のバーチャルなコミュニティの言語分析を専門とする研究者と組むなど、異分野との交流から研究のヒントを得ることは数多くあります。
— 直島の調査をご紹介いただきましたが、内田先生は現地でのフィールドワークを非常に重視されていますね。
内田 調査を行う場合は、なるべく現地に足を運び、事前に聞き取りを行うプロセスを大切にしています。対象となる地域の文化や歴史を知らずに、適切な調査項目は作成できないし、データの解釈に困るのではないかと考えているからです。例えば、現地でお話を聞いている途中にポロッと「あちらの地区とは付き合いがないが、こちらの地区とは付き合いがある」といった話が出ることがあります。
なぜだろうと歴史的経緯をたどっていくと、何世代か前に水源管理でもめたといった歴史があることがわかったりします。逆にそういった歴史があるのに、なるべく対立(コンフリクト)を起こさないよう、隣町と一緒にお祭りを開催するなどの交流を促進する地域もある。「行事や祭事を共同で行うことは、実は紛争を防ぎ調停するための工夫なのではないか」といった考えが生まれ、それを調査項目に入れ込んでデータで実証していくということもあります。
— 京都でもウェルビーイングの調査をされています。
内田 京都市との共同研究で「京都のウェルビーイングとは何か」を探っています。京都というと神社仏閣などの観光的な要素が思い浮かびますが、実際に住んでいる人にとっては、地域のつながりや「居場所感」が幸福度に影響していることがわかってきました。
調査の中で「あなたは自分を京都人と思いますか?」という項目を入れたところ、京都人だと思っている人のほうが、幸福度が高いのですが、その理由はまさに居場所感やコミュニティの力でした。京都は「よそ者に冷たい」というイメージを持たれがちですが、内側に入ると、コミュニティのネットワークに守られる安心感や助け合いがあります。そして、そのネットワークに入るための入り口として、地域の運動会などの市民活動が盛んに行われています。「自分はコミュニティの中にいる」と思える瞬間が用意されており、それが京都におけるウェルビーイングを支えているのです。京都人ではないと思っている人も、思い切ってコミュニティに入ってみてもらえるような工夫が必要なのかもしれません。これも、思い込みではなくデータを取って初めて腑に落ちる事実です。
非日常の共有体験と、日本人に必要な主体性の確立
— スポーツや文化芸術など、非日常的な体験の重要性についても指摘されています。
内田 先日リリースされた『ワールド・ハピネス・レポート』日本版の時系列データを見ると、日本の場合、オリンピックなどの大きなスポーツイベントがあると人々のウェルビーイングが上がっていることがわかります。
また2022年に、文化庁とともに芸術とウェルビーイングの関係について調査を行いました。その結果、直接鑑賞できなくても、オンラインライブなど間接的であっても芸術に触れていた人のほうが、ウェルビーイングが高いという結果になりました。文化芸術に関心を持つ機会を奪ってはいけないのだとデータが示しています。
とはいえ、やはり「現場感」は大事です。映画館で一緒に映画を見て感動を共有したり、ライブハウスで知らない人たちと同じ曲で盛り上がったりと、日常では得られない共有体験は、人間の持っている喜びや悲しみといった「感情の共鳴」を味わう非常に重要なトリガーになっています。
現場での体験は、感情的な記憶と強く結び付いていきます。何年も前のライブであっても「誰と行ったか、どんな天気で、どんな空気感だったか」をいつまでも覚えていたりします。コロナ禍の後、「あのとき何をやっていたのか」と記憶を思い起こそうとしても、ぽっかり穴が開いているような感じがすることがあります。非日常の体験を失ったダメージは後から効いてくるのです。そして、何が影響しているかを正確に測るには、横の国同士の比較だけでなく、「時系列」での変化を見ることがとても重要になります。
— 国際比較の中で、日本人は「自己概念の明確化」や「主体性」が弱く、それがウェルビーイングの低さに関係しているのではないかという指摘もあります。
内田 自分の目的意識やパーパスといった主体性がはっきりしている国の人たちのほうが、ウェルビーイングは高い傾向にあります。どちらかというと日本人が不得意な分野です。それでもかつては、社会の構造が堅牢で、個々人に役割が与えられていたので、それに合わせていれば暮らしていけました。しかし社会の仕組みが変わりつつある現代において、主体が弱いと心身が揺さぶられ、メンタル問題などにつながりやすくなっています。「相手の気持ちを考える」という教育はされてきましたが、「なぜ相手の気持ちは自分の気持ちと違うのか」を考える主体性が伴っていないと、本当の意味で他者を理解することは難しくなります。空気を読むだけでなく、主体性の訓練をしていくことが、これからの日本のウェルビーイングを高める上でも必要なことではないでしょうか。
— 最後にお伺いします。内田先生ご自身にとってのウェルビーイングとは何でしょうか。また、ご自身でウェルビーイングを保つために、どのような工夫をされていますか。
内田 私にとってのウェルビーイングは「自分の成長を実感すること」です。少しでも自分の理想像に近づきたい。これは仕事だけではなく、家族や人間関係についても同じで、例えば「子どもに些細なことでも、いい言葉をかけられているか」とも考えます。些細なことでも、そして時間がかかっても、少しずつ考え方を柔軟にしたり、ある時には思い切って腹を括ったりと、「人として成長できているかな」という振り返りを大切にしています。
同時に、「こだわらない」ことも心がけています。仕事も、人間関係も、家事も、思いどおりにいかないことはたくさんあります。「毎日何品のおかずを絶対つくろう」と自分を縛り、できなかったときに「今日もできなかった」と自分にネガティブな評価を付けるのは足枷になります。そうではなく、達成できなかったときは「しょうがない、思いどおりにいかないこともある」と思って、自分を解放するようにしています。つまり、いちいち細かいこだわりを持って人に押し付けないようにしよう、面倒なことには少し時間をおいて、冷静に対応したいと考えています。
— 成長することと、こだわらないこと、両方を心がけておられるのですね。
内田 はい。私は今、人と社会の未来研究院の院長としてこまごました意思決定をしたり、あるいは誰かにお願いしたり指示を出したりする立場にありますが、その際「絶対こうしてください。私だったらこうするのに」などと思い過ぎると、ただの面倒な人になってしまいます。依頼した仕事の出来上がりを確認して、自分の想定と違ったとしてもこだわりすぎず、それぞれのやり方にある程度任せる。「かえってよくなる可能性もある」という点に気付くことが大事ではと思っています。
仕事以外では、3年ほど前から一念発起して全くの初心者でチェロを習い始めました。多忙の中で半ば無理やり時間をつくって始めたものですが、「初心者から始めれば、すべてがチャレンジなので楽しいかもしれない」と思ったのです。また、キャリアが重なってきて知らず知らずのうちに偉そうになることは怖いと思いまして、完全にダメ出しをされる立場の「弟子」になりたかったのです。
レッスンは本当に難しく、そして、とても楽しいです。先生からは「弓の動かし方にせっかちな性格が出ちゃってるよ(笑)」などと指摘されることも。仕事ではもうなかなかそういうことを言ってもらえませんから、ハッとさせられることの連続です。数百人の前で1時間も講演するのは全く平気なのに、数十人を前にするたった数分の発表会で猛烈に緊張する経験も新鮮です。イメージどおりにいかずたくさん間違ってしまっても、それで自分を責めたりガッカリしたりするより「ここまで弾けてよかったな」と考えて楽しんでいます。そうしたチャレンジを日々の成長の糧にしようと思っています。













