見えないものへのまなざし─能に学ぶ日本人の心性

安田 登

能楽師

2026年6月26日 11:00 Vol.96
   
安田 登
能楽師
Noboru Yasuda
1956年千葉県生まれ。下掛宝生流ワキ方能楽師。ワキ方の重鎮、鏑木岑男師の謡に衝撃を受け、27歳で入門。ワキ方の能楽師として国内外を問わず活躍し、能のメソッドを使った作品の創作、演出、出演なども行う。日本と中国の古典の「身体性」を読み直す試みにも取り組む。著書に『能 650年続いた仕掛けとは』『すごい論語』『あわいの力』『日本人の身体』『見えないものを探す旅 旅と能と古典』『役に立つ古典』『使える儒教』など多数。Eテレ「100分de名著」、『平家物語』『太平記』『ウェイリー版・源氏物語』の講師、朗読。

『古事記』『平家物語』『太平記』といった古典文学に知悉し、国内外で広く活動する能楽師・安田登さん。能の「ワキ方」が象徴する曖昧な「あわい」の領域や敗者へのまなざし、「初心」という言葉の真意から、AI時代における人間のあり方、そして変化し続けることで得られるというウェルビーイングへの視点(まなざし、解釈、考え方)について伺った。text: Kai Nagase photo: Masahiro Heguri

日本人が古来から実施する「脳内AR」とは

— 安田さんは高校教師をされていた折に能に出会い、能楽師の道へと進まれました。現在は国内外で能の公演のみならず、能のワークショップも頻繁に開催されています。安田さんが感じている日本文化としての能の魅力とはどのようなものなのでしょうか?

安田 能のシテ(主人公)の多くは神様や幽霊、あるいは精霊などです。つまり、この世のものではない存在です。私は20代半ばで初めて能を見たときに、目に見えないものを幻視させる力に感動しました。しかし考えてみれば、能に限らず日本人は見えないものを見ることが得意な民族です。算盤を習う子どもたちは、空中に出現させた算盤で複雑な暗算もしました。「見えないものを見る」ことを私は「脳内AR」と呼んでいます。

文京区本駒込にある六義園(りくぎえん)も脳内ARの訓練場でした。5代将軍・徳川綱吉の側用人である柳澤吉保(ゆなぎさわ よしやす)が設計・指揮し、1702年に完成させたこの大名庭園は、「和歌をもとに風景をつくる」という発想で生まれました。園内には和歌ゆかりの名勝を再現した「六義園八十八境」があり、それぞれに石柱が立てられています。それらの石柱に書かれた文字は和歌の初句で、それを読んだ人は目の前にある園の景色の上に、『万葉集』などに詠まれた和歌の風景を重ね合わせることが求められているのです。いまでもその石柱を見ることができるので、私たちも脳内ARの訓練を六義園ですることができます。

このような脳内ARを訓練するための庭園は日本全国にあります。武士たちは、これらの公園で脳内ARの訓練をすることによって、これからの日本をどのような姿にしたいか、その姿をARのように脳内に出現させていました。

そもそも庭園は中国から入って来たものですが、日本に根付いた途端に「脳内AR」によって何かをそこに投影する空間となりました。枯山水などもその代表的な例ですね。能もまた「脳内AR」を使って「見えないものを見る」芸能です。簡素な舞台の上に存在しない風景や幽霊を見るわけですから。日本で能が650年愛されてきた理由はそこにあります。

   
六義園(東京都文京区)は、柳澤吉保が自身の下屋敷の一角に造営した庭園。和歌に造詣の深かった吉保は『万葉集』『古今和歌集』などに詠まれた名所を園内に再現。写真は「出汐湊(でしおのみなと)」。「和歌の浦に 月の出汐のさすままに 夜鳴く田鶴の声ぞさびしき」という紀州和歌の浦の風景を映し出している
出所:東京都公園協会

— この世のものではない人物の霊魂を舞台に映し出すという発想は、日本文化に固有のものだということですね。

安田 固有というわけではありませんが、日本はかなりその傾向が強いと思います。シェイクスピアのハムレットにも亡霊は出てきますが、主人公であるハムレット自身ではなく、その父親の亡霊です。一方で、能の場合は神様や幽霊などが必ず中心にいる。それが日本人の心性に合っているのはお盆を考えてみればわかるでしょう。仏教のお盆も中国でされていたという記録がありますが、中国では先祖を供養することが目的でした。それに対して、日本では先祖を呼んでしまいます。それだけでなく、数日一緒に過ごして、さらには送り返す儀式もある。日本人は目に見えない存在ととても仲が良いのです。

— つまり亡くなった人の魂を慰めることにおいて、日本は独特の考え方を持っていると。

安田 はい。「残念」という言葉がありますが、これは「念を残す」という意味がもとです。念を残した死んだ残念の亡者は怨霊になって生きている人に祟るという考えが昔はありました。その魂を慰め、そして鎮めるのが鎮魂です。

能における鎮魂は「残念」の死者を呼び出し、その残念をただひたすら聞くことによって実現します。その役割を果たすのがワキです。ワキは全身全霊を込めて「何もしない」ということをします。真空のようなワキの空間に向けて、シテの残念は吐き出され、そしてその魂は慰められるのです。しかし、だからといってすべての残念が昇華されるわけではありません。残念のシテは何度も何度も現れ、そしてそのたびに何度も何度も鎮魂されます。

また、慰めるべき魂は、殺された人や亡くなった人だけではありません。自分自身の過去もその対象です。誰しも、あり得たかもしれないもう一つの自分の人生を想像することがあるのではないでしょうか。私は高校時代の第一志望は航空大学校でした。が、目が悪くなって断念。また、学生時代は中国文学の研究者になろうと考えたこともありました。そして学生時代の学費や生活費はジャズピアノを弾いて稼いでいたので、ミュージシャンになるという選択肢もあった。しかし現在、それらの道をすべて捨てて生きています。これらはすべて「残念」になります。

それらの「残念」は放っておくと怨霊化することがあります。すなわち、ある日、いまの生活がバカバカしくなって、すべてを捨ててしまいたくなったり、人生そのものの意味を見失ったりしてしまう。能を観ると、忘れていた過去を思い出すこともあります。それを思い出すことによって、自分の中の鎮魂が実現されるのです。日本人にとって能とは、あり得たかもしれない自分を供養する大切な時間を与えてくれる芸能でもあるのです。私たちは過去に未練があるとなかなか先に進むことができません。能を観るという行為は、そんな私たちの「残念」にちょっと休息の場所を与えてくれる。そんなウェルビーイングを教えてくれるはずです。

— 「見えないものを見る」文化は近世以前から日本に根付いていたのでしょうか?

安田 『古事記』には、イザナギノミコトとイザナミノミコトという男女の神様が、オノゴロ島(イザナギとイザナミが天沼矛(あめのぬぼこ)でかき回した潮のしずくが固まってできた、日本で最初の島)で天の御柱を「見立てる」というくだりが書かれています。「見立て」は、ある対象を別の物として見るという意味を持つ言葉として使われますが、これは江戸時代以降の用法です。『古事記』の「見立て」は文字どおり、見ることによって柱を立てた。何もない空間にないものを見ることは、昔から日本人の得意とすることだったのでしょうね。

— だから死者の魂も近くに感じてきたわけですね。死に対する考え方も他の国々とは違ったのでしょうか?

安田 日本語にはそもそも「死」という概念がありませんでした。昔、日本には文字がなかったでしょう。そこで漢字を輸入するのですが、漢字には「音(オン)」と「訓」があります。中国から漢字が入ってきたときには「音」として入って来ますが、その漢字に合う日本語がある場合にはそれが「訓」となります。例えば「海」という語は中国から入って来たときには「カイ(ハイ)」だった。それが日本語の「うみ」に似ているから、それに「うみ」という訓を付けたのです。

ところが漢字の中には「訓」がないものが多くあります。よく知られているものには「感」があります。これは「カン」という音はあるけれども訓はない。「信じる」もそうですね。そして「死」もそうでした。日本人は漢字によってその概念に初めて出会いました。ですから、動詞はサ変動詞で「死す」になるはずです。

ところがいまの日本語には「死ぬ」という言葉もありますね。しかし、これは本来は「しぬ」で、これに「死」を当てたのは当て字です。「しぬ」は未然形にすると「しな」となることからもわかるように、もともとは「しなしな」になる状態を意味していました。ですから漢字を当てるとすれば「萎ぬ」が適切でしょう。

「しなしな」になったものは水をかければ生き生きとします。だから「しぬ」は永続的な死の状態を表すわけではありませんでした。日本にはいわばテンポラリー(一時的)な死しかなかったのです。誰かが死んだとしても、一時の不在でしかない。イザナギは死んだ妻のイザナミを黄泉の国から連れ戻しに行きますが、日本人にとって死者はいつか帰って来る存在だったのです。

— 「死」は悲しみの対象ではなかったということでしょうか。

安田 『古事記』には死を悲しんでいる情景はほとんど描かれません。しかし日本人もいつの間にか、永続的な死の観念を抱くようになってしまいました。現代社会においてウェルビーイングを向上させるためにも、そろそろ「死」や「所有」についての観念をアップデートしたほうがいいのではないでしょうか。

だから私は今、オルフェウスの「冥界下り」を題材とした、世界で最初期のオペラといわれている「オルフェオ」と『古事記』を重ね合わせた作品を公演し、死について再考しようとしています。また実生活では、所有していた本などをほとんど処分し、家も手放して、マンスリーマンションを泊まり歩くというセミ・ノマド生活を送ってもいます。

— テンポラリーな「死」の観念を取り戻すことと、所有物を持たないことはどのようにつながるのでしょうか?

安田 能を大成させた世阿弥の言葉で、最も有名なのは「初心忘るべからず」でしょう。この言葉は現在「原点に回帰せよ」というようなニュアンスで語られますが、世阿弥が伝えようとしたメッセージはそのような意味を持つものではありませんでした。「初心」の「初」は衣偏に刀ですね。この漢字は、着物をつくるときに布地に刀を入れて切ることを意味しています。つまり、「初心」が意味するのは、かつての自分を一度切り捨てるということです。

次のステージに行くためには過去に執着してはならない。自分を「初心」にし、変化せよということを世阿弥は伝えようとしていました。そのため、ウェルビーイング(への視点)を能から学ぶ上で大切なのは、「死」を永続的なものだと捉えて嘆き悲しむのではなく、過去を所有せずに、常に新しい自分として生きるというふうに考え方を更新していくことだと思います。

— そのような日本古来の死に対する観念は、ときに死者をAIでよみがえらせようと試みる現代の考え方と似て非なるものですね。今や日本人は「脳内AR」で死者を見るのをやめ、物理的に映像でつくり出そうとしているわけですから。

安田 能において重要なのは自分の内側で「見えないものを見る」ことです。先日、情報学研究者のドミニク・チェンさんが、海外でARグラスを観客にかけさせる能を観劇しようとしたら、つまらないからやめたほうがいいと言われたそうです。現代のARやVRはみんなで同じものを見ます。「脳内AR」を使って見る能は、観客全員が違うものを見ることを前提にしています。能や脳内ARと、現在のAR(拡張現実)/ VR(仮想現実)は似てはいるけれども、全く異なるものです。




この世とあの世の「あわい」に立つ

— 能には主人公格のシテとその相手役であるワキが登場しますが、安田さんは一貫してワキ方として能の舞台に立ち続けていらっしゃいます。安田さんがワキにひかれる理由とは何でしょうか?

安田 ワキは、脇役といわれることもありますが、全然違います。能において、ワキとは媒介する者です。ワキというのは、例えば着物の脇にある縫い目のことです。着物のワキは「分く(分ける)」から来ていて、着物の前の部分と後ろの部分を「分ける」部分をいいます。前と後ろの媒介部分がワキ、すなわち「あわい」の領域だともいえます。

また、ワキ(分き)には「分からせる」という意味もあります。能において、ワキは人間と幽霊の境界に住んでいる存在です。幽霊は普通の人には見えませんよね。そんな幽霊を「見せる」=「分からせる」役としても、ワキは能の舞台に立っています。

シテが演じる幽霊は先ほど言ったように念を残して死んだ「残念」の使者です。ワキはシテにどうして念を残したのかを聞き、その思いを断ち切るための手助けをする。それができるのは、ワキが生者でも死者でもない、この世とあの世の「あわい」にいる曖昧な存在だからです。

その曖昧さ、「あわい」に立ち続ける生き方がワキの大きな魅力だと私は思っています。私は今は家を手放して、さまざまなところを泊まり歩く生活を送っていると言いましたが、ワキも漂泊民である場合が多いのです。なぜ漂泊するかというと、人生がうまくいかず、生きる意味を見失っているからだったりします。実は私も学生時代を思い返すと、学業が全くうまくいっていませんでした。千葉県の銚子市にある海鹿島(あしかじま)という地域で生まれ育ったのですが、そこの中学は高校進学率が40パーセントを切っていました。だから、誰も勉強なんてまじめにしない。高校に入って最初に受けた試験でも、学年で後ろから2番目の成績でした。大学に進学してからはあまり授業に出ず、ナイトクラブのピアノ弾きなどを渡り歩く生活をしていました。つまり、ワキと同様、私も落伍者かつ漂泊民として生きていたわけです。そういう経験が現在、ワキ方として生きることにつながっているんだと思います。

   
『藤戸』で、佐々木盛綱を演じる安田さん
   
『能之図』上 藤戸
狩野柳雪筆/江戸時代(18世紀)
出所:国立能楽堂

『藤戸』は『平家物語』に描かれた藤戸の合戦が題材。佐々木盛綱(ワキ)と、盛綱が亡き者とした漁師の母(前シテ)とのやりとりを軸に、戦をめぐる悲哀を、親子の情愛の深さとともに描く

— 学歴社会や競争社会の勝者として生きてきたわけではない安田さんだからこそ、ワキの魅力を理解し、十分に表現できるのですね。

安田 自分ではそう思っています。例えば、私は名作を解説するNHKの「100分de名著」という番組に3回出演させてもらい、『平家物語』『太平記』『源氏物語』と異なる内容の古典作品を解説しました。言ってしまえば、私はそれらの古典の専門家ではない。しかし、それでも番組に呼んでいただけるのは、私が媒介者として生きてきたからなのでしょう。難解で膨大な古典と、視聴者・読者との媒介者です。ワキを演じる私にぴったりの仕事だと自負しています。




現代もまた、「あわい」の時代

— 安田さんは私たちが生きている現代のことを「あわい」の時代と呼んでいます。「あわい」の時代とは一体どのような時代なのでしょう?

安田 「あわい」という言葉が意味するところは「あいだ」に似ていますが、少し違います。「あいだ」の語源は「空き処(ど)」で、ふたつのものの間を意味するのに対して、「あわい」の語源は「逢う」。ふたつのものが重なっている部分をいいます。これは英語に訳すのがとても難しく、betweenやamongとも少し違う。日本家屋でいえば、「外」でもあり、「内」でもある縁側のような空間のものです。日本史では「◯◯時代」という言い方をしますが、それぞれの時代は開始と終わりがはっきりしているわけでありません。鎌倉時代のように始まりの年号が変わることも起こり得ます。

ある時代から別の時代へ移り変わりつつある時期こそが「あわい」であり、この期間に生きている人間は大きな不安を抱えやすい。藤原定家の日記を読むと、彼がいかに不安を感じていたのかがよくわかります。歴史的にそうした過渡期は何度もありましたが、現在、再び「あわい」の時代がやって来ていると感じます。

しかも、かつてないほど大きな変化が起きていると思います。それだけの大きな変化が社会で起きているわけですが、では何が変わろうとしているのか。ひょっとしたら「文字の終わり」が今、来ているのかもしれません。

人類の文明史において最初期の文字は楔形文字だといわれ、紀元前3400年あたりに誕生しました。漢字のもとになる甲骨文字は中国で紀元前1300年頃に生まれました。これらの文字の中には、ものの形を描く象形文字があります。例えば動物の前や横から見た姿を文字として表そうとしました。立体(3D)界を平面(2D)へと変換しました。次元をひとつ下げることを「微分」といいます。「微分」を英語では「differentiation」といいます。「分ける」ことです。文字というのは、複雑さを切り捨てて、わかりやすい形に置き換えたものです。私たちの思考は、文字の発明以降、基本的に複雑なものを平明に理解するようになりました。難しいことがあったら「わかりやすく説明してください」とお願いするでしょう。文字の発明というシンギュラリティが発生したことで私たちの脳は微分的な思考をするようになりました。

しかし、微分をすると切り捨てるものがあるのと同じように、わかりやすくすると切り捨てるものが出てきます。会議などで、同じ話題で話をしているのに、全然違う次元で話しているということもよくあります。これも「微分」的な思考の弊害です。そろそろ私たちの脳も「複雑なものを複雑なままに理解する」ことが必要になってきていると思います。そして、そのようなことを記述する「新たな文字」の出現も望まれています。

いまの「あわい」の時代とは、私たちがまさに今、そのような変化を経験している時間のことなのです。

— そんな「あわい」の時代を生きる上で、安田さんが演じてこられたワキはどんなウェルビーイングへの視点を私たちに教えてくれるのでしょうか?

安田 ワキには曖昧さに耐える力があります。いい・悪い、イエス・ノーといった二元論で考えるのではなく、どちらでもない状態でいることができるわけです。ワキを演じていると自分のスタンスをその都度変容させる力を身に付けられます。例えばインタビューや講演で話をしていても、相手の様子を見ながら話を変えることができる。ワキは現代の人たちに変わること、変えることを恐れない力を伝えてくれるのです。

   
能 650年続いた仕掛けとは
安田登/新潮新書

世阿弥による「愛される」ための仕掛けの数々や、足利義満、織田信長など歴史上の偉人たちに、能が「必要とされてきた」理由を解説。初めて能を学ぶ人にも最適の入門書




上達ではなく、水平に広がる「熟達」

— 安田さんは著書『日本人の身体』の中で能の身体性から現代人は多くを学ぶべきだと書かれていらっしゃいました。能で重んじられる身体性とはどのようなものでしょうか?

安田 能では「老い」に対する考え方が一般的な社会とは少し違います。普通、若い人は上達するために頑張って修行を積むことが良しとされますが、能では“上達”ではなく、“熟達”することに重きが置かれるのです。上達ばかりを目指す考え方では、例えば何か身体的な不調が起きてしまうと、そこでキャリアが終わってしまう。心もポキっと折れてしまう。なぜなら上達というのは、それは上へ上へと進む垂直的な考え方だからです。しかし、熟達の場合は水平に広がる。身体的な限界に捉われることがありません。だからこそ、能では老いた人のほうが尊敬されるんです。

— 老いることは熟達の条件であり、決して身体的な劣化だと思われないのですね。

安田 能では老いることは“深化”だと考えられます。老齢になると、あるとき突然、声が出なくなることもある。身体の動きも鈍くなる。覚えたセリフも忘れてしまう。しかし、そうした身体でなければ表現できないこともあるのです。だから多くの能楽師は年を取ることを楽しみにしていますね。

— 今の時代では「アンチエイジング」という言葉もあるように若々しさが重視される傾向がありますが、能楽師は全く反対の価値観を抱いているのですね。

安田 そうですね。先ほど「初心忘るべからず」の話をしましたが、能では常に新しい自分へと変化していくので、若かった頃の自分のほうがいいと考えることは絶対にしません。能は変化に強いのです。能が誕生してからの650年間で能自体に大きな変化が何度か起きていますが、そのたびに新しい様式が生まれました。例えば、能は元々、屋外で行われる芸能でしたが、明治時代になって室内で行われるようになった。また、能の謡(うたい)も、かつては現在の3倍ほどの速いスピードで謡われていたともいわれています。だから当時の能を再現するとほとんど音楽のラップのようになります。能がゆっくりになったのは比較的最近なのですが、そうした変化は徐々に起きるわけではありません。あるとき、外的な要因によっていきなり変わるのです。

— 能に関わる人は変化に抗うことはせず、受け入れている。

安田 はい。それも「初心」という考え方があるからです。「初心」はイノベーションを起こすためには必要不可欠です。能楽師は、自分のレベルでは難しい演目に挑戦せざるを得ないシチュエーションを与えられることがあります。それを「披(ひら)き」といいますが、そのとき今の実力では無理だと自身の能力を言い訳に逃げてしまっていたら、いつまで経っても向上できません。清水の舞台から飛び降りるようなつもりで自分を切り捨てる。「初心」と向かい合うことによって何が起きても平気だという気持ちをつくるのです。

ちなみに能は同じ流派だけで1つの舞台をつくるわけではありません。舞台上にいる、シテ方とワキ方と囃子、そして狂言方がすべて違う流派です。流派が異なると台本も違うのですが、一緒に練習しませんし、合わせるのも直前の申し合わせだけです。本番中にどうも合わないなと感じたらその場で変えていく。さながらジャズのように。能はそうやって臨機応変に周りの変化に順応することで、自分自身を変容させていく芸能でもあるのです。

   




敗者が主導権を握る「優雅な復讐」

— 安田さんは能だけでなく古典の読み直しも行われ、『古事記』『平家物語』『おくのほそ道』などから現代を生き抜くヒントを読み解いていらっしゃいます。『平家物語』に代表されるように、古典は落伍者を中心に置く作品が多いものですが、それも日本人の精神性の表れなのでしょうか?

安田 多くの日本の古典では負ける側の人間を主軸に描かれています。その系譜は古くは日本神話に描かれた「海幸彦(ウミサチヒコ)」と山幸彦(ヤマサチヒコ)」の話にまで遡れるでしょう。この2人の兄弟は天宇受売命(アメノウズメノミコト)と並んで日本における芸能の起源とされています。兄の海幸彦は、ある日、自分の大切にしていた釣り針をなくしてしまった弟の山幸彦に激怒します。怒られた山幸彦は海の神であるワタツミの手引きで釣り針を見つけるのですが、そこから彼の復讐が始まるんです。最終的に兄である海幸彦は弟の山幸彦に負けます。そのときに、これから自分たちの子孫たちは弟一族の前で負けた様を永遠に演じ続けようと約束をするのです。いまでいえば、いじめられっ子がいじめっ子の前で、いじめられたさまを一生演じ続けるという屈辱の芸能です。

つまり、そもそもの初めから日本の芸能とは敗れた人間によって担われてきたといえるでしょう。しかしここでポイントとなるのが、決して負けっぱなしで終わるわけではないことです。負けた様を演じているのを見られるのは恥ずかしいですよね。それは「見る」という言葉に「支配する」という意味が込められているためです。

しかし、日本の芸能者はただ見られるだけではなかった。ある日、「見られる」から「見せる」に変換することによって、その主体を変えようとするのです。

— 負けた側が受け身でいるのではなく、自ら能動的な主体になろうとするわけですか?

安田 ええ。「芝居」という言葉が表すように、かつて舞台は下にありました。見る人が上にいる。だからそこで演じる人たちは「見下されていた」わけです。しかし、今は観客が下にいますよね。演じる人間は「見せる」ことによって自分が優位に立ってしまう。この関係の逆転は能にも取り入れられています。能には武士が妖怪である蜘蛛を退治する「土蜘蛛」という演目がありますが、60分の舞台中、シテ方が演じる土蜘蛛は55分間は勝者の側にいて、最後の5分で負けてしまう。土蜘蛛は最終的に敗者になるわけですが、能を観終わった観客は、負けた土蜘蛛をかっこいいと思います。

私はこれを「優雅な復讐のメタファー」と呼んでいます。つまり、敗者であることをかっこよく見せる、この物語の構造自体が、「見る」―「見られる」の関係を逆転した状態のメタファーになっているのではないかと考えています。マウントを取られた人間がマウントを取り返すのではなく、マウントを取られながらも関係を逆転させる。そういう想像力が日本には昔からあったのですね。ここにも日本人が育んできたウェルビーイングについての考え方があるといっていいでしょう。




制度の外で自由に生きるという選択

— 安田さんは引きこもりの方々と一緒に、松尾芭蕉の『おくのほそ道』を読みながら舞台となった道を歩いているとご著書に書かれていました。きっかけは何だったのでしょうか?

安田 きっかけはあるNPO法人に引きこもりの人たちの支援を相談されたことでした。最初は彼らと室内で話をしていたのですが、1年ほど経った頃に、外を歩いてみようとなりました。せっかくだから『おくのほそ道』の舞台を歩こう、と。松尾芭蕉は伊賀出身なんですが、伊賀はかつて16世紀の終わりに起きた天正伊賀の乱で、織田信長の息子である織田信雄に滅ぼされてしまった過去を持ちます。以来、伊賀の人は出世を望むことができなくなってしまったのです。

つまり、芭蕉もまた、敗者の土地で生まれ育ったことになります。芭蕉には才能があったので、さまざまな場所で活躍できるチャンスをつかみかけるのですが、いつも挫折に終わってしまいました。そこで彼は「士農工商」という身分制度の外で生きることを決意するんです。それを「四民の方外」といいますが、芭蕉が俳諧師の道を歩むことになったのはそのときでした。

私が引きこもりの人たちと『おくのほそ道』を読み、その舞台を歩いた理由はここにあります。彼らは一般的に社会から落ちこぼれた存在だとみなされているでしょう。ある意味では「四民の方外」にいた芭蕉と同じ立場にいるといえるんです。しかし現在の日本では、引きこもって社会に出ようとしないことは良くないことだと言われてしまう。だから多くの支援者は彼らが社会生活を送れるように助けようとしますよね。私は引きこもりの人たちに、無理して社会に戻る必要はないと伝えます。カウンセリングを受けたり、社会支援を受けたりして元気になっても、社会に戻ろうとすると元気がなくなる人って多いでしょう。あの有名な松尾芭蕉だって「四民の方外」で生きた。現代に生きる彼らのほうが社会の外で生きる道を見つけることが可能なのです。

— つまり、敗者の側にいた松尾芭蕉の作品を今読むことで、社会的な制度の外で自由に生きるというウェルビーイングへの視点を教えてもらえるわけですね。

安田 はい。芭蕉は能に影響を受けていたので、漂泊の民であるワキに自身をなぞらえていました。私は、芭蕉の旅も鎮魂が目的だったと思っています。そして、『おくのほそ道』とは、彼が能の世界を追体験するように旅したときのことを、虚構を入り混ぜながら綴った紀行文学でした。欠落を抱える芭蕉だからこそ、制度に縛られずに生きることの大切さを現代の人たちに教えてくれるだろうと私は考えています。

   
あわいの力「心の時代」の次を生きる
安田登/ミシマ社

シュメール語、甲骨文字、聖書、短歌、俳句などを多様な言語文化を縦横無尽に解説し、「心」という文字の起源から、次の時代の手掛かりを探る1冊
   
つらくなったら古典を読もう
安田登/大和書房

現代に生きる私たちと似たような悩みを、昔の人も抱いていた––。『古事記』『平家物語』『おくのほそ道』などに登場する人物は、悩みにどのような対処していたのか。古典を通じて、現代人の悩みを解決するヒントを提示する




AI時代に必要な「自律的な問い」

— 安田さんは、ドミニク・チェンさんや渡邊淳司さんたちとの共著『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために その思想、実践、技術』の中で、人工知能の発達によって「知」という精神活動に大きな変化が起きるだろうと予測されていました。安田さんはAIと人間の違いをどのように考えていらっしゃいますか?

安田 AIと人間の知との違いは、身体を介在させるか否かです。身体を持つことによって人間には「忘却」、「疲労」、「摩擦」という制限があります。覚えてもすぐに忘れてしまうし、学習の途中で疲れてしまう。何かを修得しようとしても身体的な問題がそれを邪魔する。これらは学習をする際の制限となります。ですから、学習に関していえば、AIが圧倒的に有利です。

しかし、現時点ではAIには大きな欠点が2つあります。1つは、問われたことに答えるときの速度が速すぎるという点で、もう1つは自発的な問い、つまり誰も発したことのない問いを生み出しにくいということです。

「温故知新」という有名な『論語』の言葉があります。「温故」とは既にある知識をグツグツと煮込むことを意味します。一方で「知新」の「知」という漢字は孔子の時代にはまだなく、当時は左側の「矢」だけを使って表していたと思われます。「矢」が突然、目の前に飛んでくるように「新」が出現する。これが「知新」です。つまり、じっくりとぐつぐつ煮込むように考えていると、突如として誰も考えたことがないような新しい考えがひらめくことを「温故知新」といいました。

実は『論語』の原文には「温故知新」は「温故而知新」と書かれています。「而(ジ)」とは一説によれば、髪の毛を振り乱しながら祈っている巫女の髪を表しているそうです。ということは「温故」と「知新」の間には魔術的な時間があるということです。考えることと、ひらめくことの間に、何かが生まれるのに必要な時間が挟まれているわけです。この時間は数時間のこともあれば、数十年のこともある。この「而」こそ、人間が新しいアイディアをつかむ上では重要だと私は考えています。AIはすぐに答えを出してしまうから、既存の情報の組み合わせしか提示できない。AIが人間のように、全く新しいアイディアを生み出せないのはそのためだと思っています。

もう1つ、AIは誰も発しなかった問いをつくり出せません。それができるのは人間だけです。それは人間には身体という制限があるからです。例えば能では舞台上で片方の膝を立てながら2時間ほど座り続けることがよくあります。とても痛くて辛い。そういう苦しみを感じたときに初めて人は、この状態をどうしたらいいかという問いを立て始めます。そして、その答えはどこにもない。あるいは、会社でも企画会議が行き詰まったときに、誰かがポロッと原点に返るような問いを口にすることがあるでしょう。新たなステージに進むためには、そのような本質的な問い、つまり「自律的な問い」が非常に大切となってきます。人間にあってAIにないもの。それは新しい考えをつかむための「問い」と「時間」を生む力なのです。

— では、AIと人間の共存はいかにして可能になるのでしょうか。

安田 「温故知新」でいえば、「温故」の部分をサポートすることはAIに任せることもできます。複雑な計算や分析はAIに任せて、人間はその結果を参照しながらぐつぐつと考えを煮込めばいいと思います。人間がすべきこととAIがすべきことをしっかりと分けた上で、人間は魔術的な時間を大切にし、自律的な問いを生み出し続ける。それがこれからの時代において重要なスタンスだと思います。

— 最後に安田さんご自身にとってのウェルビーイングとはどのようなものか教えていただけますか?

安田 古代の日本人は、“心”というものは内臓にあると感じていました。『古事記』に載っている仁徳天皇の歌には「心」という語が使われますが、その枕詞は「肝向かふ」なんです。「肝」は肝臓ではなく、五臓六腑のこと。つまり、内臓が向かい合うところに心があるとされていました。

ですが、今は心というと心臓のあたりにあるものだと考えるでしょう。だから不安になり、心臓がドキドキすると、心が動揺していると思ってしまう。一方、昔の人間はそんなふうに捉えず、心臓がドキドキすることを不安の表れだと見なしませんでした。いつ頃からか私たちは身体と心を間違えて一致させるようになってしまったのです。

だから私は心というものを、もっと軽く見ていいと思います。どうも現代は“心”を重視しすぎているといったら、言いすぎでしょうか。また、ウェルビーイングというと心が満たされる理想的な状態だと思われていますが、心が完全に満たされることは必ずしもいいものではないかもしれません。世阿弥は「住する所なきを、まず花と知るべし」と言い、一箇所にとどまらないことこそ理想だと考えました。満足しているとどうしてもその場に居続けたくなり、動きにくくなります。むしろ心が満たされていない状態で次へ次へと自分を変化させながら進むことが、私にとってのウェルビーイングです。

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