「仕事の質」を可視化し、公正な未来を拓く

鈴木 恭子

中央大学文学部・大学院文学研究科社会学専攻准教授

2026年6月26日 11:00 Vol.96
   
鈴木 恭子
中央大学文学部・大学院文学研究科社会学専攻准教授
Kyoko Suzuki
東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(学際情報学)。専門は、産業/労働社会学、労使関係論、ジェンダー研究。仕事と働き方をどのようにより良いものにしていけるかという観点から、労働市場や雇用における格差と不平等、日本の働き方の形成についての歴史分析、仕事の質とウェルビーイング等について研究している。コンサルティングファームにて組織や人事の領域を中心としたコンサルティングの経験を積んだのち、(独)労働政策研究・研修機構などを経て現職。ケンブリッジ大学MBA。

労働に関する政策において、世界的に仕事の「質」の向上が重要視されている。一方で、国際基準で測定した日本のウェルビーイングは、見方によっては“崖っぷち”の状況だという。誰もが満足しながら働くための客観的な条件を満たしていくにはどうすればよいのか。「仕事の質」という切り口から私たちの働き方や生活の改善アプローチを探究する鈴木先生に、日本社会が向き合うべき課題について伺った。text: Yumiko Kataoka photo: Masahiro Heguri

社会の中で、人がともに働くことをめぐる問い

— はじめにご専門の「労働社会学」についてご紹介いただけますでしょうか。なぜ社会を労働視点で探究しようと思われたのでしょうか。

鈴木 私は自分のことを「労働研究者」と自己紹介します。「労働」というと少し古臭い印象を与えるかもしれませんが、主な研究テーマは「仕事」や「働き方」です。「労働研究」はさまざまな学問分野が関連する学際的な領域で、例えば労働市場のことを研究する「経済学」、企業の立場から労働を研究する「経営学」、また法律について研究する「労働法(学)」もあります。

その中で、「社会学」は伝統的に、働く人の「共同性」や「社会関係」の側面、つまり、個人の問題より社会の中で人と一緒に働く上での問題を扱ってきました。職場における人間関係、労使間の関係性、社会における仕事の位置付けや編成、仕事における不平等や格差といった問題です。

「労働」の社会学に出会ったのは、大学生の頃です。最初は少し興味を惹かれた程度の軽い気持ちで社会学を選んだのですが、専攻してみるとその面白さに魅了されました。卒業後、外資系企業に就職し、コンサルタントとしてさまざまな企業に向き合う中で、経営の視点だけから問題を捉える限界を痛感しました。「仕事」や「働き方」についてもっとさまざまな視点からアプローチできたらという気持ちを抱き続け、10年ほど働いた後、大学院へ戻りました。

社会学とはどのような学問か、定義するのは難しいのですが、私はよく学生に「社会を見るためのさまざまな視点(パースペクティブ)の束」だという説明をします。社会学はこれまでさまざまな理論やアプローチを育んできており、研究の対象も方法もとても自由度が高いといえます。

現在の私の研究領域ですが、「どのようにして、『働くこと』をより良いもの(decent work)にしていけるのか」をテーマとし、大きく下記の3つに取り組んでいます。

1)日本の労働市場のどこに・どのような格差や不平等があるのか、それらはどのようにして生み出されるのかということについて、賃金などのデータを用いた計量分析によって明らかにする。

2)日本人が当たり前だと思っている現在の「働き方」「規範」は、いつ・どのようにして形成されてきたのかということを、政策に関する議論などに基づいて歴史的な視点から明らかにする。

3)働く人がどのようにして自らの働き方をより良いものにしていけるのかということを、労働組合のあり方や労働運動の歴史を手がかりにして、考える。

こんにちの日本の労働市場には、ジェンダー間の不平等や雇用形態間の格差など多くの構造的な問題がありますが、「働く」ことをどのようにして、より公正なものにしていけるのか、どのように生活や人生と調和させてウェルビーイングを実現し得るかを考えたいと思います。

— 「社会の中で働く」「ともに働く」ことを、多角的な視点から研究されているのですね。企業内はもちろんですが、企業の枠を超えた視点も入るのでしょうか。

鈴木 はい、日本では雇用されて働く人が約9割を占めているので、どうしてもそちらに目がいきます。またその中でも企業に雇用される人の割合が高いのですが、ほかの先進国では自営業や公務員として働く人の比率がもっと高くなっています。また、1つの企業に長く在籍する傾向も日本の特色で、これは日本における「仕事の質」にも影響を与えているように思います。




危機的状況にある日本のウェルビーイング

— ワークライフバランスといいますが、仕事とライフは簡単に切り分けられるものではなく、仕事は人が生きる上で多くのボリュームを占める重要な領域です。ですから、仕事の質を高めることはウェルビーイングを高めることにつながると考えられますが、そもそも「ウェルビーイング」とは何か、よくわからないままその言葉を用いている場合もありそうです。

鈴木 日本で「ウェルビーイング」というと、まず「幸福感」や「満足度」などと訳されますね。しかし、私はこの捉え方は少し狭すぎると思っているんです。ウェルビーイングには、いまだ唯一の定まった定義はありませんが、多くの国や国際機関が定義し、測定するための具体的な指標を開発しています。経済・社会・環境など多元的な要素で構成され、個人のレベルについて論じることも、組織や社会集団のレベルについて論じることもできる概念です。

   

   

   

— 「幸福感」のような目に見えないものを測るのは難しそうですが、どのように評価されるのでしょうか。

鈴木 例えば、OECD(経済協力開発機構)は、「Better Life Index」という指標を開発し、加盟各国のウェルビーイングを評価してその結果を公表しています。「Better Life Index」は、ウェルビーイングを全部で11の領域に分けており、そのうち、仕事に関わる項目としては「きちんと収入があるか」「仕事の質はどうか」「ワークライフバランスがとれているか」などがあります。ほかにも、適切な住居があるか、健康か、汚染されていない環境に住んでいるか、身の安全が保障されているか、人とのつながりがあるか、市民として社会に参画しているかといった問いが設けられています[図表1]。

このうちの一つが、「主観的ウェルビーイング」という領域で、「幸福感」や「満足度」に相当します。その人がどのように自分自身の状態について感じているかという、主観的な評価です。でも、それ以外の領域については、どれも客観的に、外側から測定できるような項目になっています。また、測定方法に関しても、社会全体の平均値に加えて、グループ間の不平等や、恵まれている人とそうでない人の格差、剥奪の状況なども測定されます。

これを用いて各国を評価し、総合得点の高い順に右から並べたのが[図表2]ですが、日本はなんと左から数えて12番目。日本より左側では、まるで崖が崩れるように水準が下がっていて、まさに“崖っぷち”の状況です。個別の項目で見ると、日本が誇ってきた「教育」「仕事」「安全」ですら真ん中よりやや高い程度にとどまり、「生活満足度」などもかなり低め。「ワークライフバランス」や「市民参画」に至っては、最低水準レベルです。

   
   

— これが国際的な基準で測定した日本の生活の質の実態なのですね。政府による「骨太方針」では、2019年以降、毎年のようにウェルビーイングが盛り込まれ、同年から「満足度・生活の質に関する調査」が毎年実施されています。国の取り組みはどのようにご覧になっていますか。

鈴木 内閣府も「満足度・生活の質を表す指標群(Well-beingダッシュボード)」を独自に策定していますね[図表4]。OECDの「Better Life Index」をベースに作成されたので、一見よく似た項目が含まれていますが、体系図をよく見ると根本的な違いがあります。最大の違いは「主観的ウェルビーイング」の位置付けです。主観的な「幸福度」や「満足度」は、OECDの枠組みでは11の領域の一つにすぎませんが、内閣府の枠組みでは、ほかの領域よりも格上げされて「〈第1層〉全体的な生活満足度(総合主観満足度)」という最上位の指標となり、ウェルビーイングを代表するものになっています。

第2の違いは、OECDでは、11の領域がそれぞれ客観的な項目で測定されるのに対して、内閣府ではそれに対応する「客観指標群(第3層)」があるものの、その上位に別途「分野別主観満足度(第2層)」が設けられ、やはり主観的満足度を重視した設計です。つまり日本での捉え方は、「自分はどうか」という主観的な評価を重視する傾向があるといえます。

   




ウェルビーイング≠「幸福感」?

— 満足度や幸福度は大切な要素ですが、そこだけ見ていると、確かに、ほかの要素を見落としてしまいそうですね。

鈴木 その人にとってのリアリティとしては尊重されるべきですが、極端な言い方をすれば、本人が「幸せ」かどうかを重視しすぎるのは偏った見方であり、危険だと思います。主観的な評価と客観的状況は必ずしも対応しないからです。客観的に満たされた状況でも幸せを感じない人もいる。逆に、客観的に見てひどい状態なのに、本人の満足度が高いからそのままでよい、といえるでしょうか。

「どんな状況でも本人が幸せならそれでよいのではないか」という見方に対峙する考え方として、ノーベル経済学賞を受賞したインドの経済学者アマルティア・センによる「ケイパビリティ(潜在能力)」の議論がよく知られています。スラムなど極端な苦難と欠乏の中にいる人が不満を感じていないとしても、その人が貧困や剥奪された状況にあることを曖昧にしてはいけないと、センは指摘しています。経済学では、個人が自身の効用を最大化するように合理的に選択を行うと考えられてきましたが、これは個人が選択の自由を有していることが前提です。センはこれを批判し、実際には選択の自由はしばしば制限されているのだから、「主観的な評価」に頼るのではなく、人々がどのくらいのオプションの幅を持っているのか、いわば「自由」の大きさに着目すべきだと考えたのです。

— 何を持っているかではなく、何を選べるかが人の幸福に関わるということですね。

鈴木 はい、そうです。社会学もまた、個人が幸せだと感じていればそれでよい、というふうには考えません。社会学は「個人」というものをそれ自体で独立して存在しているものではなく、社会の中に「埋め込まれて(embedded)」、社会関係の網の目の中で存在している面を重視します。したがって、個人の感じ方や好みも、自分自身の中から湧き上がってきたり、それ自体として独立して存在するものではなく、置かれた環境によって決められるという見方をとることが多いです。個人は社会の/労働市場のどこかに位置していて、それにより、その人に開かれている選択肢には大きな違いがある。こうしたことを明らかにすると同時に、そのような社会のあり方は果たして公平なのかを、世の中に問いかけていく。それが社会学の重要な役割だと私は理解しています。

— 個人の感覚に収束させず、社会全体で「よく生きる」ための条件を具体的に整えていくことが大切ですね。

鈴木 日本の労働市場においては正規雇用と非正規雇用の間に大きな処遇の格差があります。この格差は性別とも深く結びついていて、非正規雇用の7割は女性であり、また女性の雇用労働者のうち半分以上は非正規雇用です。これまで、本人らが自ら非正規雇用を選択していることや、非正規雇用でも生活や仕事の満足度が低くないことから、処遇の格差が問題視されず、対策が遅れてきました。経済学者の大沢真理氏は既に1993年の論考で、パートタイム労働と女性をめぐり「女性たちの『選択』がどれほど本当に『自由』か問いかえす必要がある」と指摘していました。しかしそれから30年以上経つ現在も、状況は大きく変わっていないのではないでしょうか。それに対して、さきほどのOECDの「Better Life Index」の考え方では、本人の意思で選んだかどうかにかかわらず、賃金や労働時間などの労働条件が絶対的な基準を満たしていることが重要です。

「幸福度」はそれをやみくもに上げようとしても上がるものではありません。客観的な労働条件に問題があるにもかかわらず、なぜその人はそうした状況を幸せだと感じて状況を変革しようとしないのか。そうした切り口から問題を捉え、まずは客観的な労働条件を整えることが政策的にも必要であり、それがひいては幸せと感じられる可能性を高めていくことにつながるのではないかと思います。




「仕事の質」を計測するOECDの枠組み

— 鈴木先生は、2024年度まで労働政策研究・研修機構の研究員として、日本における「仕事の質」についても調査研究をしておられました。どのようなことが見えてきましたか。

鈴木 労働に関する各国の政策は、労働市場に仕事を増やして「失業」を少なくする、あるいは「賃金」をどれくらい高くするかという、主に「量」に関するものが、従来は中心でした。それに対して、2000年代頃から欧米各国を中心に、どれくらい質の高い仕事であるかも重要だという考え方が広がり、国連やOECDなどの国際機関や各国の政府は、そろって仕事の「質」の向上を政策に掲げて、それを測定するための枠組みを開発してきました。OECDも「Job Quality Framework」(仕事の質を測る枠組み)を開発しています。

これを簡単にご紹介しましょう。まず仕事の質は、大きく3つの要素から構成されます。①収入の質、②雇用の安定性、それから③労働環境の質です。①収入の質は、単に賃金が高いか低いかだけではなく、国全体で見たときの格差も評価の対象になります。賃金の格差が大きいと、人々の主観的なウェルビーイングが下がることが明らかになっているからです。②雇用の安定性は、失業するリスクが低く、仕事を失ってもその間収入をカバーする十分な保障(失業保険)があるかが評価されます。

— この2つは想像しやすいですね。

鈴木 おっしゃるとおりです。問題は、③労働環境の質です。OECDの枠組みではこれを、仕事の「負荷」の大きさで表します。仕事の「負荷」には、2つの側面があります。一つはJob Demands(仕事の要求)と呼ばれ、時間的なプレッシャーや業務量、肉体的負荷、ハラスメントの有無などが含まれています。これらが大きくなるほど、仕事の「負荷」が増えていく。もう一つの側面はJob Resources(仕事のリソース)です。例えば、仕事に対する裁量の問題。具体的には、働く時間や休憩を自由に選べるか、自分の考えを仕事のやり方に取り入れられるかといったことですね。加えて、上司が適切にサポートして仕事がしやすい環境を提供してくれているか、職場で働きやすい同僚との関係が構築されているかといった評価項目があります。リソースがたくさんあると、仕事の「負荷」が軽減される。要求とリソースのバランスで、仕事の「負荷」が決まり、それが、その人が直面する「労働環境の質」であると考えるのです。

リソースが少ないのに多大な要求をされる仕事を想像してみると、明らかによい状態とはいえません。ずっとプレッシャーを感じて、心身ともに疲弊しそうです。一方、要求が多少大きくても、リソースがしっかりあれば、安心して継続的に取り組める。負荷は基本的には少ないほうがよいですが、要求とリソースの両方が乏しい仕事もまた、よいとはいえません。

— なるほど、「仕事の質」とお聞きして、はじめ「アウトプット」や「出来栄え」のことかと誤解していたのですが、成果ではなく、前提条件や環境、達成までのプロセスに着目して、その人にとっての「働き方の質」を可視化する考え方なのですね。企業や職場を「仕事の質」という観点から見ると、新たな魅力や課題も見えてきそうです。

鈴木 私もまさに、「仕事の質」という観点から日本の労働市場や労働政策を分析しているところで、2024年頃から正規雇用と非正規雇用の「仕事の質」にはどのような差があるのかというテーマで分析を行っています。

非正規雇用は、長時間労働や異動・転勤がなく柔軟性の高い働き方であると、一般的に認識されています。ところが、両者の「仕事の質」を分析した結果、非正規雇用も仕事の「負荷」は決して低くなく、「収入の質」だけが大きく異なっていました。負荷に大差がないのに、収入と安定性が低い。これは「多様な働き方」ではなく「序列化された働き方」です。企業や政策が、正規と非正規の格差を正当化するロジックとして「多様な働き方」を掲げても、働く人たち自身は既に実感しているところではないかと思います。

またこの調査からは、就業形態の違いを超えて、多くの人が過度の「仕事の要求」に直面し、それに対して「仕事のリソース」が不十分であることも見えてきました。長時間労働や業務過多の解消に取り組むことはもちろん重要ですが、「仕事のリソース」にももっと注目されていいと思います。「仕事のリソース」は働く人の健康やエンゲージメントの高さと関連することも明らかになっています。

— 大事な視点ですね。とはいえ、例えば大学の先生方も、会議や雑務に追われて、本来の研究と教育に時間を割けないと聞きます。「働き方改革」で労働時間法制が見直されても、「仕事の要求」自体はなかなか下がっていないと感じます。

鈴木 日本における労働時間の水準は依然として高く、働く人のウェルビーイングに影を落としているので、減らす必要は引き続きあります。ですが、仕事の量ややり方を変えずに、労働時間だけ減らすことはできません。それは例えば企業が、売り上げを上げようとやみくもに取り組んでも意味がなく、目標をブレークダウンしてプロセスを改善するマネジメントを通じて結果的に数字が上がるのと同様です。労働時間を下げるには、業務そのものの見直しや人員の手当てなどのマネジメントが必須でしょう。

業務内容に関しては、日本の雇用のあり方自体にも、問題があるのではないでしょうか。どんな仕事をどれくらいの量やるかということが、ジョブディスクリプション(職務記述書)としてはっきり規定されていないために、仕事が無限に増えてしまいがちです。業務量を増やすことは、本来であれば簡単に通ることではないはずです。海外の映画を見ていると、工場などで「残業してくれ」や「この生産ラインのスピードを上げろ」という要求を、労働組合が断固許さない、といった描写を見かけるのではないでしょうか。ホワイトカラーの場合は少し緩やかですが、それでも何をどこまでやるというジョブディスクリプションがあるのが欧米では普通です。これに対して、日本では業務内容を定義せず、その人を組織の一員として雇用して、さまざまな仕事を経験させる「メンバーシップ型」の雇用が一般的です。だから、「これもやってください」と頼まれたら、断るすべがない。

   
2026年3月、中央大学の卒業式にて、学生へメッセージを伝える鈴木先生

— 日本の企業組織では、成果に加えて、パーソナリティも重視されるように思います。周りに対して常に「よい人」でいなければならないのも、苦しいことですよね。

鈴木 雇用のあり方に加えて、個人主義と集団主義というような文化の違いもあるかもしれません。学生たちを見ても、「人に迷惑をかけない」意識が強く、自分はこれがやりたいのだと強く主張する場面が少ない印象です。どこまでが自分がやるべきことで、何を主張する自由があるのか、その辺りの切り分けが明確でないということかもしれません。

ちなみにこのジョブ型/メンバーシップ型という言葉も、マスメディアなどではごく表層的に使われがちで、この言葉を最初に用いた濱口桂一郎さん(労働政策研究・研修機構 労働政策研究所所長)も安易な誤用に対して繰り返し警鐘を鳴らしています。日本企業の人事管理システムや仕事のあり方と、欧米のそれが根本的に違うのに、人材の採用方法など一部分だけジョブ型に変えることにどのくらい意味があるでしょうか。

— やはり、組織や社会全体のウェルビーイングが高くなる仕組みが整わないといけないのですね。今後、例えばどのような社会システムの変革が必要になってくるでしょうか。

鈴木 「ウェルビーイング」という言葉自体が、何か新しい考え方や物の見方を、私たちの社会にもたらすとは、実は考えていません。ご紹介したようなOECDの議論は、経済至上主義を相対化して社会を多面的に発展させていくというアイデアで、もともと長い歴史があるものですし、日本においても既に1970~80年代から「生活の質(Quality of Life)」という概念が、これからの日本が目指すべき政策の方向性として議論されてきました。さらに古くは「福祉(welfare)」という言葉もあります。私は「ウェルビーイング」という言葉が、こうした概念が持っていなかった何か新しいものを付け加えるものだとは思っていませんが、半世紀以上にわたり大事なこととして議論されてきて、でも私たちの社会が十分に取り組むことができていない問題に、改めて光を当てる役割はあると思います。

— そういえば、クオリティ・オブ・ライフという言葉を最近あまり聞きませんね。キャッチコピーとして古びてしまったのでしょうか。

鈴木 新しい言葉に飛び付いてしまうのかもしれませんね。ウェルビーイングも、マーケティングの言葉として乱用されていることが問題だと思います。例えば、フィットネスやホテルなどの広告で、少しぜいたくな消費を売り込むときのイメージ戦略として「ウェルビーイング」の言葉が使われているのをよく見かけます。あるいはビジネス系のマスメディアや人材サービス系の業界では、「ウェルビーイング」の言葉が、企業が目指すべきものとして使われ、企業にサービスを売り込むためのツールになっている。企業が従業員のウェルビーイングに配慮するのは歓迎すべきところですが、企業の役割は質の高い就業の機会を提供することであって、それがなされればそれ以上は余計なお世話なのかもしれません。

本来ウェルビーイングという概念は、経済やビジネスの論理とは距離をとる、ときにはそれに対峙する力を持つはずの言葉です。ですので、ウェルビーイングという言葉を営業活動やマーケティングからはがして位置付けなおすことも、私たち研究者の役目だと思っています。

   




健康で文化的な最低限度の生活

— 最後にお伺いします。鈴木先生にとってウェルビーイングとは何でしょうか。

鈴木 日本国憲法第25条に、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という文言があります。いわゆる「生存権」と呼ばれるものですが、これは、ただ生きるということだけではありません。健康であり、かつ文化的な生活を、営む権利といっている。それはどのような生活かということを具体的に考えてみると、OECDの「Better Life Index」が想定しているものと、おおむね重なっていると思います。収入や仕事ももちろん大事ですが、きちんとした住まいも必要ですし、汚染されていない環境も重要ですし、健康でありたいし、安全でなければならないし、人とのつながりや社会への参画、学ぶ機会や成長できる機会も必要だということだと思います。生活保護受給者に対して「ぜいたくだ」というようなバッシングもよく目にしますが、生活の中に楽しみを見出すことはぜいたくでも何でもなく、当然求めてよい権利だと思います。

憲法で保障されている「生存権」というものは固定的なものではなく、社会の変化に合わせてアップデートされて当然だと思いますが、OECDなどの例を参照すると、具体的な基準を与えてくれると思います。単なる所得の低さだけでなく、教育や雇用、住居、そして社会的なネットワークから切り離されて孤立してしまうことを問題視する、ソーシャル・インクルージョンの考え方にも通じますね。

私個人も、例えば親しい人と過ごしたり、寒いときに暖をとったり、食事をおいしいと感じたり、自然を美しいと思ったり、仕事で手応えを得たり—、ふと幸せや満足を感じる瞬間は日常の中で本当に無数に散らばっています。でもどんな瞬間についても、考えてみたら「Better Life Index」の項目のいずれかに当てはまりますので、よくできた枠組みだと改めて感心します。

さらに、憲法25条には第2項があり、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と定められています。従って、私は生存権の具体的な内容としてのウェルビーイングは、国が国民に対して保障していくべき生活のあり方であると考えます。

— ウェルビーイングに関して、いま取り組んでいるテーマや、今後、取り組みたいテーマがあれば、お聞かせください。

鈴木 働く者が自らの力で、働く場所、つまり職場を良くしていくための具体的な手段として、「労働組合をつくる」というものがあります。労働組合は、自分には関係ない、古臭いものと感じる人もいるかもしれませんが、戦後になって憲法で認められた大切な権利です。しかし現在、組合に加入している人は働く人のわずか16%。しかもその多くは大企業の正社員たちに偏っています。

中小企業や非正規雇用、女性など、特に労働組合の力が必要だと思われる人たちは、組合に入りたいと思ってもそれができない状態にあります。どんな企業でも、どんな仕事で働いていても、働く人が自分たちの力で職場を良くしていくための具体的な手段を持っていることがとても重要です。

その観点から、労働組合があることがどのように職場の仕事の質を高めることに貢献しているのかを調査しています。また、労働組合に加入することができない人たちにとっては、どのような手段で仕事の質を改善することができるのかという研究にも、取り組んでいるところです。

ウェルビーイングや「仕事の質」の考え方を通じて、私たちが仕事や生活の場でどのようなことを求めていくことができるのかを伝えるとともに、すべての働く人の人権が保障される公正な社会が実現することを願っています。




ウェルビーイングに関する、鈴木先生の推薦図書

   
ホームレスでいること
いちむらみさこ/創元社

ホームレスは、単に「住居」や「収入」を欠いた経済的な貧困という問題ではありません。社会的なつながりや尊厳を得ること、自分らしく楽しみ幸せを感じること、市民として社会に参画することはいかにして可能か。「ウェルビーイング」が重視される背景となった「社会的排除」とはどのような問題か、ウェルビーイングの議論で「主観的な満足度・幸福感」に意味があるとしたらどんな場合か、多くのことを考えさせられます(鈴木先生)
   
こびとが打ち上げた小さなボール
チョ・セヒ(斎藤真理子訳)/河出文庫

格差社会・韓国の底辺に暮らす「こびと一家」の物語です。とてもパワフルで胸を打つ物語なので、あらすじをお伝えすることは控えたいですが、ウェルビーイングを構成するさまざまな要素―住居や収入や仕事や安全や健康や環境汚染や人とのつながりや社会への参画、そのすべてが圧倒的な力をもって迫ってきます。工場労働の描写からは「仕事の質」を求めることの意義を痛切に感じました(鈴木先生)
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