「健康的な消費」と“ものづくり”という祝福について

マール・コウサカ

デザイナー、株式会社foufou代表取締役

2026年6月26日 11:00 Vol.96
   
マール・コウサカ
デザイナー、株式会社foufou代表取締役
Marl Kousaka
1990年生まれ。大学卒業後、文化服装学院(夜間部)に入学。在学中の2016年、ファッションブランド「foufou」を立ち上げ。SNSを通じた独自の発信と「健康的な消費のために」というコンセプトが支持を集める。2023年、株式会社クラシコムが事業を取得、同社のグループ会社に。参画に伴い、株式会社foufouを設立。著書に『すこやかな服』『まばゆい服』(ともに晶文社)がある。

「健康的な消費」という姿勢の下、支持を集めるファッションブランド「foufou(フーフー)」。ハンドメイドから始まったブランドが上場企業のグループに参画する歩みの中で、いかにして創造性と持続可能な経営を両立させていったのか。代表でありデザイナーのマール・コウサカさんに、ブランド運営の根幹にある哲学から、独自のウェルビーイング観、「ものづくりの動機」そのものを大切にする価値観を伺った。text: Makoto Tanoue photo: Masahiro Heguri

社会のために、うれしい服や喜べる服をつくりたい

— コウサカさんは、ブランド設立当初から「健康的な消費のために」というコンセプトを掲げ、「foufou」を率いていらっしゃいます。デザイナーであり、代表取締役でもあるコウサカさんご自身のルーツについて、またブランドの成り立ちについてお伺いできますでしょうか。

コウサカ 僕はもともと、純粋にファッションというものが大好きで、大学時代などはクレジットカードの利用限度額まで服をたくさん買うような、極めて元気な消費生活を送っていました。ただ、特定のカリスマ的なブランドやデザイナーに夢中だったわけではありません。ファッションと同じくらいの熱量で、音楽や映画、本といったさまざまなカルチャーに対しても広く深い興味を持っていました。ですから、自分自身という人間を形成する上で、何か1つの狭いカルチャーから決定的な影響を受けたという意識はあまりないのです。強いていうならば、10代の頃から、モッズのスーツやチェルシーブーツ、ハリー・ポッター、ジェームズ・ボンド、パンクロックといったイギリスのカルチャーが好きで、特にビートルズについては、楽曲はもちろん、表現やスタイルも大好きでよく聴き込んでいましたね。

ファッションブランドを立ち上げることになった直接のきっかけは、2016年の夏のことでした。当時、僕は文化服装学院の夜間部に在籍していたのですが、実家の6畳ほどの狭い自室で、学校の課題もそっちのけにしたまま、糸まみれになりながら数着の服をハンドメイドでつくりあげたのです。数日後、東京の丸の内で、当時福岡から出てきたばかりの友人である写真家・井崎竜太朗氏にお願いをして、7月の暑い日差しの中で、寝ずにつくったその服の撮影を行いました。

それらしい形になったその写真を自分のインスタグラムに載せてみたところ、少し反響がありました。そこで、誰でも無料で使えるオンラインストアのプラットフォームに登録し、商品として並べてみることにしたのです。すると、販売開始の深夜1時、たった数着でしたが一瞬にして、完売しました。「注文が入りました」という通知がスマートフォンの画面に幾つも連続して表示されたあの瞬間は、今思い出しても、心が震えます。インターネットを使って、まだ会ったこともない遠くの街に住むどこかの誰かに、自分のつくったものが直接届き、必要とされる。名もなき服飾学生だった自分の存在が、初めて社会に肯定されたような気がした原体験ですね。それをきっかけに「foufou」という屋号を立ち上げ、現在に至っています。

— もともとコウサカさんは、大学卒業後に、ファッションを本格的に学ぶために文化服装学院の夜間部に入学されたと伺いました。

コウサカ 新卒のタイミングでの就職活動がまったくうまくいかず、フリーターになり、無印良品でのアルバイトを経て契約社員として働いていました。その時の職場で出会った先輩から、文化服装学院を勧めてもらったのがきっかけです。

その先輩は、平日の昼間はフリーランスのグラフィックデザイナーとして仕事をこなしながら、夜間は多摩美術大学に通って勉強をし、土日だけ無印良品でアルバイトをして、稼いだお金をほぼすべて無印の商品に使い果たすという、非常に知的好奇心の強い、ユニークな人でした。彼は当時30歳くらいでしたが、レジでお客様を待つ朝の静かな時間などに、よくこんな話をしてくれたのです。「自分は専門学校を出たから、デザイナーとしての『技』はある。けれど、デザインを行う上での論理的なプロセスや理由といった『知』が足りないんだ。だから、それを体系的に学ぶために、あえて今大学に通っているんだよ」と。

一方で、彼は僕に対して「コウサカ君は既に『知』の土台を持っている。だから、あとは自分の手を動かして『技』を身に付ければいい。これからの時代は、ものづくりができたら、インターネットという強力なツールを使って自分で直接販売できるようになる。だからコウサカ君は洋服をつくればよい」と、なんの根拠もないのに僕の可能性を強く評価し、背中を押してくれたのです。

そして彼は、半ば強制的に、僕に1冊の本を購入させました。クリス・アンダーソンの『MAKERS―21世紀の産業革命が始まる』という、インターネット社会の進展によって個人が自宅にいながらにして、世界中に自作のプロダクトを届けられるようになるという未来を描いた名著です。すごく刺激を受けたと伝えると、「文化服装学院の夜間部は学費も比較的安いし、キャリアアドバイザーがいて、求人数もたくさんある」と教えてくれ、さらに教員の知り合いのところへ僕を連れて行ってくれました。自分自身、将来の進路について深く迷っていた時期でもあり、彼との出会いによって「何かものづくりをやってみたい」という情熱が芽生えて、23歳の春に入学を決めました。

— 実際に文化服装学院に入学されてみて、周囲の環境や学生たちの熱量はいかがでしたか。

コウサカ 驚くことが多かったですね。文化服装学院という場所は、とにかくデザイナー志向の強い学生がほとんどを占めていて、彼らはモードなファッションを心から愛していました。ファッションをデザインする人間は、アーティストとして自分自身の内面を衣服という媒体を通して表現するべきだ、というアーティスト志向の人が大半だったのです。実際、入学したばかりの春の1年生の段階から、彼らが課題や自主制作でつくりあげる服は、どれもパリ・コレクションなどのショーに出てくるような前衛的な服が多かった。本当に日本中から「天才」が集まってきたような空間で、圧倒的な自己表現の力を発揮して服をつくる同級生が僕の学年だけで200人前後もいて、学校全体に数え切れないほどの天才がひしめき合っている現実に、率直に強い衝撃を受けました。

一方で、僕は彼らのように自己表現を前面に出すような服が、どうしてもデザインできなかった。ファッションショーのランウェイを堂々と歩くような、ファンタジーとしての服をつくる回路が自分には備わっていないことを自覚し、「自分はこの道に進むのは絶対に無理だな」と早々に諦めがつきました。当然、学校の課題での評価もまったく優秀ではなく、成績は常に底辺のほうを這っていました。

しかし反面、彼らのような「天才」が毎年どんどん卒業していくのに、その多くが「自分のブランドを立ち上げて洋服だけでご飯を食べていく」という厳しい現実をクリアできないのはなぜなのか、という疑問がありました。そう考えたときに、天才である必要はないと思ったのです。むしろ天才であること自体が、システムの中では凡庸な消耗戦に巻き込まれる原因かもしれない。それならば自分は天才と競うことはやめて、天才には見えないものを見つけよう、アパレルの既成概念が見落としている「空白の道」を探そうと決意しました。

— その「天才には見えないもの」を探求するプロセスが、「foufou」の立ち上げ、そして独自のインターネット販売モデルへとつながっていくわけですね。

コウサカ そうですね。天才たちには見えないものを探す中で、僕はインターネットの世界に答えを見つけました。当時、インスタグラムが流行り出していたときで、僕も自分の好きな服やファッションに関する映画や音楽などを載せて、同じような趣味の人たちと交流していました。アカデミックな空間の中にいると、どうしても「ファッションは高尚なアート」という固定観念に縛られがちで、僕自身も純粋におしゃれを楽しむことを忘れかけていました。

でも、インスタグラムの向こう側でつながる人たちは決してそうではなく、ただ純粋に服が好きで、生活の延長線上でファッションを楽しんでいました。そのことに気付き、自分が一体誰を向いて服をつくりたいのか、誰と仕事をしたいのか、その答えがネットの中に見つかった気がしたのです。高価なブランド服ではなく、ファストファッションでもない新しい選択肢。自分自身が「こういうものが本当に欲しい」と心から思える服を、同じような考えを持つ人たちに向けてつくることにしました。

また、それまではファッションを主にアートの側面から見がちだったのですが、さきほどの先輩経由で向井周太郎さん(基礎デザイン学会創設者、美術家)の「システムとしてのデザイン」という考え方を知り、社会に対してきちんと意味を持たせることを大切にするデザイン手法を学びました。

それから、無印良品の広告やビジュアル表現の特徴に、グラフィックデザイナー原研哉氏が提唱した「空っぽ(エンプティネス)」という概念があります。具体的なブランドイメージや商品を押し付けず、見る側がそれぞれの理想を投影できる「余白」を残しておく。それをファッションに表立って取り入れているデザイナーは少ないことに気付き、何か社会のために機能する服、そして余白を楽しむことができるデザインをしていくことのほうが僕には合っていると腑に落ちたのです。




「健康的な消費」とは何か

— foufouはブランドの立ち上げ初期から、「健康的な消費のために」という姿勢を掲げています。この言葉にたどり着いた背景には、どのような問題意識があったのでしょうか。

コウサカ 当時は直感的にそう思ったにすぎないのですが、その頃『フランス人は10着しか服を持たない』や『誰がアパレルを殺すのか』という本がベストセラーになっていて、ファッション業界に対して、大量生産・大量消費を否定する風潮がありました。僕自身、大好きだったブランドの服を買うのをやめてしまった時期があったほどです。

しかし、ファッションというのは、やはり「消費をすること」によってしか満たされない喜びや高揚感があります。服が大好きな人が、10着だけ選んで欲望をコントロールして暮らすというのは、かえって精神的に不健康です。では、何を解決したら罪悪感なく消費が楽しめるのかと考えたときに、しっかりと丁寧につくられて長く使えるものを、心地よく買い物することができて、自分が支払ったお金が対価として正しく誰かに届く、そんな循環をつくることができれば、消費することを「悪」にしなくてすむのではないかと思いました。それを自分のブランドを通じて実現したいなと思い、「健康的な消費のために」というコンセプトをつくったのです。

— コウサカさんが実践されているその「循環のサイクル」とは、具体的にどのようなシステムの構造を指しているのでしょうか。

コウサカ 大きく2つの循環があると考えています。1つは物理的なものの循環です。例えば、僕たちが洋服をつくるために良質な資材を購入し、丁寧な縫製によってつくられた洋服がお客様の手に渡る。その洋服も、1年でボロボロになるようなものではなく、長く着続けていただける高品質なものでなければなりません。そして、お客様が着て使い果たした洋服は、最終的にリサイクルされてまた原材料へと戻っていく。これが1つ目の物理的なものの循環です。

もう1つは、経済の循環です。僕たちは国内を中心とした縫製工場に適正な支払いをして、できあがった洋服を、適正な価格でお客様に直接販売する。そのお金をもとに僕らはまた新しい洋服をつくるという形でお金を循環させていきたい。もしお客様が買う服を、どこかの国の誰かが泣きながらつくっているとしたら、それは気持ちのよい消費なのかというつくり手としての問題意識があります。これら2つの循環が僕なりの基準で心地よく回っているかどうかを常に考えています。

組織が大きくなり一緒に働く仲間や関係者、お客様も増える中で、このコンセプトを改めて定義づける必要があると思い、自分なりに考えたのが、「肉体的」「精神的」「社会的」の3つの軸で健康であるということです。「健康的な消費」の「健康」の定義は、WHO(世界保健機関)の指標から拝借したものです。WHOによると、「健康」とは「肉体的にも精神的にも社会的にもすべてが満たされた状態」と定義されています。病気ではないから健康ということではなく、精神的にも社会的にも生きていることを健康としているのです。

これを僕なりにブランドに沿って言い換えると、「肉体的(プロダクトとしての品質)、精神的(倫理観や美意識)、社会的(持続可能性や社会貢献度)にすべてが満たされた状態」で事業が運営できたら「健康的な消費」となります。

肉体的な健康とは、どれだけ理念が立派でも、服としての「体」がもろければ長く愛されることはありませんから、まずプロダクトとしての品質(良質な素材、すぐれたパターン、丁寧な縫製など)が担保されていなければなりません。

精神的な健康とは、消費自体を目的とするのではなく、そこに「こういうものが良い」と信じられる美意識を持って選択したいという考えです。foufouのものづくりでは、この美意識を軸に選び、判断し、形にしています。

そして社会的な健康とは、自分たちの商品やサービスが社会にとって持続可能であり、雇用を生み、ものづくりの技術を守るなど、ほんの少しでも良い影響を与えていると実感できることです。

そうした思想を体現しているのが、例えば「THE DRESS」という定番シリーズです。これは「退屈な日常をドレスで踊れ」というコンセプトの下、ブラックのワンピースだけを展開しているシリーズです。黒のみを選択した理由は、黒という色がテクスチャ(生地感)やシルエットの輪郭の美しさを最も純粋に際立たせるから。色による余計な情報を極限まで削ぎ落とし、「形」と「素材」に絞ってデザインと向き合うことができます。また、黒のドレスばかりを何着もクローゼットに入れる人は少ないため、お客様は「これは今の自分に本当に必要か」をじっくり吟味することができます。即決を促すのではなく、ゆっくりと選んでもらうことも「健康的な消費」の一つの形だと考えています。

一方で、夏に1着だけつくる「夏をドラマチックに纏う方法(夏ドラ)」というシリーズでは、はっとするほど鮮やかな赤色の綿素材のワンピースをつくります。普段は地味な色を好む人でも、「夏だから」と言い訳をして、ファッションの冒険を楽しんでもらうためです。多少シワになりやすくてもためらわず洗える綿素材を選び、シワにならない合理的なポリエステルにはない品の良さを、多少の不自由さとともに享受してもらう。完璧な効率の100点ではなく、既存のルールを心地よく裏切る150点の高揚感を提供することが、僕たちの服づくりの醍醐味の一つです。

   
すこやかな服
マール・コウサカ/晶文社

2020年、ブランド設立5年目に上梓されたコウサカさん初の著書。作品集ではなく、「『これから5年、10年経っても変わらない』foufouの考え方や姿勢の話を綴ろう」というコンセプトで執筆。「健康的な消費のかたち」についても詳しく綴られている
   
2017年に始まった、「夏をドラマチックに纏う方法」シリーズ。夏に1着ずつ発表される、いずれも綿100%の真っ赤なワンピースで、写真は2024年の「summer one piece 24(サマーワンピース24)」
出所:foufou
   
黒いドレスをナンバリングしながらつくられる「THE DRESS」シリーズ。写真は2点とも、2018年、シリーズ最初に発表された【THE DRESS #00】。流行に左右されないデザインで、現在に至るまで定期的に再販されている。「foufouの服は、この【THE DRESS #00】から始まっていると言っても過言ではありません」(コウサカさん)
出所:foufou
   




揺らぎ(創造性)を守るための、安定(経営)の構築

— 2023年にクラシコム(ライフカルチャープラットフォーム「北欧、暮らしの道具店」などを展開)グループに参画し、会社組織となりました。上場企業傘下で「経営」というものを意識する中で、「健康的な消費」や非日常のワクワク感を維持していくことの難しさなどはありませんか。

コウサカ 僕はもともとクラシコムのファンでしたから、創業者の青木耕平社長や佐藤友子副社長のトークイベントなどにも足を運んでいました。彼らの経営に対する考え方は、一般的な急成長を目指すベンチャー企業とは異なり、できる限りすこやかに、長く継続的に経営していくことを大切にしていると感じられるものです。資本主義に抗って自分たちの小さな世界で満足するのではなく、社会とどんどん接続して上場まで果たしパブリックになりながらも、その芯の部分は変えないという姿勢に美学を感じていたのです。

ワクワク感や非日常的なものというのは、文字どおり非日常なので、それが成立するためには大前提として基盤の日常がまず安定していなければならない。企業における日常というのは、収益の向上や経営の安定化にほかなりません。例えば、大人がディズニーランドで非日常を楽しむときに、ミッキーの中にいる人の労働環境などに不安があると、それが心の枷になる。ファンタジーを楽しみ尽くそうと思える心を持つためには、裏側にある日常が安定していないといけないと思います。僕たちも同じように、経営基盤が安定していてこそ、創造性を存分に発揮したワクワク感のあるお洋服づくりができるのだと考えています。

— クラシコムにジョインされてから、設立以来続けてこられた夜8時半開始のインスタライブの時間帯を変更したり、セールを始めたりと、幾つかの決断がありました。

コウサカ それらの決断はクラシコムにジョインしたから、親会社に命じられたわけではなく、すべて僕自身の判断です。持続的な経営をしていくためには、ともに働く方々ができるだけすこやかに仕事に向き合える環境をつくる必要があります。プライベートな時間を充実させるためには、夜8時半からスタートしていた商品紹介のインスタライブはないほうがいいに決まっています。もちろん、経営的には一時的に売り上げが落ちるという問題がありますし、それは承知の上です。しかし、少なくとも新しくfoufouを知ってくれた新規のお客様にとっては、もともとインスタライブが存在しないブランドということが普通になりますから、長期的に見れば問題はありません。

マイナス面を補うために、インスタライブのために費やしていた膨大な時間を商品ページの拡充のために使って、お客様がいつでもより快適に買い物できるようにするなどの取り組みを行っています。また、セールに関しても、これまで「セールをしない」という方針に共感してくださっていた方には驚かせるお知らせだったかもしれませんが、セールをきっかけに初めてfoufouの服を買ってみようと一歩踏み出してくれる新しいお客様との出会いも確実に生まれました。

そうした一つひとつの施策に対して多面的に検討し、天秤にかけながら、考え抜いて決断しています。仮に同じ結果だったとしても、考え抜かずに時流に流されて決めることとは全く異なります。その背景をお客様に対して誠実に、文章などを通じて説明し続けることこそが、ブランドとしての誠意だと思っています。

   
【THE DRESS #64】scallop bicolor one piece。襟の細かいうねり(スカラップ)が魅力で、国内の職人が一つひとつ手仕事でつくっている
   
2点ともに【THE DRESS #22】bicolor one piece。2020年に発表された、白襟と黒い身頃のバイカラーワンピース。しっかりとした厚みのある綿素材、あえてシャープに尖らせた襟先など、「大人が着てこそ、美しいバイカラー」を念頭に制作。「#00」同様、現在に至るまで定期的に再販。このワンピースは大きな支持を集め、このあともさまざまなバイカラーのワンピースが発表された
出所:foufou
   

— クラシコムへの参画によって、デザイナーとしてのコウサカさん自身の創造性や揺らぎに何か影響はありましたか。

コウサカ 僕はキャンプが好きですが、火を大きくできるかどうかは、風の通り道などが計算された「焚き火台」のよしあしに大きく左右されます。クラシコムに参画してからのこの数年間は、この焚き火台のことをずっと考えていたような気がします。つまり組織づくりや経営基盤の安定化です。どうやって薪をくべて火を大きくするかというよりも、どういう焚き火台をつくっておくことがこれからのfoufouにとって大事なのかをものすごく考えている時間だったなと思います。

最近になって、数年かけて良質な焚き火台を設置できたことで、ここからどうやって、どういう順番で薪をくべていき、大きな火(クリエイティビティや揺らぎ)にしていこうかと考えることができています。組織が大きくなる中で、多くの人と関わることで生まれるポジティブなこともネガティブなこともすべてが学びになり、foufouのつくる新たなアイテムに影響を与えています。いろいろな影響を受けることでつくるものは変化していきますし、同じことを同じようにやり続けないということを、僕はすごく大事にしています。

   
左からクラシコム副社長佐藤友子さん、コウサカさん、クラシコム代表取締役社長青木耕平さん
出所:foufou




ものづくりそのものが“祝福”である

— お話をお聞きしていて、今のfoufouはよりよい状態にあるように感じます。コウサカさんご自身は、いわゆる「ウェルビーイング」な状態に近いと感じておられますか。

コウサカ 時々サステナブルやウェルビーイングを大事にされている方から「いいブランドですね」と言っていただくことがあり、とてもありがたいなと思っています。ただその反面、何か違和感を覚えるのも正直な気持ちでした。

それは僕自身がウェルビーイングを目指して生きているわけでも、洋服をつくっているわけでも、経営をしているわけでもないから。そもそも「健康」でありたいと思うのは人間として普通のことであり、当たり前のことです。ウェルビーイングを否定するわけではありませんが、意図的にウェルビーイングであろうとして学んだり行動したりし続けることが、かえって個人の自由を塞いでしまうのではないかという気がしています。心身が健康であればことさら意識する必要はないという自然体で、例えば朝、窓の外を見たら晴れていて気持ちがいいなとか、もっと足元の小さな幸せを見つめることが大切ではないかと思っています。

— 情報過多な現代社会において、そうした自然体でいることは意外と難しいのかもしれません。

コウサカ SNSなどであまりに多くの情報に接していることが大きな原因の一つではないかと思います。情報が多いからこそ、他人の成果や眩しい成功例と比較して「もっと豊かでなければ」と焦ってしまいますよね。でも、ひたすら満たされていくことがイコール「豊かさ」ではないと思うのです。何かが欠けている状態や失っていくこと自体をもう少し認めてあげることで、自分の心の本当の意味での豊かさを大きくできるのではないかと思っています。つまり、自分の中の小さな心の器(キャパシティ)を、豊かさの記号でぎっしりと詰め込んで埋め尽くそうとするのではなく、そのキャパシティ自体を大きくすることを考える。僕自身はそういう視点で豊かさを捉えている気がします。

   

— 「ものづくり」と「経営」をうまく両立されているからこそ、そうした俯瞰した視点を持てるのでしょうか。

コウサカ 僕はものづくりと経営(社会的責任)を完全に別の世界の話として分けて考えています。僕の場合、ものをつくるという動機があって、それが実現できる環境がある以上、ものづくりをしていること自体が、既に祝福されている、満たされた状態であると感じています。

それと会社の経営はまったく別の話です。多くの人はこれらを混同して一緒にしようとするから、思い悩んで苦しむのだと思います。ビジネスがうまくいかないときに、ものがよくないから売れないのではと考え始めると、クリエイティブの根幹まで疑って沼にはまっていくわけです。

ものづくりに限らず、僕は「動機は祝福」だと言っています。何かをつくりたいという動機が生まれた瞬間、既にその行為は祝福されているという意味です。産み落としたその瞬間に祝福されているので、資本主義社会で起きている物事やビジネスの時代の風によって、純粋なものづくりの動機が汚されたり傷ついたりすることは決してないのではないでしょうか。何かをしたいという自分の動機と、外部の評価システムのどちらが「上」かといったら、圧倒的に動機のほうが上なんです。ですから、外部要因によってくじけるとか傷つくというのは、その尊い動機に対して申し訳ないですし、非常にもったいないなと思いますね。

一緒に働く仲間にも話していますが、動機は何でもいいのです。自分が携わる仕事の中で、こんなことをやってみたいな、この作業をやってみたいなという小さな動機が生まれたこと自体がすごく尊いことではないでしょうか。大きな存在になろうと思いすぎる必要はないのです。

クラシコムがfoufouと組んだのも、収益以上に僕らのものづくりに対する姿勢や理念に共感して、foufouを社会的に成り立たせることに意義があると考えたからだと理解しています。

僕も大きな存在になろうとするのではなく、目の前の小さな動機を大切にしながら、社会と心地よく接続して、これからのfoufouの歩みを進めていきたい。そう思っています。

   
まばゆい服
マール・コウサカ/晶文社

2025年に刊行されたコウサカさん2冊目の著書。本書内の「動機の原点は“誰かに必要とされているか”ではなく、“自分にとって不可避かどうか”にあるはずだ」という一節は、朝日新聞朝刊1面(2026年1月16日付)の鷲田清一「折々のことば」にも取り上げられた
特集記事
PDFで見る
特集記事
PDFで見る
助成申込みをご検討の方へ