気持ちのいい家、居心地のいい空間
— お二人は住宅から都市計画まで多種多様なプロジェクトに携わってこられました。ドーナツ型の屋根を子どもたちがぐるぐる走り回れる「ふじようちえん」をはじめ、作品からは風がよく通る、居心地のよさを感じます。最初にお伺いしたいのですが、作品をつくるにあたって"ウェルビーイング"という言葉を意識することはありますか。
貴晴 皆さん、ウェルビーイングってどういう意味で使っているんでしょうね? より自分らしいということでしょうか?
由比 心身ともに健康な状態ということじゃないかな? 昔、『きもちのいい家』という本を出したこともあります。気持ちがいいって、建築においてすごく大切で当たり前のことですが、私たちが独立した頃は、そんなの建築家が扱うテーマではない、もっと高尚なことを言わなければならない、みたいな雰囲気がありました。その後だんだん世の中が変わって、建築家がそんな話をしてもおかしくなくなりましたけど。住む人や使う人が、どう幸せになるだろうということは、建築を通じてずっと考えてきました。
気持ちよさといえば、初めの頃につくった「屋根の家」は、傾いた屋根の上に、テーブルと椅子とキッチンとシャワーが付いた家で、天窓から屋根に上がって、谷の向こうの景色を見ながら家族でご飯を食べられる。そうしているだけで、気持ちが穏やかになります。施主のご夫婦と、当時小さかった娘さんたちが屋根に上って過ごすのが好きだと聞いて、こうしたらもっと楽しいかなと、家族の暮らし方に沿ってつくりました。
この「屋根の家」をご覧になったのが、立川市の「ふじようちえん」園長の、加藤積一(せきいち)先生でした。子どもたちが屋根の上を走り回れたら楽しいんじゃないかと。
貴晴 円相だから、どこまで行っても終わりがないんです。子ども同士でプイッと別れても、ぐるっと回って戻ってきちゃう。年中引き戸を開け放していて、室内には風も通るし、外の音も入ってきます。教室は壁で仕切られていないので、隣のクラスのピアノが、絵本の読み聞かせと入り交じる。バックグラウンドノイズがあるほうが、子どもたちはかえって集中できるんです。
— もともとあったという巨大なケヤキが3本、建物の中からニョキッと伸びて枝葉を広げているのも面白く、自然との一体感も覚えますね。お二人は立川市の屋内遊び場「PLAY! PARK」も設計され、貴晴さんは館長も務めていますが、子どもの遊びには何が大切だと思いますか。
貴晴 みんなが同じことをしていないこと、しなくていいことですね。PLAY! の大型遊具を学生と一緒に考えると、初めはルールのある案ばかり出てきて、それでは面白くない。森でみんな違うものを見るように、それぞれ違う視点から、好きな遊び方を見つけるほうが楽しいでしょう。子どもたちは多様なので、多様なままいられる場所をつくりたいと思っています。
— 使い方を限定しないほうが、自分で遊びをつくり出せるのですね。
貴晴 そう、建築によって、そこにいる人の生活や行動は本当に変わるんです。「屋根の家」の家族の形態も変わりました。室内はオープンスペースで個室がないので、けんかしたら屋根に上がって、雨が降ってきたりしたら戻ってくる(笑)。お姉ちゃんが勉強していたら、妹が気を遣ってテレビを消す。こういうさりげない出来事が、世の中からだんだん消えつつあります。"壁"がそうさせている。個室にこもって、お互いに迷惑をかけないように過ごす。都市もそうです。高い塀で家の様子は見えないし、内側から道も見えない。外で起きていることは関係ないから、道路は行政が掃除してください、となる。
昔の長屋で、「今日は静かだけど、お隣のおじいさん大丈夫かな」って見に行ったような、お互いに迷惑をかけ合い、「助けて」と言い合えることは、すごく大事だったのではないでしょうか。そんな関係も、建築がつないでいるんです。
建築が人の暮らしを変えていく
— 建築次第で人はつながれるし、離れてしまうこともあるのですね。
由比 建築が変わると、そこにいる人の生活が変わることを、私たちは、何度も目の当たりにしてきました。
この数年、ヒマラヤの奥地にある子どもたちの施設ジャムセイ・ガッツァを建て直す計画に携わっています。インド北東部のブータンとの国境地帯、中国との紛争もあった地域で、一番近い都市から500キロあり、道なき道を車で走って、たどり着くのに2日がかり。チベット仏教の僧侶ロブサン・プントソックが個人で始めた施設で、80数人の孤児たちが共同生活をしています。非常に貧しい、ウェルビーイングとは縁遠いような過酷な地域で、親がアルコール依存症だった子、虐待を受けた子など、孤児たちの事情を聞くと過酷なのですが、ここで暮らしている顔は、みんな生き生きして幸せそう。私たちが行くとニコニコして集まってきて「グッドモーニング、マム!」「グッドモーニング、サー!」って挨拶してくれます。
貴晴 うちの奥さんの誕生日に、子どもたちがケーキをつくってハッピーバースデーを歌ってくれたこともありました。誕生日ケーキなんて、みんな初めて見たんですよ。切った後がまたよくて、お皿が足りないから、めいめい手づかみで(笑)。
由比 人生最高の誕生日でしたね。
貴晴 みんなで分けるという、実はこれが、やっぱりすごく大事なことなんです。慈悲や喜捨といった日本語では表せない。うちの娘の通ったカトリック系の学校でも「スプーン1杯のお米」を届けましょう、というような活動をしていて、それはそれで大事だけど、それとも違う。自分が持っているものを分け与えれば、減っていくと思うでしょう。ところが私たちは、あげた以上にもらっている。そこにいるだけで幸せになり、気付いたら、ときに自費でもヒマラヤに飛んでいたりする。
由比 この子どもたちの施設では、良い意味での相互依存というか、お互いに助け合って生きていくことをとても大事にしています。ホームが今4軒あって、4人のお母さんたちがいて、子どもたちが集団生活をする中で、年長の子が年下の子の面倒を当たり前にみる毎日。「明日試験なんだ」って言いながら赤ちゃんを抱っこして勉強していたりします。助け合うことでどちらも満たされる環境ができているんですね。私たちは建築を通じて、そのお手伝いができればと思っています。
貴晴 個人の持ち物は1人1箱もないけれど、誰も不幸な顔をしない。あなたが笑えば私もうれしい、悲しければ私も悲しい。その相互依存関係が積み重なって、お互い、自分の場所を見つけられる。ウェルビーイングってこういうことではないかな。
— 建物を建て直す計画があるのですか。
由比 そうです。ロブサンに頼まれたのは、ここの子どもたちに世界一の学校をつくって、学ぶ環境を整えてあげたいということ。実は、私たちが関わる以前から、ジャムセイ・ガッツァには素晴らしい教育がありました。アルナーチャル・プラデーシュ州でトップ10の成績を収めた高校生のうち、8人がここの出身だった年もある。ここに暮らす子たちは、9割以上が大学に進みます。学ぶことの意味をわかって自分から考えているというのか、やらされている苦痛がないんです。
最近は、一般の裕福な人たちから、ぜひうちの子もと依頼が殺到して、交ざって一緒に学び始めてもいます。ここは世界で最も貧しい場所だけれど、最も精神的な豊かさがあり、そして、世界の最先端の教育システムがつくり上げられている。今、一生懸命お金集めもやっているところです。
貴晴 気付いたらアンバサダーとして、建築家なのに、資金集めにまで関わるようになっちゃって(笑)。私たち、そういうことが多いんです。
1つ目は神戸の「チャイルド・ケモ・ハウス」。小児がんなどの治療で長期入院する子どもたちと、その家族のための滞在施設です。小児がんのお子さんを持つご夫婦の話を聞いて、小児病棟を初めて訪問したときは衝撃を受けました。子どものベッドの脇のわずかな隙間に折りたたみベッドを置いて寝起きするお母さんたちは、自分は毎日コンビニの食事で、パートナーやほかのきょうだいにも会えず、数カ月から半年続く入院で心身ともに疲弊し、家族がバラバラになってしまう。個室は1泊3万円もして、これは東京の都心にぜいたくなマンションを借りられる金額です。今ある病院や医療制度の中ではどうしても解決できない。
あちこちでこの話をしたら、共感してくれる組織や人が集まってきて、8年かけて、家族が一緒に過ごせる「家」が実現しました。私たちが追い求めたのはぜいたくではなく、家族で食卓を囲み、子どもが安心して眠れる、親がちゃんと休める、当たり前の生活です。そうあるべきと考える人はいても、思いを伝える場所がなかったのです。
社会に光を投げかける建築
— 「チャイルド・ケモ・ハウス」によってこの問題を知った人も多いのでは。優れた建築には伝える力があるのですね。
貴晴 北九州市では今年、「希望のまちプロジェクト」が完成する予定です。1988年からホームレスなどの支援に取り組まれている奥田知志(ともし)さんが中心になって、小倉の市街地につくる複合施設です。奥田さんは、私たちが設計した日本バプテスト連盟・東八幡キリスト教会の牧師さんです。
「希望のまち」は、苦難を抱える人を受け入れる救護施設であるとともに、コワーキングスペース、シェフのいるレストラン、生活支援や就労支援、地域コーディネートなどの機能を備えた、誰もが立ち寄れる居場所です。この場所は以前、特定危険指定暴力団工藤會の本拠地でした。怖いまちから希望のまちへ、この場所からまちづくりをしていく取り組みです。奥田先生はよく言います。人は独りでは生きられない、だから「助けて」と言えるまちをつくろうと。貧困とは、ただお金や食べ物がないだけではなく、1つのパンを分かち合って、おいしいねって一緒に食べられる人がいないこと。生活の豊かさは数字では決まらない。困ったときに頼れる人がいて、そんな自分を必要としてくれる人がいる、この相互関係が大事なんです。
希望のまちスケッチ
— インドの子どもたちの施設、チャイルド・ケモ・ハウス、希望のまち、どれもいわゆる住宅ではありませんが、人々のウェルビーイングを支える暮らしの基盤であり、まさにホームですね。
貴晴 道具によって人は人間らしくなったといいますが、本当にほかの動物と違うのは、建築をつくり始めたことではないかと思います。巣は動物もつくるけど、人間だけが、柱を立てて木組みをして、石を積んで、都市だ文明だってやっている。同時に、人間は自然に背を向け始めて、森の中のものをそのままでは食べられなくなった。そこを建築が媒介してきました。料理する場所、結婚する場所、子どもを育てる場所。どんどん進歩して、ついにお互いを気にしなくていいようにまでなった。建物は遮音され、音楽ホールではお金を払った人だけが音楽を楽しめる。素晴らしい料理を出す店にいても、その外で寝ている人のことは見えなくなってしまった。
以前はどこの公園にもあったパーゴラ(あずまや)も、行き場のない中高生がたむろしたり、人が寝泊まりしたりするからとかなり撤去されました。おかしいのはその人たちじゃなく、社会のほうです。見えなければ気付けないし、「どうしたんだい」と声をかけることもできない。建築が世の中を隔てている。
— セキュリティやプライバシーは大切ですが、大切にしすぎると分断が進む。難しいですね。
貴晴 そんな時代に、私たちは"人をつなげる建築"を考えたいんです。新潟県の三条市でつくった「ステージえんがわ」は、街に開いた長い縁側のある、大きな屋根のある広場です。お年寄りが家に閉じこもりがちという課題もありました。「えんがわ」の両端はスロープになっていて、受付も扉もないので、誰でもなんとなく入ってこられる。結婚式もできる。ふすまや障子を外せば外とつながり、屋根しかなくなるのが日本の建築。
自分の城に閉じこもる現代でも、人間の生活には、ほかの人とつながっていることが大切です。建築が外部に開くと、生活はもっと豊かになる。公共建築はもちろん、住宅や病院も、プライバシーをきちんと確保しながら、精いっぱい開口部を取って、風や景色や光を取り込むようにしています。
心身が満ちる暮らしの原風景
— お二人のお父様もそれぞれ建築家ですが、「よりよい暮らしの手段としての建築」の原風景になった経験はありますか。
由比 父が設計した実家は、平屋がせり上がったような形をしていて、どの部屋にも縁側があり、縁側を通じて家の中と外をぐるぐる走り回れるようになっているのがとても好きでした。縁側には軒がかかっていて、座って足をぶらぶらさせながら宿題やったりして、気持ちよかったですね。私の部屋は障子1枚隔てたリビングの隣で、テレビの音がガンガン聞こえる中で勉強しなきゃいけなかったのですが、家族の存在がいつも身近にあったことは、よかったなと思います。
— 円環構造も、外とのつながりも、適度なノイズも、ふじようちえんに通じますね。貴晴さんはいかがでしたか。
貴晴 私も父が設計した家で育ちました。今思えばかっこいい家でしたが、その価値がわかったのはずっと後になってからでした。というのは、私の兄に障がいがあったので、父は海外に出る夢をかなえられず、母は兄にかかりきりで、家族で過ごす時間の多い家庭ではなかったんです。
生活の豊かさというものを実感したのは、アメリカに留学した後、ロンドンの建築家リチャード・ロジャース卿の下で働いた頃でした。ロイズ・オブ・ロンドンやパリのポンピドー・センターなどハイテク・スタイルで知られる巨匠ですが、「ライフとは何か」を常に語る人でした。建築設計事務所はテムズ川沿いにあり、そこから眺める夕日は忘れられません。毎日3時になるとタカ・テヅカ・ティー・タイム・トーク、Tが5つとか言って—私、ヒースロー空港のターミナル5の仕事を担当していたので—みんなのトースト焼いて、紅茶淹れて。テムズ川のボートレースがあれば、わいわい観戦する。これがライフだ、建築はライフだと、師匠はいつも言っていました。大切なのは、建築というよりも、建築の向こうにある風景を感じられる場なのだと気付かされました。
そして由比と結婚して、ロンドンで一緒に生活して、彼女がどう思っていたかわからないけど、保護する対象ができた気がしたんですね。家族の苦労も改めて理解し、兄のおかげで社会をいろんな角度から見られるようにもなり、自分が持っていたものの貴重さにも気付けた。そうやって、私はライフについて後発的に学んできました。もともと構造力学や数学が得意で、アカデミック寄りで、ときどきすごくハードに動く私と、何一つ苦労せず大事に育てられて、大切にしてきた家族像があって、縁側の気持ちよさをのほほんと語れる妻と(笑)、その組み合わせで我々はできているんですよ。
一緒においしくご飯を食べること
— 近著『いのちの建築』は、ご自宅で朝ご飯をつくる場面から始まります。お忙しい中で、2人のお子さんとの生活も本当に大切にされていますね。
由比 大学を卒業してすぐ結婚したので、私は一人暮らしをしたことがなく、初めは料理もできなかったんですよ。
貴晴 子どもが生まれるまでの10年は、私が料理していましたね。
由比 離乳食がほとんど初めての料理でした。娘を保育ママさんに預けるために一生懸命レシピを見ながらお弁当つくるんだけど、食べてくれないんですよ。手塚が「俺がつくる」と言い出し、そのうち凝りだして、お品書きまで付けて(笑)。
貴晴 小さかった娘が、空のお弁当箱に入れてくれた「ありがとう」というつたない字の手紙を、大事に缶に入れてピアノの中にしまっています(笑)。
私は昔、『クロワッサン』に寄稿していたくらい、料理が好きなんです。おとといの朝ご飯は、エリンギのアヒージョと、30分くらい蒸したジャガイモとニンジンと、卵料理。別の日は、じっくり焼いたシイタケと、メカジキをみりんとしょうゆに1時間浸けて、米粉をはたいて、米油で二度揚げ焼きして、カリッと揚げたニンニクを添えたのとか。
— 朝ご飯とは思えない充実ぶりですね。
由比 一緒においしくご飯を食べることって、人間の幸せに深く影響するところだと思っているんです。
貴晴 子育ての基本はえさやりですよ。動物は餌をくれる人になつくし、餌をあげるのも本能ですからね。うちの子たちはすっかり大きくなって、もう立派な大人ですが、先日、私と妻がスーパーで、息子に「晩ご飯どうする?」と電話したら、「いいよ、適当にするから」と言われたと、妻がすごくしょんぼりして。息子も気付いたのか「ママ、やっぱり青椒肉絲(チンジャオロース)がいいな」なんて電話してきて、妻はとたんに笑顔になって。息子が後で「あれは給餌本能だよね」って(笑)。自分より大きくなった子どもにも、親は餌をあげたいんです。必要かどうかはともかく、してあげることで幸せになるし、喜んでもらえたら、やっぱり嬉しい。これも人間の面白いところです。
建築も同じで、一生懸命つくったものをわかってもらえたら嬉しいし、喜んで使い続けてくれたら嬉しい。建ったらおしまいじゃなく、その後もずっと付き合いが続いていく。建築をつくることは、自分たちの人生をつくることなんです。
与えることでより豊かになる
— 自分だけでなく、相手のためだけでもなく、「自分たちの」人生。やはり、ウェルビーイングはひとりではなく、社会全体で目指していかないと、成り立たないのでしょうか。
貴晴 「希望のまち」も、奥田牧師が最初に相談に来られてから実現まで14年。資金調達も含めていろいろな人とつながって、私たちも幸せを感じています。なんて言うと、「自分の幸せのためにやっているのか」って言われるけれど、そうですよ。何がいかんのですか。自分がまず幸せにならないと、物事は続かないんです。
由比 奥田先生も、ホームレスだったおじさんたちと一緒にお酒飲むのが大好きだものね。
貴晴 何千人ものホームレスや生活困窮者の支援をしてきた奥田さんですら、自己犠牲ではないという。そんな奥田さんは世界一幸せな人でもあると思います。
由比 孤児院を開いたインドの僧侶ロブサンは、自身も孤児で、子ども時代を持てませんでした。でも今、85人分の子ども時代を生きていて幸せだと話します。彼自身も、人助けという意識はなくて、子どもたちとの暮らしや彼らの成長を楽しんでいるんです。
— お二人が大切にしたいウェルビーイングとは、どういうものでしょうか。
由比 やっぱり、人と喜びをシェアすることだと思います。喜びは倍になり、苦労は半分になるというけれど、私たちは数えきれない人たちと出会い、建築を通じてたくさんの人生に関わることができました。建築って、いろんな人たちが、誰かを排除することなく、お互いに気にかけ合って一緒に生きていく場をつくる、ツールみたいなものだと思っています。
貴晴 別に特殊な能力じゃなくていいから、生きがいというか、何のためにこの世に生を受けたのか、自分の場所が見つかると幸せだと思いますね。それは外に探すものではなく、自分の中にある。
私たちも、たいしてもうかってはいないけれど、面白い人生だなと思いますよ。毎日ご飯を食べられて、みんなで笑って過ごして。年末に事務所で餅つきすると、そのとき関わっている人だけじゃなく、独立した所員、かつてのお客さん、大昔のテレビ番組の制作者まで、いろんな人がやってきます。人とのつながりや、感じた喜びは、たとえ何があろうと誰も私から奪っていけません。
つながりを育む、壁のない学校
— ウェルビーイングな社会の実現には、次世代を担う子どもたちが育つ環境をよくすることが不可欠ですね。
貴晴 軍隊で号令どおりに動ける人を養成した時代と違って、今は多様な能力で世の中をつなぐことが大事です。学校も変わらなくちゃいけないとき。私たちは10年以上にわたり、「壁のない学校」を提案してきましたが、なかなか実現しませんでした。現場の先生たちの熱心な相談を受けてコンペに参加したのに、「前例がない」と書類で落とされ、審査のテーブルに上らなかったことも。建築が変われば教育が変わるのに、残念ながら建築は時代の最後尾にいます。
— 建築というハードは値段が高く、時間もかかるからでしょうか。
貴晴 決定する立場の人がわかっていないんですね。教育の専門家が参考にするのは過去の事例だから、バックミラー見ながら運転しているようなもので、ブレーキばかりかける。後部座席に座っている現場の先生たちは、変化を実感しているから、前を見て! と一生懸命言うんですけどね。
世界ではもう変わり始めています。2025年に、壁のない学校「Najmara」が、ドバイで初めて実現しました。「教育が未来だ」と確信する国のリーダーが、これまでにない学びの場をつくろうと動き出した、実験的な学校です。子どもを四角い教室に集めるのではなく、広い空間のところどころに絨毯を敷いて、その上に集まるクラスター型をしています。壁がない空間で、顔を合わせて話していると、お互いのほしいものもわかる。向こうの人の顔がちゃんと見えていれば、戦争を起こそうとか、殺していいなんて思えないはずです。
これまでにない学校づくりを、現在、インドのアーメダバードや、ポルトガルのリスボン郊外でも進めています。どちらもかつて森林破壊があった土地で、エコシステムの再生も同時進行。アーメダバードでは、大きな屋根が小さな森を取り囲み、大きな空間で学びをシェアします。ポルトガルでは、地下水の流れを邪魔しないように建物を小さくつくり、建物群の間を空気、水、熱がうまく循環するように計画しています。
— シェアや共生、曖昧な境界、循環などのキーワードは共通しつつも、土地ごとの文脈、つくる人の願い、使う人の幸せな生活と未来に寄り添うことで、それぞれまったく違う形になっていくのですね。
貴晴 みなさんアイデアはあるけれど、それを実体化するのが難しいんですね。私たちはそこを学んできたので、依頼主や使う人と一緒に過ごし、たくさん話しながら、バラバラの出来事や漠然としたアイデアを拾い集めて、最後の1ピースとして建築をつくる。それがかちっとはまると、いろんなことが大きく動き出すんです。これが建築の力です。人の暮らしが変わり、社会が変わっていく。
インクルーシブな都市空間とは
— 地域コミュニティや街並み、都市環境にもウェルビーイングの視点を広げると、例えば、東京についてはどう見ていらっしゃいますか。
由比 東京は悪くないと思いますよ。まず、車がなくても公共交通機関を使って移動できるところがいい。完全な車社会のドバイなどに比べて、東京やニューヨークは歩いて生活できるので、街にたくさん人の姿がある。歩ける街では、いろんな人の存在に気付けるし、認識し合えていれば、とりあえず一緒に生きていくことができると思います。
他方で、建築でいえば、街から軒が消えたことで、建物の中と外がきちっと切り分けられてしまい、ふと佇んだり、ちょっと話したりするような場所がどんどんなくなっていると感じます。わざわざ出たり入ったりしなくても、店先でお店の人と会話するみたいに両側から人が交わり合うような、外と中が曖昧な場所が増えてくると楽しいと思います。
貴晴 東京が面白いのは、過去も未来も同時に存在しているからじゃないかな。例えば渋谷は、渋谷川や宇田川が、暗渠になった現在も街を支配して、道筋を決め、建物を歪ませている。特定の時代にとどまらず、そこに新しい建築が生えていく。デザインアーキテクトとして携わった「渋谷フクラス」では、「1人でデザインしない」ことを心がけ、街に背を向けないよう足元は路面店にして、開いた高層ビルを目指しました。
21世紀の今、技術は未来の象徴ではなく、においや手ざわりを感じる人間らしい生活を支えるために陰で働く存在です。昔を復元するのではなく、なつかしい未来を想像しながら、ありそうでなかった、本当にあるべき「当たり前」を、建築を通じて形にしていきたいですね。



















