『ケアと演技』とは
竹中氏が実父の介護体験と、埼玉県東松山市の高齢者福祉施設でのリサーチを経て初の戯曲として執筆し、2024年に初演されたドキュメンタリーパフォーマンス。映画監督・俳優の太田信吾氏との共同で創作され、前半は男性である太田氏が「竹中香子」役を演じ、後半は竹中氏本人が「竹中香子」を演じるという構造を持つ。ケアの現場に潜むジェンダー構造や個人の葛藤をあぶり出しつつ、「演技」を通じて他者に寄り添うケアの可能性を提示。2025年には実際の介護施設での上演や、対話の場(ラーニングルーム)を設けた国内3都市ツアーも実施され、観客やケアワーカー同士に社会的な対話を生み出している。さらに2026年9月11~13日、「すみだ五彩の芸術祭」内のプログラムとして、「すみだパークシアター倉」において上演が行われた。
— 竹中さんは日本人として初めてフランスの国立高等演劇学校の俳優セクションに合格し、2016年にフランス俳優国家資格を取得されました。現在、ケアと演技を結び付けた作品が注目を集めていますが、演劇を志すきっかけは何だったのでしょうか。
竹中 小さい頃、自宅近くにアニメ『鉄腕アトム』でアトムの声を務めた声優の清水マリさんが住んでいて、子ども向けに演劇を教える私塾を開かれていたんです。その頃、バレエに通う女の子がとても多かったんですが、親に「バレエの送迎はできないから、近くの演劇にしたら?」と代案を出されて通い始めたのがきっかけでした。通い始めてみるととても面白かったのですが、中学に上がるタイミングで辞めてしまいました。役者は「自分に自信のある目立ちたがり屋の人がやるもの」というイメージがあり、演劇が好きだということが恥ずかしくなって封印してしまったんです。
けれど、どこの大学に進学すべきかを模索していた折に、平田オリザさんが過去にいらした桜美林大学の総合文化学群演劇専修を知りました。人とのコミュニケーションや関わり方を考える上で、演劇というツールが使えるのではないかと考え直して、もう一度、大学で演劇を学び直すことにしたのです。
— 2011年の大学卒業後、日本で活動するのではなく、フランスへ渡ることを選ばれました。
竹中 卒業するタイミングで、新国立劇場の演劇研修所や、有名な劇団のオーディションなど、さまざまに挑んだのですが、すべて落ちてしまったんです。それに、日本で演劇をやっていると近所の人から「いつか月9のドラマに出られたらいいね」と言われたりして、自分が追究したい演劇の世界と、世間のイメージとの間に大きなギャップも感じていました。このまま日本で20代を過ごし、30歳を過ぎたときにただ「夢見ている人」になってしまう漠然とした恐怖がありました。
そんなとき、フランスでは演劇が社会に深く根付いており、芸術選択科目として広く教育されていて、演劇だけで食べていける人も多いと聞きました。また、国立高等演劇学校は、受かれば外国人も無料という話を聞いて、勧められるままに渡仏したのですが、すぐに国立高等演劇学校に入れたわけではありません。1年目はパリの国立コンセルヴァトワールというところで、フランス語の発音訓練など基礎からやり直し、2年目にようやく国立高等演劇学校に合格することができました。
— フランスで演劇の勉強をされて、日本との最も大きな違いは何でしたか?
竹中 お客さんがとにかくたくさん劇場に来ることに圧倒されました。日本のように特別な鑑賞教室としてではなく、家族で図書館に行くような感覚で、日常の中に劇場文化が溶け込んでいるんです。
もう1つは、「私」という主体を持つことを徹底的に求められたことです。日本語は主語を省いて会話が成立しますが、フランス語は「Je(私)」という主語を使わないと成立しない言語です。そのため常に「自分は何を考えているのか」を中心に据え、「私」と「他者」の境界線をはっきりとさせ、他者と違うからこそ自分に価値があるのだ、というヨーロッパ的な自我のあり方を叩き込まれました。
エリートの劇場文化と、移民街での衝撃
— 竹中さんは現在、「演劇を、自己表現のためでなく、他者を想像するためのツールとして扱うこと」をモットーに掲げて活動されています。これはパリで受けた教育とは逆のアプローチに思えますが、どのような転機があったのでしょうか。
竹中 演劇学校を卒業したあと、私はパリの公共劇場で上演される作品に出演し続け、俳優として順調なキャリアを築いていたかと思います。しかし、コロナ禍に見舞われ、2020年に劇場が全部閉まってしまったんです。それでも演劇に関わり続けたいと思い、芸術選択科目などを教えるための教員の国家資格を取ることにしました(2021年にフランス演劇教育者国家資格を取得)。それは国立学校の卒業生だからこそ取得できる資格だったため、現地の学校で教育実習をすることになったのです。
私が赴任したのは、サン=テティエンヌという移民が多く暮らす街です。労働者たちが1つの部屋に大勢で暮らすような環境で、コロナの罹患率も非常に高い地域でした。パリの公共劇場では、最前列を白人の富裕層や医師、弁護士などが占めていましたが、サン=テティエンヌの教室には全く異なるバックグラウンドを持つ子どもたちが集まっていました。宗教も政治的な価値観も、「母語」も異なる子どもたちです。
彼らにとって演劇は、自分とは違う意見を持つ他者とコミュニケーションを取るための切実な手段として使われていました。例えば、「フランス語が上手くなると母国語を忘れ、お母さんと話せなくなるから怖い」と悩む移民の生徒もいました。その光景を目の当たりにして、私が今まで心血を注いできたエリート向けの演劇は、いったい誰に開かれたものだったのだろうと大きな衝撃を受けました。
— そこでの経験が、竹中さんの演劇観を変えるきっかけになったのですね。
竹中 はい。私はそれまで、演劇を「自己表現」の手段だと捉え、血の滲むような努力をしてきました。しかし、教職の現場で、演劇は「他者の気持ちを想像するためのツール」になるのだと気付かされたのです。役を演じるということは、自分を表現することではなく、自分が普段喋らない言葉を話すために、その人物の価値観や背景を必死に想像する行為なのだと。
それ以前の私は、シェイクスピアのジュリエットを演じるときでも、「私がこの役をどう発音し、どう魅力的に演じるか」ということばかり考えていて、ジュリエット自身の気持ちはないがしろにしていました。自己表現の媒体として役を消費していたのです。その気付きを得てからは、自己表現ではなく他者を想像することを念頭に置くようになりました。
最近の俳優教育でも、役の気持ちを無視してセリフを言うことに伴う暴力性を伝えています。例えば「死ね」というセリフは、普段言えない言葉だからこそ、俳優に一種の高揚感を与えてしまうことがあります。しかし、それを1秒で言えてしまうのはとても暴力的なことではないでしょうか。何週間もかけて、その言葉を発する人物の痛切な気持ちを想像し、時間をかけて徐々に言えるようになっていく。そういう過程を経ないと演劇は暴力にしかなりかねないのです。
「ケア」というイリュージョン
— 竹中さんが初戯曲として執筆し、2024年5月に初演された舞台『ケアと演技』は、お父様を介護した経験に基づいた内容になっています。介護はいつ頃からされていたのでしょう?
竹中 私が大学生のときに父がパーキンソン病を発症したので、そこからずっと続いていました。ただ、訪問介護士さんたちが素晴らしい方々で、「私が介護のために日本に残るという選択肢は取らないほうがいい」とおっしゃってくださったんです。介護士さんが毎日4、5人ずつ家に来ていて、総勢25人くらいで回して父の介護をしてくださっていました。私は年末や夏休みに実家に帰って、一緒に会議をしながら次のケアプランを決めていくという役割で、とても助かっていました。
—『ケアと演技』の中で、主人公はお父様が介護されている姿を見て、「ケアはイリュージョンだと気付いた」と語りますね。
竹中 私の実体験です。あるとき、父が危篤だからすぐに帰ってきてくださいと介護士さんから連絡があったんです。急いで帰国したんですが、父が亡くなったのは1週間後でした。その日までの間、介護士さんたちも「せっかくだから最後までやらせてください」とおっしゃってくれて、私も一緒に家で生活をすることになりました。今まで私は、介護士さんが1日に何度も来るような空間で同じ時間を過ごしたことがなかったのですが、そのとき初めて彼女たちが十数年やってきた仕事ぶりに立ち会うことになったんです。
それが本当にクリエイティブで、目から鱗が落ちるような経験でした。今にも死にそうな人に対して、「あれをしたらいいんじゃないか」「これをしたらいいんじゃないか」とアイデアをどんどん出し合いながら、最後の時間を豊かにしようと頑張っている姿に深く感動したんです。
例えば、父はコーヒーが好きだったのですが、もう口からは飲めなかったので、介護士さんがコーヒーを淹れて、カップを扇いでせめて匂いだけでもと楽しませてくれたりするんです。「これはすごいことだ」と思い、それらを全部ノートに書き留めることにしました。『ケアと演技』の脚本は、そのノートを何度も読み返しながら執筆していきました。
私は以前、ケアを「時間泥棒」だと思って恐怖していたんです。私が子どもの頃は専業主婦が多い時代でしたが、我が家は共働き家庭で母は外に出て働いて戦っている人でした。そのため「女性が外で活躍するためには、ケアなどに時間を使っていてはいけない」という価値観があり、ケアは女性の敵、あるいは母の昇進の邪魔をしてしまうものだと思い込んでいたんです。実際、「ケアの倫理」(5ページ参照)が構築されていく過程でも、女性へのジェンダーロールの押し付けだという批判がありましたよね(6ページ参照)。
でも、彼女たちの仕事ぶりを見ていて気付いたのは、介護士と俳優はとても似ているということでした。私の思ういい俳優は、何が起きるかわからない不確定な状態を楽しむことができる人。例えば客席で泣いている赤ちゃんがいたら、それを無視するのではなく、ちゃんと「あること」にして演技に活かす。その意味では介護士さんたちも同じような振る舞いをされていました。介護はイレギュラーな事態の連続です。彼女たちの行いを分析していけば演技のスタディになりそうだと思ったんです。
「わたし」から「わたしたち」になる身体感覚
— お父様を見送られたあとの2023年12月、埼玉県東松山市の「デイサービス楽らく」でのアーティスト・イン・レジデンスに参加されました。
竹中 施設長がもともと演劇プロデューサーで、私が学生時代にアルバイトをしていた劇場の上司だった縁があり、参加しました。4週間の滞在中は、介護士さんたちの動きを演技のフィールドワークのように観察していました。分単位のスケジュールの中で利用者さんが排泄してしまっても、「だから面白いのよ」と笑って対応するベテラン介護士さんの姿に、やはりいい介護士はいい俳優だと確信しました。
ただ、施設の中で「何者でもないアーティスト」としてただ存在する時間は、資本主義社会で生きる私にとって苦痛でもありました。そこで自らお願いして「介護実習生」という役を与えてもらったのです。すると不思議なことに、声の大きさや歩く速さをどう調整すればいいかが自然とわかり、役が私の振る舞いを教えてくれるような感覚がありました。
最も驚いたのは入浴介助です。実習生になった初日に浴室に入ると、利用者さんがすぐに私の前で裸になったのです。もしお互いの間にバリアのような「緩衝材」があれば、見ず知らずの人の前で服は脱げません。しかし、そこには小川公代さんが『ケアの倫理とエンパワメント』(7ページ参照)で書かれていた「多孔的な自己(porous self)」—他者との間に無数の穴が空いて境界が曖昧になっている状態—(10ページ参照)が既に形成されていたのだと思います。
介護士さんも利用者さんも、施設では「わたし」ではなく常に「わたしたち」という主語を使っていました。最初は「もっと自分を大事にして、個人の意見を持ってもいいのに」と違和感がありましたが、ドライヤーで利用者さんの髪を乾かしてあげたとき、躊躇なくふれ合い、信頼しきってくれている身体感覚を得て、ケアの現場では「わたしたち」という人称でしかできないことがあるのだと深く理解しました。
この「多孔的な自己」はその後、私の戯曲『ケアと演技』の基本コンセプトになっていきました。いま私は、自分をより「確固たる存在」となるために努力するのではなく、流動的な感覚の中に身を置きながら、自分の中を他者の感覚が出たり入ったりする沢山の穴をあけておきたい。それを頭ではなく、身体感覚として掴めるよう工夫していきたい、そう思っています。
ケアと演技は、間(あいだ)に出現する
—『ケアと演技』の中で、役としての竹中さんが、施設でポインセチアの絵を描いている利用者さんの手にふれたときに、他者のあたたかさが流れ込んでくるような感覚をおぼえたと語っていましたね。
竹中 美学者の伊藤亜紗さんが著作『手の倫理』の中で、「さわる」は、「相手との感情的な交流を考慮しない一方的な接触」のことだが、「ふれる」は「相手の事情を思いやりながら、それを尊重するように接触する」行為だから双方向的な接触なのだと書かれていました。私が経験したのはまさに双方向的な行為としての「ふれる」だったのだと思います。こちらが主体的に触っているというよりは、「あいだ」で何かが起きている感じというか。この感覚も演技と通じ合うことに気付きました。
私は、演技には「所有」という概念がないと思っています。演技は演技者のものだと捉えられやすいですが、仮に二人芝居の場合、片方が上手くても良い演技は生まれません。俳優が互いの言葉を聞き合ったり、応答し合ったりすることによって、演技は人と人の「あいだ」にポワンと生まれるものなのです。そのため、良い演技に演技賞を与えるのはとても難しいことです。演技はその場にいる役者同士の間に生まれるものですから。ケアも全く同じだと感じます。利用者さんと介護士さんの「あいだ」で生まれるもの。介護士さんたちのうまいパス回しによって行われるもの。誰か一人に「最優秀ケア賞」を与えるのが難しいように、そうやって「あいだ」に出現するものがケアなんだということを、私はデイサービスで介護を経験したことで初めて知りました。
当事者を演じ直すことで得られる自由
— お父様の介護や「デイサービス楽らく」での経験を踏まえてつくられた『ケアと演技』の前半では、俳優で映画監督でもある太田信吾さんが竹中香子役を演じられています。なぜ男性である太田さんが女性の役を演じることになったのでしょうか?
竹中 最初は全編通して私が「竹中香子」を演じるつもりで書いていました。ですが、脚本執筆の途中の段階で一回俯瞰的に見ようと思い、信頼している太田さんにオンラインで台本を読んでもらうことにしたんです。俳優は技術があるから初見でも面白く読めてしまうんですが、太田さんは女性の身体感覚や生理現象について語る私の台本を、わかったようなふりをせずに読んでくれました。つまり「お腹がブルドーザーのように……痛い?」のように、自分にはその状態がわからないことを表現しながら、つっかえたり間を空けたりして読んでくれたんですね。それを見て、この人は今、私の経験した状況を一生懸命想像してくれていると感じましたし、私自身がすごくケアされていると感じられたんです。その感覚が新鮮で面白かったので、半ば無理やりお願いをして、作品の前半で、太田さんに私の役を演じてもらうことにしました。女性しか知り得ない性の経験についても、「女性的にはこうなんだよ」といった訂正は一切しませんでした。太田さんが太田さんの人生の中で考える過程のほうがよっぽど豊かだと思ったからです。
— 後半では、竹中さんが竹中香子役を演じています。ご自身役を演じながら何を感じましたか?
竹中 後半では亡くなった父親と対話をする娘を演じているので、芝居を見た人に「お父さん思いのいい娘さんだったんですね」と言われることがあるんですが、実際には全然そんなことはなくて、できなかったことをやっている感覚です。父が危篤のときも、介護士さんたちはたくさん声をかけているのに、私は躊躇してしまって「うーん」と言うくらいで、うまく話しかけられませんでした。でも、舞台上で起きていることは全部フィクションかもしれないという担保があるから、日常生活では言えなかった本当の気持ちを役に託し、すこしエモい(気恥ずかしい)ことも自分に言わせることができました。
— ケアについて語ることは、親と子の関係を捉え直すことにつながるのかなとも思いました。
竹中 最初は父の話を深く書く予定はなくて、介護士さんたちのエピソードに特化するつもりだったんですが、だんだん父の話が増えていきました。私が介護の主体になり始めたのは20代後半で、ケアマネジャーさんとプランをつくっていく中で、家庭内において、父よりも私のほうが明らかに権力関係では上に立ってしまっていました。でも、その一方で「いかにお父さんがこの家で一番偉いという威厳を守るか」を自然と考えてしまっていたんです。
『ケアと演技』をつくるうちに、そんなことはあまり気にしなくて良かったんじゃないかなと思うようになりました。父もそういう権力構造から降りて、もっと弱い存在でいたかったかもしれない。「親は親らしく、子は子らしく」という固定した関係を最後まで全うしなくても、親と子の関係は時間とともに常に変化するものだから、もっと他者に応答するように接すればよかったと、執筆しながら考えました。
—『ケアと演技』は、2025年3月に「デイサービス楽らく」で介護士さんたちに向けても上演されましたね。
竹中 介護士さんたちに見てもらいたかったんですが、劇場だとどうしてもハードルが高くなってしまうので、施設で公演させてもらいました。施設長さんがお給料を出してコミュニケーション研修の一環にしてくれたおかげで、多くの介護士さんが参加してくれました。終演後に対話をするプログラム構成にしたのですが、ファシリテーターを務めてくれた、長津結一郎さん(東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科准教授)の手腕のおかげで、みなさんが積極的に自分の話をしてくれたんです。
面白かったのは、そこで語られたのが演劇の感想ではなく、それぞれ自分の介護に関する個人的な体験だったことです。ふだん施設では「わたしたち」を主語にしているみなさんが、そのときだけは「わたしはなぜ介護を始めたかというと……」と、「わたし」を主語にして涙を流しながら語り始めました。
小川公代さんがおっしゃるように、大きな物語に抑圧された「小さな物語」が語られた瞬間でした。ご本人たちは自分の話は語るに値しないものだと思っていたのかもしれませんが、周りの人たちが真剣に聞いてくれて、「わたしの小さな物語がほかの人に影響を与えている」ことに驚いているようでした。こういうことは劇場ではできないので、アウトリーチのようなかたちで今後もやっていきたいと思います。
不可視化されたケアをひらく — 「サテライト・コール・シアター」
— 2025年7月にアートセンター「BUG」で開催された「サテライト・コール・シアター」は、家庭内の不可視化されたケアに焦点を当てる展示でした。このプロジェクトは、公募で集まった12人の「ホーム・ケアリスト(家庭でケアを担う人々)」に対し、演出家などの「ナラティブパートナー」が数カ月伴走して物語を紡ぐという構造でしたね。
竹中 『ケアと演技』を執筆していたとき、東京のあるビルで、サラリーマン風の男性が小声でお母様と電話をしている場面に遭遇したんです。必死に薬の場所を伝えて、「会議が終わったらすぐ帰るから」と焦っていました。なぜこの人が助けを求めるための電話をする場所が、この東京にはないのだろうかと驚きましたし、その電話を聞かないふりをしてしまった自分にもショックを受けました。演劇は他者を想像するツールだと言っていたのに、私自身が全く想像できていないじゃないかと。そのことが心に残っていたので、東京駅八重洲南口直結のアートセンターBUGでの展示企画に応募しました。この都市で最も「ないことにされている」物語である家でのケアを可視化したいと思ったんです。
また、私自身、『ケアと演技』の執筆は一人ではできませんでした。家族のことは一番書きたくないことだから、信頼しているアーティストの方に、「脚本編集協力」として読んでもらい、「竹中さんが本当に言いたいことは何なの?」と問いを投げかけてもらうプロセスが必要だったんです。一般の方にいきなり物語を書いてもらうのは負担が大きいので、ナラティブ・パートナーに伴走してもらう形をとりました。
— 展示会場を「架空のコールセンター」に見立て、観客は「臨時職員」として受話器を取る。すると、ケアリストたちそれぞれの家から直接電話がかかってきて、約10分間のモノローグを聞くという構造は画期的でした。
竹中 ある元ヤングケアラーの男性のケースでは、ナラティブパートナーが天国のお母さんになったつもりで嘘のテキストを書き、それに対して彼が「10分間だけ天国につながる電話」という設定でお母さんへの手紙を書くという、演技を使った遊びが始まりました。彼は「おかんの声が綺麗って言われたから俺はミュージシャンを目指した」と綴っていました。日常で直接言うにはもしかしたら恥ずかしすぎる内容かもしれません。でも、架空のコールセンターで、全部本当かわからないというフィクションの担保があったからこそ、自分の壁を破って本当の思いを発露できたのだと思います。小川公代先生が「多孔的な自己」を用いて、この展覧会のレビューを書いてくださったことも印象的でした。
翻訳と裏切り ― 複数の真実を生きるための演劇
— 竹中さんの企画する展示や演劇は、つくる主体が一人の人間に帰属していない印象を受けます。
竹中 もちろん責任の所在は企画者である私にあるのですが、作品の主体や権利を私が占有している感覚はありません。もともと演劇は、「翻訳と裏切り」のループによって成り立つものだと考えています。誰かが書いたものを演出家が演出し、それを俳優が間違って解釈し、さらに多くの人が関わることで最初の意図から逸脱していく。責任の所在や作家性を色濃く出したいなら小説として発表したほうがよいわけで、演劇の面白さはその逸脱にこそあるのだと思います。
— 最後に、竹中さんが現在の社会に演劇を通して提示したい理想のケアのかたちをお聞かせください。
竹中 私は、演技には「真実を複数にする力」があると思っています。例えば、私の父は生前、かつて学生運動をしていた記憶から「火炎瓶が家に投げ込まれる」という幻覚をよく見ていました。当時の私は「いないよ、大丈夫だよ」と能天気に笑っていたんですが、演劇を学ぶようになってから、「お父さんの中には実際に火炎瓶を投げる人がいたんだな」と思うようになりました。社会的な嘘か本当かで言えば幻覚は嘘ですが、父にとっては間違いなく本当だったんです。演劇において「そこに水があるから気をつけて」と言われれば、水がなくてもあるものとして振る舞い、真実が生まれます。私もあのとき、父の真実を真に受けて応答すればよかったと思います。
介護の現場でも、疲れているけど利用者さんには笑顔で接しなきゃいけないとき、本当の気持ちとやっていることが一致していないことに傷つく若い介護士さんがいます。嘘と本当の二項対立で考えると、その笑顔は嘘になってしまいますよね。でも、真実は複数あると考えれば、「疲れている自分」も本当だし、「目の前の人にいい思いをしてほしくて笑っている自分」もまた本当なのです。
演技というものの根本は、「他者に応答する技術」ではないでしょうか。演劇の想像力が、社会のコミュニケーションにおいて、多様な自分や他者を肯定するヒントになればと願っています。
「サテライト・コール・シアター」
小川公代氏レビュー(抜粋)
重田拓成さんというホーム・ケアリストが、すでに他界した母親に話しかけている設定の一人劇はまさに多孔的であった。ここには近代人然とした「緩衝材に覆われた自己」はいない。電話口の「観客」は、親しみを込めて関西弁で「おかん…」と声をかけてくる「俺」の物語に没入することができ、「多孔的」になることが促される。頻尿の「おかん」は寝ているときもトイレに行くため、「俺」は「プールサイド」においてある「折り畳みベッドみたいなやつ」を彼女の部屋の前に置いて寝ていたと懐古する。この横臥者と目線を合わせる姿勢はまさにケアに満ちている。「おかんがトイレ行こって部屋出たらベッドにぶつかって、ほんで俺が起きておかんをトイレに連れて行く」という「作戦」である。「おかん」に「あんた声だけはめちゃくちゃええなぁ」と褒められた「俺」は「『だけは』は余計やねん」とツッコミを入れる。最後に「ありがとうな。良い声に産んでくれて」という言葉に涙を流さない観客はいただろうか。












